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ノート:仙台市都心部

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記述の整理・その他

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都市機能の節で官庁街やオフィス街の記述より、歓楽街、横丁・屋台の記述が先に来るというのがしっくりこない。

学生街の節は”見出しの中でリンクはしない”というWikipedia:スタイルマニュアル (見出し)から外れている。

新学生街の節は「仙台駅西口では、ブランド街を形成する一番町三丁目と比べ、デパートや大型店も含めてより若年層向けの品揃えをしている。」と書きつつ、数行先では「ファッション関連のブランドショップ(Paul Smith、Jean-Paul GAULTIER等)」とブランド店に触れている。どこのなにを説明してるのかさっぱりわからない。新学生街についての記述なのか駅前の記述なのかあいまいである。

また、仙台駅西口は学生街を形成してないので、仙台駅西口の節は要らない。

サブカルチャー地区の節は学生街の節の下より中心商業地の節の下にあったほうがわかりやすい。訪れる人が学生に限ったことではない。

東X番丁と北X番丁の節ではX番丁以外の通りについても触れているがわかりにくい。

全般的に説明がくどい。記述を整理させていただくが、いかがか。--のり230 2007年5月1日 (火) 12:04 (UTC)[返信]

> 『都市機能の節で官庁街やオフィス街の記述より、歓楽街、横丁・屋台の記述が先に来るというのがしっくりこない。』
仙台の都心は、三大都市圏の都心ほど機能分化が進んでいないため、業務と物販・サービス・飲食のどちらを先に書くかは私も悩みました。ただ、都心機能の背骨として「仙台駅西口と一番町の2つの極、および、それらを繋ぐ中央通りによるダンベル型」の物販・サービス地区を最初に提示し、そこに肉付けする方が分かり易いと思ってその順序に書きました。
> 『新学生街の節は「仙台駅西口では、ブランド街を形成する一番町三丁目と比べ、デパートや大型店も含めてより若年層向けの品揃えをしている。」と書きつつ、数行先では「ファッション関連のブランドショップ(Paul Smith、Jean-Paul GAULTIER等)」とブランド店に触れている。どこのなにを説明してるのかさっぱりわからない。新学生街についての記述なのか駅前の記述なのかあいまいである。』
「ブランド」には安価なカジュアルブランドから高価な高級ブランドまでいろいろとありますが、各々の地区でどのようなブランドの集積傾向があるか分かり易いように書いたつもりです。どのように混乱しているか説明お願いします。
地区の分け方については、「仙台駅前」が大型店がある青葉区中央1丁目辺り、「新学生街」の本町の項では、クリスロードや東四番丁がある中央2丁目と本町2丁目辺りを説明したつもりです。
仙台におけるブランド店は、以前は、「売上高も大きいが賃料も高い」という駅前や一番町のデパート・大型店内の店子での出店か、「売上高は小さいが賃料も低い」という「新学生街」での出店が見られ、Paul SmithとJean-Paul GAULTIERは後者の方式での出店でした。前者については、仙台VIVRE・仙台十字屋・E.Beansなどの駅前大型店の店子のブランド店が若年層向けに入れ替えが進み、VIVRE・十字屋がなくなってもその傾向が続いています。一番町では、地価下落に合わせてデパート内から路面店にブランドショップの出店形態が変化してますが、ターゲットとする購買層は30代以降に移行し、高級化が進んでています。各々の地区でブランド店の戦略が異なっているのだから、各々の地区のブランド店について説明することに問題はないのでは?
> 『サブカルチャー地区の節は学生街の節の下より中心商業地の節の下にあったほうがわかりやすい。訪れる人が学生に限ったことではない。』
学生街は、「登下校時の動線上」「地価が比較的安い」「床面積が狭い賃貸物件が多い」などを満たしますが、売上高が低い業種の多いサブカルチャー店舗は、仙台では主に賃料の安い学生街に出店しています。また、ビル内のアクセスの悪い階や横丁も賃料が安いため出店例があり、散在傾向があります。消費者側から見れば、確かに『訪れる人が学生に限ったことではない』のですが、仙台のサブカルチャー店舗の出店例は、消費者側の論理ではなく、出店者(経営)側の論理で分布しているため、学生街の後の方が論理的と考えそのような順番で記載しました。
> 『東X番丁と北X番丁の節ではX番丁以外の通りについても触れているがわかりにくい。』
仙台に詳しくない読者のため、メルクマールとなる大通りを基準にしてX番丁を並べました。X番丁の間の道についても、実際に存在するので記載しました。説明に関しては、通りの記事が出来るたびに縮小しており、スタブに近い感じです。
> (本文中)『仙台の学生街は昭和半ばまでに形成された旧学生街と、平成以降に形成された新学生街の二つがある。』
旧学生街は、明治時代に片平に第二高等学校 (旧制)が出来て以来の歴史があり、「昭和半ばまで」の根拠が分かりません。
新学生街の方は、仙台バイパス開通に合わせ、問屋街だった新伝馬町(現・クリスロード)から東部流通団地(卸町など)に問屋が移り、その跡地が小売の商店街化した経緯があり、平成以前から安価な物を売る地区でした。昭和後期に本町に専門学校や予備校が出来、次第に東四番丁やクリスロードが「新学生街」らしくなっていき、家具屋の郊外移転が進んだ時期と同期して専門学校・予備校の集積度も増しましたが、これは第二次ベビーブーマーの高校卒業に合わせた動きと、その後の高学歴志向などに影響されたものであり、「平成」という年号で括られるものではありません。ただし、クリスロード・東四番丁の「新学生街」の発展には「登下校時の動線」であるSS広瀬通駅やJRあおば通駅の開設が大きく影響しており、「平成になってから出来た」との錯覚はあるかも知れません。そういう意味で、この2駅の記載は必須ですが、何故記載を削除されたのでしょうか?
> 『全般的に説明がくどい。』
地図で示せればほとんど説明が要らないことも多いので、確かに説明がクドイと思います。また、専門用語がない業種について、いちいち説明をつけているので、さらにクドくなっていると思います。三大都市圏ほど大きくないため子記事もあまりつくれず、かと言って小さ過ぎるわけでもないため説明の分量が大きくなってしまい、執筆していて私もいろいろと悩みました。さらなるご助言お願い致します。 もね~るmoner 2007年5月1日 (火) 15:20 (UTC)[返信]
一つ目
都市機能の節は機能別に書いてあればよいのだと思う。もね~るmonerさんは仙台の中心商業地はダンベル型とおっしゃいますが、そういうのは仙台都市圏の構成の節に書いたほうがわかりやすい。仙台都市圏の構成は空間的配置の説明になってるのだし。
二つ目
新学生街の節はブランド店について詳しく知りたいのではありません。もね~るmonerさんがノートに書かれたようなブランド店住み分けの説明は、中心商業地の節に小節を設けて書いていただけると充実するかと思う。
三つ目
学生街におけるサブカルチャーの店舗に絞って記述されるのなら学生街の小節でよいかと思う。しかし、他の地区の店舗の説明が混在してることもあり、都市機能の一つとして扱うか、中心商業地の小節にしたほうがすっきりする。
四つ目
「東X番丁の現在の状況」と題してあったら、東X番丁について書かれていると期待して読みます。そこに他の通りの説明があるのは読者を混乱をもたらす。よって、「他の通りも含め西から東に順に列挙し、現在の状況を説明する」と変更しました。「北X番丁の現在の状況」についても同様。
また、通りの説明に駅名のみ書かれても位置を特定できませんので交差点について触れた。
(本文中)”国分町の東側を国分町と並走して南北にはしる道は、(略)全て南北に貫く通り”、”城下町を東西に貫く道には(略)全て東西に貫く通りである”
冗長な例です。
五つ目
まず、旧学生街についてですが、私が昭和半ばまでとしたのは、それ以降は衰退期ではないかと思っているからです。一番町の北側が歩行者天国になった頃から、青葉通り以南の一番町が廃れたというのがあります。また、市電が走ってた頃は南町通りからの人通りもあったのですが。
近年、新しい業態の店舗の立地もあるようなので、もね~るmonerさんのご指摘も取りいれ、”明治時代から形成されていった旧学生街”としたほうがよいのかもしれません。
そして、新学生街についてです。
> ”昭和後期に本町に専門学校や予備校が出来、次第に東四番丁やクリスロードが「新学生街」らしくなっていき”
専修学校の制度が1976年にできて、本町は70年代から80年代半ばにかけて予備校や専修学校の校舎が増えましたが、学生街とまではなりませんでした。70年代の本町は町外れであり、街灯も暗く、錦町公園は夕方になるとコウモリが飛んでました。用が済んだらさっさと帰る町でした。
> ”「新学生街」の発展には「登下校時の動線」であるSS広瀬通駅やJRあおば通駅の開設が大きく影響しており”、”この2駅の記載は必須です”
広瀬通駅やあおば通駅ができても、学校がみんな郊外にあったら都心部に新学生街は形成されなかったでしょう。(ただの繁華街になります)
> ”「平成」という年号で括られるものではありません。”、”「平成になってから出来た」との錯覚”
東北大学の門前町ではない新学生街が仙台都心部に成立・発展するのには、まず、都心に学校立地が進まなければ成立しません。
都心回帰の例としては郊外などに校舎が散らばっていた専修学校が1989年に花京院にまとまったというのがあります。仙台の大学・短大は7割が郊外立地ですが、専修学校・各種学校は7割が都心部に立地しています。1989年・花京院、1998年・中央、2001年・中央、2004年・中央というふうに都心部において、本町以外の地区にも専修学校が集積し、どこかしらで常に学生が歩いてる状態になってはじめて、都心で若者向けの小さい商売が成り立つようになったのだと私は思っています。
次に、学校が長期に渡って存続する見込みがないと学生街は発展しません。
専修学校の校地について旧国鉄用地の再開発が20年近くに渡り市議会でもめたことがありました。提携話で揺れた学校もありました。仙台には多数の専修学校がありますが、都心での校地・校舎確保問題の解決や、東京などの大手校との提携など、各校の運営について関心が出てきたのが1980年代末期から2000年代にかけてのことです。2002年には整理回収機構に債権が回った件につき『生徒さんたちの安心感を保証する』旨、市長が発言するなど、専修学校経営に対する危うさの払拭に注意が払われたことがありました。
都心に多数の学校があり、安定的に経営され、中長期的に学生が通うことが見込まれるからこそ、学生相手の商売をする商業立地が都心に加速するのです。
これらのことにより「平成以降に形成された新学生街」としました。
最後に全体を通すと、もね~るmonerさんなどによる以前の記述は、広瀬通駅やあおば通駅といった交通結節点の近隣地区における、ブランド店やサブカルチャーの店などの若者向けの新しい商業施設について書きたいのだろうとは推測できるが、学生街の節に書いてるのに、学生街以外の事柄を盛り込んでいるので焦点がぼけてしまっていた。それで私は記述を整理したいと提案したのである。--のり230 2007年5月5日 (土) 18:07 (UTC)[返信]

旧町名について

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メディアボランティア仙台という任意団体の辻標マップを参考に、北十番丁を仙台北警察署前の大通りから青葉神社通りに接続する細道の方に書き換えました。詳細を知っている方の編集をお願い致します。--もね~るmoner 2007年12月29日 (土) 08:53 (UTC)[返信]

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

仙台市都心部」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月25日 (月) 11:50 (UTC)[返信]