ノート:佐藤忠勇
正確性(2009/05/25)
[編集]この記事では1920年(大正9年)に御木本幸吉さんが真円真珠養殖術で特許を取得したように書かれていますが、御木本幸吉の2009年1月17日 (土) 02:03の版には「1908年(明治41年)、真円真珠の特許権を取得」、1918年(大正7年)に「良質な真珠が大量に得られるようになった」とあります。ミキモトのサイトに「1907年に真円真珠の養殖技術に関する特許が取得され」とあり、『図説 伊勢・志摩の歴史 下巻』51ページに大正4年に真円真珠事業化とありますのでWikipediaの御木本幸吉さんの記事が大幅に間違っているわけではなさそうです。複数の特許が取得されたのかなとは思うのですが、ミキモトは1913年にロンドン支店を開設したそうですから、「佐藤が的矢に来た目的は、真円真珠の養殖技術の確立であった」の部分の注釈にある「当時、既に御木本幸吉が英虞湾の多徳島で養殖に成功していたが、量産化には至っていなかった」は明確に事実に反すると思われます。
「1.流入する河川が3本[3]もあり」とありますが、3本とも小河川ですから「栄養分が大量に供給される」は疑問視せざるを得ません。家庭排水などが流れ込み有機汚濁が進んでいるとか、汽水域が形成されるとかなら納得するのですけど。
「1928年(昭和3年)、これまで潮間帯でしか養殖できないと考えられてきた牡蠣を海中で養殖する垂下式養殖法を確立した」とありますが、鹿児島県水産技術開発センターにあるPDFファイル『第 5 節 試験的養殖』によれば「1925(犬14)年(*ママ) 妹尾秀実と堀重蔵が考案したがき垂下養殖法が,宮城新昌によって事業化され,わが国のかき養殖の大発展の基盤となった」とありますし、平凡社の『世界大百科事典』でも小学館の『日本大百科全書』でも妹尾秀実さんと堀重蔵さんにより1923年に考案されたとありますので、1928年に佐藤さんが採用したのが事実だとしてもこのあたりの正確性は疑問視せざるを得ません。
どうもこれらのソースは『中部英傑伝』のようですが、少し調べれば間違いだとわかる話がいくつも書いてあるなら『中部英傑伝』の佐藤さんの部分は典拠として不適切に思われてなりません。ほかの資料を確認して史実であるのが確認できたにしても、それなら別の資料を典拠にすればいいだけです。
それと的矢かきに関する話が大部分で的矢かきの記事との重複が目立ちます。的矢かきに統合して整理する方がよいように思うのですが、皆さまのご意見を拝聴させていただきたくお願いします。--N yotarou 2009年5月25日 (月) 12:07 (UTC)
追加。鳥羽の浦村のかき養殖は昭和2年に始まったとのことなので、[近隣の浦村(現鳥羽市浦村町)や神明浦(現志摩市阿児町神明)でも事業を展開し始めた」のが事実であったとしても「特に浦村では「浦村かき」として現在では独立したブランドとなっている」は不適切な記述に思われます。--N yotarou 2009年5月25日 (月) 12:21 (UTC)
- 現在、私が収集できる情報は初版が限界ですので、ご指摘いただいた点につきまして、当方で修正することができません。申し訳ありません。ですので、問題部分は削除していただいてかまいません。ただ、一点だけ佐藤忠勇の項目を的矢かきに統合することには反対の意思を表明します。的矢かきとの重複部分とはうまく調節して何とか存続していただけないでしょうか。他の(ウィキペディアに掲載されている)学者と比しても、遜色ない功績をあげられた人物であると思いますので。--Miyuki Meinaka 2009年5月26日 (火) 03:42 (UTC)
「佐藤が的矢に来た目的は、真円真珠の養殖技術の確立であった」の部分の注釈にある「当時、既に御木本幸吉が英虞湾の多徳島で養殖に成功していたが、量産化には至っていなかった」は明確に事実に反すると思われます。
の部分ですが事実に反しているとはいえません。当初の御木本の戦略は特許をとって事業を独占化することでした。そのため事業化前に特許で押さえていったのです。真珠養殖は事業化可能と実証されてはいましたが、量産化はまだ途上でした。そして、養殖技術はまだいろいろな方式が乱立し養殖に関連する特許もたいへん多く出願されていた時期です。ミキモトのサイトは当然、PR的な意味があり、根拠としては弱いと言わざるをえません。また佐藤の出身は東北大学であり、御木本の研究者は東京大学系です。ライバルであるなら同じ目的でやって来たというのも不自然ではありません。遅れてやってきた感はかなりありますが。
それよりも、「垂下式」の正確性が確認されるべきでしょう。というのは「垂下式」は真珠養殖においては1920年以前に行われております。私は真珠養殖の技術を転用したと考えているのですがこのあたりはいかがでしょうか? --nakamiti 2009年11月28日 (土) 16:00 (UTC)
「垂下式」について 「大正9年(1920)カキ養殖で金網籠にカキの種苗を入れ中層に懸吊して試験し効果があることがわかって水産講習所で垂下式養殖法として大正12~13年に試験し昭和2年に発表され、その後種々改良され・・・」という記述を「真珠の事典」で見つけました。開発者名は不明です。 --nakamiti 2009年11月28日 (土) 16:28 (UTC)