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ノート:仁科芳雄

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サイクロトロン研究を表にするほどの価値はない。補足応用研究にしかすぎない。--240F:73:147F:1:70B0:4818:3F45:5C79 2018年7月13日 (金) 19:09 (UTC)[返信]


「サイクロトロンの建設」節を加筆したTatsubouです。ご意見をありがとうございます。私がサイクロトロンの研究を取り上げた意図をご説明いたします。60インチサイクロトロンが完成したときの時代背景は、太平洋戦争末期で日本は大変な状況にありました。東京は度々空襲を受け、落ち着いて研究できる状態ではありませんでした。当時、理研ではニ号研究が行われていました。原爆を一刻も早く完成させて起死回生を図りたい軍からの強い圧力を受けて、仁科研究室はニ号研究に全力を注がなければなりませんでした。しかし、仁科博士は戦時であっても基礎研究は大切、戦争が終わってフタをあけてみたとき、つまらない研究しかやってなかったら、恥ずかしい(国際的に)という持論を持っていました。これらの研究はこのようなギリギリの状況の中で行われたものです。60インチサクロトロンは、大した成果を挙げられないままGHQによって投棄されたしまいました。そのため、60インチによって何ができたのか、ということが私の知る限りどこにも出ていません。現代の目で見ればつまらない研究(研究者には失礼ですが)ですが、あの状況の中でこれ位のことしかできなかった、という歴史的な事実として残しておく意義があると考えています。--Tatsubou会話2018年7月15日 (日) 05:13 (UTC)[返信]