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ノート:人間学

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マックス・シェーラー(哲学的人間学)、生の哲学教育学介護仏教思想・・・いろいろな観点からの記述があると思います。個人の力では限界がありますので、皆さんも、ご協力おねがいします。--ケンチン 2004年11月13日 (土) 16:34 (UTC)[返信]

人間学というタイトルにすると、英語表記が人類学と一緒になってしまうので、記事の内容のような場合は「哲学的人間学」というのが正しいんじゃないでしょうか。ただアメリカでこの手の分野を勉強した人は、人類学という表記を使う方が多いようです。Mishika 2004年11月13日 (土) 21:55 (UTC)[返信]

カントの人間学についても解説が欲しいですね。Hermeneus (talk) 2005年6月21日 (火) 05:02 (UTC)[返信]

カントの部分はほとんどはないですが、半年前に書いたものなぜか消えていたので、復活させました。取り留めのないものですが、ないよりはいいかと。(内容結構アバウトですがね・・・)日本で人間学というと、普通は哲学の一分野なんですがね。カントの人間学講義は是非欲しいですね。カントの専門家いたらベストですが、誰もいないなら、私がいずれ書くかもしれません。--ケンチン 2005年6月21日 (火) 10:17 (UTC)[返信]

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 提案

この項目がリンク対応されているドイツ語の同項目は「人類学」です。こちらの人間学とも内容的に隔たりがあり、同一項目のリンクとしてはどうかと思われます。「Humanwissenschaft(人間学)」という言葉が日本語に素直に合うように思われますが、この項目の著者の方が人間学を独立した学問分野として捉えている場合、Humanwissenschaftは、あまりにも一般的言い回しのため不適当かと思われます・・・。哲学的人間学からここへと誘導されてしまうことも考えると、やはり改名するのが適当かとも考えます。

欧米の大学でも、哲学的人間学は前期シェーラー、ゲーレン、プレスナーを一般に哲学的人間学(philosophische Anthropologie哲学的人類学*直訳)の中心的学者として、独自の講座が成り立っており、カントのような総体の中の一部門である人間学とは、異なりますよね。日本においても哲学的人間学の訳語で一定の認知は得ており項目タイトルを改名するか、それぞれを別項目として立ち上げるかした方が良いのではないかと考えますがいかがでしょう。 ちなみに、その際にはもちろんご協力します。Katze2007年3月5日 (月)

哲学的人間学人間学とは別項で扱われてしかるべきですし、独立させる事に異を唱える人はいないと思います。協力していただけるのなら是非お願いします。ここに誘導されているというのはリダイレクトのことでしょうか。それは、人間学のケースに限りませんが、ここがベストというわけでなく項目がまだないので出来るまでとりあえずといった暫定的な措置で作られる事があります。今回もそのケースです。それを独立したひとつの記事にすることは、歓迎される行為です。哲学的人間学をリダイレクトから独立させれば、改名の必要はないと思います。--ケンチン 2007年3月7日 (水) 10:19 (UTC)[返信]
共同執筆ですので人間学をひとつの独立した科学(学問)とするかどうかは別にして(人間科学なら別にして、個人的には難しいと思いますが)、人間学という名で様々な分野からアプローチが試みられていますので、ここではそうした各分野ごとの見地を書いていけば項目としては成立すると思います。--ケンチン 2007年3月7日 (水) 10:29 (UTC)[返信]


素早いご返事ありがとうございました。あくまで暫定的な処置だったのですね、出すぎたことを言ってしまったことをお詫びします。では、この項目はこの項目としての可能性を尊重しつつ、哲学的人間学の方を徐々にですが立ち上げて生きたいと思います。ご教示ありがとうございました! [[利用者:Katze] 2006年3月7日 (土) 20:55 (UTC)