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ノート:今川氏真

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事実関係について

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  • 「今川流剣術の祖」について

[1]によると、仙台藩・佐倉藩に「今川流」を称する剣術や居合などがたしかに伝わっているようです。しかし[2]によると、「今川流」の「祖は今川越前守義真」とされているようです。「今川流の祖」についてのたしかな所伝があるのか、剣術史に詳しい方に解説していただければ幸いです。--桂鷺淵 2007年9月24日 (月) 15:54 (UTC)[返信]


  • 「今川氏真の寵臣・三浦義政」について

この三浦義政という人物は、『甲陽軍鑑』などに記されている氏真の寵臣・三浦右衛門佐義鎮なる美貌の「佞臣」と同一人物なのでしょうか? 「三浦正俊の一族」とあるだけで、詳細が不分明です。 どなたか造詣の深い方の御教示を願い上げます。

「評価」について

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「氏真の評価」につきましては、様々な議論・見方がありますので「評価が分かれる」で皆様のご意見を統一して頂ければ幸いです。--博物学博士 2005年12月20日 (火) 09:50 (UTC)[返信]

評価が定着していないのなら「評価」の項目を無理矢理作らなくていいと思いますが。歴史愛好家が最低の評価をしているとありますが、根拠が不明です。この人物に興味を持った人が文献や資料を見て判断すればいいことです。五郎兵衛 2005年12月20日 (火) 11:36 (UTC)[返信]

私も評価の項目は必要ないと思います。評価というものは主観的にならざるを得ないので、百科事典にはわざわざ評価の項目を作るべきではないと思います。--Jinnsg 2006年8月29日 (火) 13:45 (UTC)[返信]

私は「後世の評価」という項目は必要であると考えます。「氏真が愚将と評価されていた」ことは事実であり、それを今更「評価が定着していない」とするのは客観的とはいえないと考えます。「氏真は後世愚将と評価されていたが、その根拠となった点には割り引いて考える部分も多い」として反証を記述する方が事実に即していると考えます。--130.54.130.68 2006年10月16日 (月) 06:35 (UTC)[返信]

私は、評価は必要だと考えます。内政面での評価と、合戦(ほとんどないが・・・)の評価に分けて評価の部分は執筆すればいいと考えます。--麝香 2006年11月9日 (木) 10:57 (UTC)[返信]

合戦では、おそらく愚将ではなかったと見るほうが公平かと。武田信玄のあとを継いだ武田勝頼が、信玄の死から、武田家滅亡までは約9年間。状況は違っていても、武田信玄や徳川家康と相対して、氏真も同じ約9年間領地を守っていて、家臣の助命の条件で降伏に成功していることを考えると、外交的にはある程度の評価はできる。その後、のたれ死ぬこともなく孫を旗本に出しているあたりを考えると、少なくとも対人で失敗するような愚者ではない。今川義元が過大評価されて、その反動で過小評価されているのかと。--Revth 2006年12月1日 (金) 07:25 (UTC)[返信]

勝頼は愚将。氏真も愚将。と言ったらどうします? 結果として両方ともお家を滅ぼしてしまったわけですし。おそらく仰りたいのは史実からみて確かに政治力は多少評価できるということなのでしょうが、内政面・軍事面・外交面を分けて評価するのであれば「氏真が合戦において愚将ではない」という意見には賛同しかねます。Kuro-hato 2006年12月2日 (土) 05:55 (UTC)[返信]
「猛将は、愚将にあらず。ただ、勇将でもなし」といったところでしょうか。信頼の置ける朝比奈泰朝などに軍務を任せるというのは愚策ではないし、自分に軍事の才能がないと自覚していれば、「自らは戦わない」という選択肢を取るのは愚将とは呼べないでしょう。自分の才能を勘違いして、自爆するのが愚将の1つの定義だとしたら、負けるだけでは愚将にならない。軍事で「相手を殺して勝つ」をよしとしたら、「相手に殺されて負ける」が悪いことになりますが、「負けても生き残る」という選択肢は悪いわけじゃない。松永久秀のように、必要であれば降伏できるというのは、将としての器の大きさを示すものと見ますが。--Revth 2006年12月7日 (木) 09:23 (UTC)[返信]

確かに暗愚ではなかったのかも知れませんが、氏真を美化しすぎなように思われます。Kuro-hato 2006年12月9日 (土) 05:53 (UTC)[返信]

Wikipedia:独自の調査にあるように、Wikipediaは自分の独自の考えを述べる場所ではありません。Wikipedia:中立的な観点にあるように、特定の観点に偏らないことも必要です。中立的な観点のページ内にはこうもあります。

事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな

人物記事に「評価」欄を置く場合、その部分を書くウィキペディアンは評価してはいけません。「○○はこう評価している」「××はこう評価している」という事実を、出典を明記して書くのです。

「今川氏真は愚将である」というのは、事実というより意見です。これは書いてはいけません。しかし、「通説では『今川氏真は愚将である』と評価されてきた」というのは事実と言えるでしょうし、ウィキペディアという百科事典に記述する価値のある情報です。歴史通俗本や小説など、多数の出典が得られるはずです。学術論文や歴史事典などから持ってこれればなお好ましいといえます。一方、「今川氏真は非難されるほどの愚将ではない」というのも意見ですが、「△△はこれらの理由を挙げて『今川氏真は非難されるほどの愚将ではない』と評価している」というのは事実となり得ます。その評価が信頼できる情報源から公表されているなら、それを出典として記述すればよいのです。もちろん、△△=記事を書く人では独自の調査になるおそれがあります。

ウィキペディアでは、「○○は事実か」で議論するのではなく、「○○という記述には根拠となる出典があるのか」「それは信頼できる情報源と言えるのか」で議論するようにしましょう。

言うは易し、行うは難しなんですけれどね。--Hamo73 2007年1月6日 (土) 08:20 (UTC)[返信]

「評価」というのはつまるところ研究史なのですよね。例に挙げられている武田勝頼は武田研究においては近年着目されていて、研究者による人物論のようなものを発表されていますから、典拠つきの評価情報が描けます。今川研究は不案内なのですが、氏真に関する専論が展開されない限りは、評価情報を書けませんよね。--でここ 2011年1月22日 (土) 11:50 (UTC)[返信]

ちょうど10年マイナス6日前の書き込みに対するレスで難ですが、今川氏滅亡後の氏真の動向に関する論文を書かれた長谷川正一氏の氏真評を加筆いたしました。--水野白楓会話2021年1月16日 (土) 13:33 (UTC)[返信]