ノート:全日本仏教会
ただ宗教、歴史他の要素にやや偏向、曲解した形で自己主張をする向きもあり内閣総理大臣の敗戦記念日に合わせた靖国神社参拝への反対表明、戦時中の国家による宗教統制に反対した僧侶、在家信徒への活字や放送を通じた顕彰など「神道悪玉説」「仏教善玉説」とも受け止められない姿勢が概ね「神仏習合」を基本としてきた日本仏教の姿と乖離しているのではないかという批判を受けることもある。
現職総理靖国参拝への反対表明、戦時下宗教統制への反対者顕彰が「やや偏向、曲解した形」であるとするのはPOVですね。仏教団体からなる法人なので仏教視点の主張をするのは当然で、敢えて「自己主張」という語句を用いているのは悪質な誘導です。宗教が主張するのは当然ですので。 聞いた事もない「神道悪玉説」「仏教善玉説」という言葉を鍵括弧付きで用いてリンクまで用意されておられますが、その後に「「神仏習合」を基本としてきた日本仏教」と続けるのは、これまた『国体の本義』視点からのPOVです。
この概説部分は削除してしまって構わないと思います。218.41.180.248 2009年11月10日 (火) 23:34 (UTC)
「~仏教視点の主張をするのは当然で、~」の指摘についてその意見も反映させる形で編集しました。また、巨大な団体が多くの仏教徒をいやがおうにも巻き込む形式で「抗日烈士の顕彰」を行う姿はマッカーサー元帥の訴えられた「政教分離」の精神にもとる行いでありそれら行動をGHQ史観で進める姿勢を非難されても仕方ないと見ます。また日本の宗教文化の最大公約数としての「神仏習合」は日帝時代の『国体の本義』視点のみならず現代、21世紀の学研、講談社、幻冬社ほか多くの出版社の学習本(思想的、政治的偏向が無く複数の著者が加わって書かれたもの)により多く記述が見られこれが「軍国主義」というなら西洋の一神教思想こそが正義だ!と逆にすごくラディカルなターリバーン史観に読めてきますよ。--211.130.161.108 2010年5月16日 (日) 06:04 (UTC)
GHQ史観やら、政教分離の精神やらについては意味が分からないので省きます。神仏習合が「日本の宗教文化の最大公約数」というのは、一体誰の理解なのですか?出典はあるのですか?一つの傾向、現象に過ぎませんよ?平田篤胤が浄土教諸宗派と法華宗の二つを名指しして、日本の宗教文化に馴染まない異物と批判しています。浄土教と日蓮教は、神仏習合の枠外にある・神道を無視するからです。これに無神論的傾向の強い禅宗を併せれば、いわゆる鎌倉新仏教は神仏習合的な「日本の宗教文化」に対するアンチテーゼと理解される側面も成立します。「顕密体制論」などの登場で、鎌倉新仏教が旧来的な神仏習合世界観を塗り替えたという過大評価は是正されたものの、神仏習合が「日本の宗教文化の最大公約数」という表現は仏教史を知らなさすぎます。「21世紀の学研、講談社、幻冬社ほか多くの出版社の学習本」これら一般書で概説的に述べられている文章を、自身の都合の良いように拡大解釈し過ぎです。総論的な文章を自信をもって書きたいのならば、宗教学か仏教学か民俗学が歴史学か、専門書をこそ挙げるべきでしょう。これがターリバーン史観ならば、印仏学会や仏教学会もターリバーン史観の勢力が強いですよ?一神教思想云々は、何を言われているのか理解できませんが...。それにしても、「偏向」「曲解」「自己主張」の語を含んだ文章が、削られたり戻されたりの繰り返しの挙げ句、出典がいつまでも提示されずに手付かずで残っている。こんな状況では、それこそ偏狭な信条を持った人間以外、根気が続きませんね218.221.136.218 2010年10月7日 (木) 07:08 (UTC)