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ノート:全融

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蒲池鑑広の三男、とありますが、いろいろ系図を調べたところ、蒲池鑑広の子は鎮運、鎮行、鎮光、鎮泰の4子であり、三男に「鎮種(鎮胤)」なる人物は見られません。また、三男・鎮光は中野姓を名乗り、立花氏に仕えたともあり、本項目の記述とも合致しないように思われます。誰か詳しい方の補記・修正を求めたいです。--ポテンシャル0 2008年10月25日 (土) 11:50 (UTC)[返信]

・蒲池鎮運は秀吉の朝鮮の役の時に釜山で病死しており、嫡子の吉広は幼少だったことから、吉広が成長するまで鎮行が後を継ぎ、上蒲池の系譜は、ここで鎮運系と鎮行系に分かれ(詳細は、田渕義樹「蒲池氏考─文書と系図から─」『柳川市史』。田淵氏は福岡県立柳川古文書館研究員 )、おそらく記載上、若干の混乱があったのではないかと思われます。『西念寺縁起』や同寺伝来の蒲池系図、下野宇都宮正統系図、また蒲池吉広の子孫に伝わる『蒲池家譜』などは、蒲池鑑広の三男は全融(俗名、鎮種、鎮胤)になっているようです。鎮光は中野氏、鎮泰は星野氏の養子となったことから、これらの系図には記載されず、中野系図や星野系図の方に記されているのではないかと思います。--Fgxwzypq 2009年7月15日 (水) 11:50 (UTC)[返信]

詳しい補足説明ありがとうございました。--ポテンシャル0 2009年9月28日 (月) 14:48 (UTC)[返信]