ノート:催馬楽
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>源俊頼の「つくし舟 うらみを積みて 戻るには 葦辺に寝ても しらねをぞする」の歌が『袖中抄』に催馬楽として掲げられており
これを『袖中抄』が催馬楽として引用しているとは思えない。
催馬楽として引用されるのは《美濃山》(蓑山)であって、その後に俊頼歌が列記されているに過ぎない。
以下、『袖中抄』巻第十六(『日本歌学大系別巻2』、風間書房(1958))
一しゞね
人しれず物おもふときは摂津国のあしのしゞねのしゞねやはする
顕昭云、しゞねとはしげりなりけりと云事也。万葉には繁と書てしゞと読り。梶を繁貫をばしげぬくともよみ、またしゞぬくとも読り。又催馬楽にも、
みの山にしゞに生たる玉柏豊明にあふがたのしさ
是もしげく生たる也。然に蘆のしゞねとはしげき根を云也。其にそへて人しれず物思時はしげくはなかずと読るなるべし。又俊頼朝臣の経信卿におくれて筑紫より上けるに蘆屋にて終夜思つゞけて、
つくしぶねうらみをつみてもどるには葦屋にねてもしゞねをぞする
今案に(以下略)
高田与清『楽章類語抄』は俊頼歌を、「袖中抄巻十六ニ云、催馬楽に、つくし舟うらみを云々」として、「楽章補欠集」に載せているが(『日本歌謡集成巻2中古編』、春秋社、1929)、すでにこの時点で誤っていたとみるべきではないか。--Watahox(会話) 2015年8月26日 (水) 00:39 (UTC)