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ノート:児島高徳

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改稿案

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まず、明らかにおかしい部分について。「母は佐々木盛綱の娘・信夫。」とありますが、時代があいませんよね。

生没年については、諸説あってほぼ確実といえるようなものがないようなので、冒頭部では他の事典類と同じく「生没年不詳」としておいて、あとに紹介という形が無難かな、と思いました。なお、生年については初版から「応長元年(1310年)?」となっていますが、応長元年は、ユリウス暦に換算したとしても、1311年1月21日(改元があるので正確には5月17日)から1312年2月9日までということで、1310年はあり得ないですよね。あるいは、1310年の方が正しくて、応長元年の方が間違っているのでしょうか。

出自についても諸説あるわけですから、それらはすべて1つの節にまとめて後ろに置いて、序盤部分ではカットしてしまおうと考えています。ただし、養子の話があるので、全く触れないというわけにはいかないかもしれませんが。また、赤リンクになっている人名のうち、3人の子(高秀、高久、高範)と妻の父(河野和道)は記事化するのは無理なのではないか、と思います。妻子の節を作って簡単に紹介しておこうかと考えています。

あと、お墓の写真が晩年について言及する部分にあった方が良いかな、と思いました。--oxhop 2007年3月26日 (月) 14:36 (UTC)[返信]


髙?

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私の手元の資料では「兒島高德」となっていますが、「髙」とする資料はあるのですか?