ノート:公同信条
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[編集]出典に福音派を含めたプロテスタントの文献しか使われていません。超教派の記事に対するあまりに無神経な構成です。「出典の偏りを是正して下さい」と何度も初版執筆者に申し入れているのですが、今回も無視されている事に深い遺憾の意を表明し、今後コメント依頼等も有り得る事をさらに申し添えます。大変残念です。--Kinno Angel 2010年6月13日 (日) 16:12 (UTC)
- 宗教改革者マルティン・ルターの用語がどうして、ローマ・カトリックや正教を含めた超教派の記事ですか。Kinno Angelさんの認識間違いです。これはプロテスタントについての説明です。プロテスタントの記事にプロテスタントの文献を使って何か問題がありますか。正教の記事を書くときにだっていちいち、プロテスタントの文献から「イコン崇拝」、「怪僧ラスプーチン」と書く必要はないでしょう。プロテスタントの記事としては間違いないのですから、観点をはずすように求めます。--Evangelical 2010年6月13日 (日) 22:48 (UTC)
- 「プロテスタントの記事としては間違いないのですから」本当にそうなのでしょうか?
- Evangelicalさんが大いに尊重なさる英語版en:Ecumenical creedsでは「西方教会で使われる単語」とあるのですが、これとは別概念なのですか?--Kinno Angel 2010年6月14日 (月) 10:54 (UTC)微修正。そもそも「ラスプーチン」と言えば正教の批判に値する部分、と考える時点で随分通俗的だなと思えてしまうのですけれどね…--Kinno Angel 2010年6月14日 (月) 11:00 (UTC)
- 日本語で公同信条を検索してみました。ローマ・カトリックや正教に関連付けたものは見つかりませんでした。そもそも正教は使徒信条とアタナシオス信条を公式には認めていないはずです。使徒信条を使うからローマ・カトリックとプロテスタントの使徒信条の解釈がまったく同一だと考える人があるいはいるのかも知れませんが(Kinno Angelさんがそうだと言っているわけではありません)、それは無理解です。英語版の出典を見ましたが、メゾシスト合同教会という合同教会のものしかありませんでした。プロテスタントによるローマ・カトリックやリベラル派に対する批判は、詳細かつ膨大なものがありますが、それに比べるならプロテスタントの文献における正教への言及自体がわずかです。--Evangelical 2010年6月14日 (月) 11:15 (UTC)
- 結構です。文言が気になりますので(文言にも注意して下さいと繰り返し申し述べている筈なのですが)或程度修正をかけた上でタグを外します。修正内容に御異議があれば、修正なさるなりノートに新たに議論を提起なさるなり、お願いします。但し今回の事で少しお分かりになったかと思いますが、英語版にも問題はあるのだということ、よく御記憶下さい。--Kinno Angel 2010年6月14日 (月) 11:21 (UTC)
質問(基本信条、世界信条、公同信条)
[編集]そもそも基本信条、世界信条、公同信条は別概念なのでしょうか?既に記事基本信条があるのですが。--Kinno Angel 2010年6月14日 (月) 11:28 (UTC)
- なお、基本信条の方には出典もありません。出典があるという点ではこちらの記事の方が優れていると思いますので、こちらの記事を消すべきとは全く思いません。もし同概念なのであればこちらの記事「公同信条」をベースに、統合という手段が採られる事を希望するものです。--Kinno Angel 2010年6月14日 (月) 12:16 (UTC)
- 使用例として尾山令仁著『クリスチャンの和解と一致』(ISBN 4901634143)では、この四つをキリスト教に共通する「基本信条」と呼んでいるので、基本信条と公同信条の概念が重なる場合と重ならない場合があることがわかります。『クリスチャンの和解と一致』p.140はローマ・カトリックと正教について「彼らは決して異端ではなく、私たち聖書信仰の立場に立つクリスチャンとの間に共通の信条があります。」と書いてありますが、宇田進著『福音主義キリスト教と福音派』p.65-66の「公同信条」の解説では「この教会観は、後に見る通り16世紀の宗教改革においても再び強調された。だが、これとは著しい対照をなして、2世紀末から中世にかけてもう一つの違った教会観が発達していった。それはキリストの権能を委託されたかのようにあがめられる教皇を中心とする、外的制度としての教会、つまりローマ・カトリックの教会観である」としています。アリスター・マクグラス著『キリスト教神学入門』(翻訳p.44、英語ペーパーバックp.19) はthe ecumenical creedsの訳語として「世界教会信条」をあて、「教父時代には二つの信条が、あらゆる教会から権威あるもの、また尊重すべきものと見られるようになった。」とし、その二つに使徒信条とニカイア・コンスタンチノポリス信条をあげています。この二つあるいは四つで確認された信仰内容が全キリスト教の信仰であるのは確かですが、それぞれの教派によって数も違いますし、呼び方も違いますし、理解も違います。上記の教会観に関する見解をローマ・カトリックが認めるはずはありません。ローマ・カトリックが「基本信条」、「公同信条」、「世界教会信条」の語を使うかどうかも不明です。--Evangelical 2010年6月14日 (月) 13:06 (UTC)
- すみません、何を仰りたいのかよく分かりません…。「基本信条と公同信条の概念が重なる場合と重ならない場合があることがわかります。」についてですが、重なる場合、重ならない場合について、具体的に御教示をお願いします。「『クリスチャンの和解と一致』p.140は」以降は信条の教派ごとの扱いの差を述べておいでに過ぎず、語彙・概念の説明には一切なっていません。--Kinno Angel 2010年6月14日 (月) 15:08 (UTC)
- 時間をかければ用例をもっとあげることはできるかと思いますが、独立教会と独立正教会のようにあえて分けて作られた記事もありますし、教派ごとに分けた方が混乱を招かないでしょう。この信条の解釈が教派によって違うのです。また、ローマ・カトリックが使わない語ならば、プロテスタントの記事として作って問題ないはずです。今の所「基本信条」と「世界教会信条」の語をローマ・カトリックが使うのか使わないのか私にはわかりません。--Evangelical 2010年6月14日 (月) 16:04 (UTC)
- えーっと…申し訳ないのですが全く意味不明です…
- 挙げられた例:「独立教会」と「独立正教会」は概念がイコールではない部分があるから立項されている訳です。イコールではないとは、こういう↓事です。
- 独立正教会 ⊂ 独立教会 (I:概念がイコールではない包含関係)
- 仮に、以下のような概念差があるのなら、別々に立項されるのは適当です。
- 公同信条 ⊂ 基本信条 (I:概念がイコールではない包含関係)
- しかしながら含まれる概念が
- 公同信条 = 基本信条
- なのであれば、別々に立項する意義があるとすれば次の場合に限られます。即ち日本語の運用として別々になっているケースです。例えば
- 三位一体の神 = 至聖三者 (II:日本語の運用として別々になっているケース)
- のケースが挙げられるでしょう。
- 「教派ごとに理解が違うのだから」そんな事は仰るまでもなく当然です。私は今回の件、上記のIかIIのいずれかに該当するのですか?と伺っているのです。この疑問に対して「「基本信条」と「世界教会信条」の語をローマ・カトリックが使うのか使わないのか私にはわかりません。」では説明になりません。概念差は無い(少なくとも内容を見る限りはそうです)、他教派での術語運用については分からない、…では、IにもIIにも該当しません。
- 繰り返します、「基本信条」と「公同信条」に違いは無いのですか?違いが無いのなら「公同信条」に統合して下さい。別に私はEvangelicalさんの労作を否定しようとは全然していないのです。概念に差が無いのなら、出典抜きの「基本信条」を有益な部分だけ抜き出して「公同信条」に統合した方が合理的です。術語運用に差があるのなら、「『基本信条』は○○派、○○派で使われるが、本項では『公同信条』の語彙を用いる教派における理解について述べる」といった文言が必須です。読者が混乱します。--Kinno Angel 2010年6月15日 (火) 10:50 (UTC)
- 簡潔にまとめます&もう一度繰り返します、公同信条と基本信条の違いを説明して下さい。
- 含まれる各信条に差が無くとも、「『公同信条』は甲派、乙派で使われる呼称であり、甲派、乙派の理解について扱う記事とすべきであり、『基本信条』は丙派、丁派で使われる呼称であって、丙派、丁派の理解について扱う記事とすべきである」といったお答えであれば無論納得します(上で申し述べた「II」のケースに該当します)。--Kinno Angel 2010年6月15日 (火) 10:55 (UTC)
- 基本信条の記事の履歴を確認しましたが、その項目を書かれたのはLRさんでした。LR氏は多くの知識をもっておられるのはわかるのですが、出典を付けてくれず、教団の立場から書いて注釈をつけない傾向がありました。LR氏が書かれた通り、基本信条が西方教会全体で使われる語であるというなら、Kinno Angelさんが言われた出典の偏りの問題が出てくる可能性があるので警戒しています。公同信条と基本信条に違いがあるともないと断言できないのは、ローマ・カトリックで使われる語かどうかわからないからです。そのため使用例をあげました。由来からすれば公同信条がプロテスタント宗教改革者マルティン・ルターによって使われた語であることは確実です。また基本信条がプロテスタントの語彙であることもほぼ確実だと思います。出典がない基本信条の記事からどこを抽出したらいいのかも難問です。--Evangelical 2010年6月15日 (火) 11:36 (UTC)
- すみません、何を仰りたいのかよく分かりません…。「基本信条と公同信条の概念が重なる場合と重ならない場合があることがわかります。」についてですが、重なる場合、重ならない場合について、具体的に御教示をお願いします。「『クリスチャンの和解と一致』p.140は」以降は信条の教派ごとの扱いの差を述べておいでに過ぎず、語彙・概念の説明には一切なっていません。--Kinno Angel 2010年6月14日 (月) 15:08 (UTC)
- 使用例として尾山令仁著『クリスチャンの和解と一致』(ISBN 4901634143)では、この四つをキリスト教に共通する「基本信条」と呼んでいるので、基本信条と公同信条の概念が重なる場合と重ならない場合があることがわかります。『クリスチャンの和解と一致』p.140はローマ・カトリックと正教について「彼らは決して異端ではなく、私たち聖書信仰の立場に立つクリスチャンとの間に共通の信条があります。」と書いてありますが、宇田進著『福音主義キリスト教と福音派』p.65-66の「公同信条」の解説では「この教会観は、後に見る通り16世紀の宗教改革においても再び強調された。だが、これとは著しい対照をなして、2世紀末から中世にかけてもう一つの違った教会観が発達していった。それはキリストの権能を委託されたかのようにあがめられる教皇を中心とする、外的制度としての教会、つまりローマ・カトリックの教会観である」としています。アリスター・マクグラス著『キリスト教神学入門』(翻訳p.44、英語ペーパーバックp.19) はthe ecumenical creedsの訳語として「世界教会信条」をあて、「教父時代には二つの信条が、あらゆる教会から権威あるもの、また尊重すべきものと見られるようになった。」とし、その二つに使徒信条とニカイア・コンスタンチノポリス信条をあげています。この二つあるいは四つで確認された信仰内容が全キリスト教の信仰であるのは確かですが、それぞれの教派によって数も違いますし、呼び方も違いますし、理解も違います。上記の教会観に関する見解をローマ・カトリックが認めるはずはありません。ローマ・カトリックが「基本信条」、「公同信条」、「世界教会信条」の語を使うかどうかも不明です。--Evangelical 2010年6月14日 (月) 13:06 (UTC)
統合も視野に入れた議論
[編集]- Evangelicalさん、合意を経ないままにリダイレクト化する事はおやめ下さい。然るべき手続きと論拠があれば私も統合に賛成しますので、どうか拙速を避けられますようお願いします(悪しき前例になりかねません)。
- 『カトリック大辞典』(上智大学編纂、冨山房、昭和42年第七刷)に、symbola oecumenicaの項目は私が見た限りにおいては確認出来ませんでした。現在のカトリック教会においてはどうか分かりませんが、どうやらグーグルで検索した限りでは、カトリック教会において「公同信条」「基本信条」の語彙は使われていないようです。
- ただ、グーグルで検索して色々ページをみてみると、「基本信条」については「公同信条」とは違う内容で捉えている教会もあるようには思います。「使徒信条などの基本信条」といった説明をしているプロテスタント教会もあるようです。その辺についてどうお考えですか。術語運用につき本文中で言及する程度で構わない、とEvangelicalさんはお考えですか?--Kinno Angel 2010年6月16日 (水) 04:39 (UTC)
ウィキペディア日本語版の公式な方針にこうあります。 出典を示す責任は掲載を希望する側に「出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。このため、執筆者は出典を明記すべきです。定評のある情報源がない場合、その話題に関する記事はウィキペディアで立てるべきではありません。」「信頼できる情報源を欠く編集は、除去されるのもやむを得ません。」
「基本信条」の記事は「西方教会」の信条としながら、情報源そのものがありませんでした。そこで除去し、リダイレクト化しました。東京基督教研究所訳『基本信条』(新教出版社)の解説を確認しましたが、公同信条、基本信条いずれにしてもプロテスタントの語彙であることは間違いないようです。出典が付けられるなら「術語運用につき本文中で言及する程度」よりも詳細な記述があったほうが望ましいとは思います。--Evangelical 2010年6月23日 (水) 22:43 (UTC)
- リダイレクト化について納得いきませんでしたので、Wikipedia:井戸端#出典が無い事を理由とした、全面削除とリダイレクト化は容認されるのかに問い合わせをしておきました。統合・改名の手段によってもEvangelicalさんの目的は達成出来るでしょうし、私もそれならば反対しないのですが、他記事への甚大な悪影響が懸念され得る手法を採られた事は大変残念です。--Kinno Angel 2010年6月24日 (木) 05:28 (UTC)
- こんにちは。井戸端を拝見してこちらに来ました。一般論として「出典のない記述は削除可能」はWikipediaの編集原則なのですが、「気に入らない記事の瑕疵につけこむことによって排除するため」の方便として利用することも可能な原則ですので、慎重にお願い致します。私は当該話題についてはまったく知識がありませんが、記事:基本信条は一見するだけでなんらかの文献的背景をもった記述であるように読めました。このような場合はいきなり削除するのはあまりに「もったいない」ので[要出典]タグあるいはテンプレート[1]を利用してみてはどうでしょうか。Wikipediaはつねに作成中です(Wikipedia:編集方針)。現在の記述が完成された最善のものでなくてもいいのです。完璧でなくてもよいのです。編集を楽しんでください。--大和屋敷 2010年6月24日 (木) 07:16 (UTC)
「基本信条(きほんしんじょう)は、キリスト教の正統教会が共有する正統教義もしくは正統的な教理を規定する信条で、別称、世界信条。おもに西方教会で使われる概念。具体的には使徒信条、ニケア・コンスタンチノポリス信条、カルケドン信条、アタナシオス信条を指し、これに原ニケア信条を加えることもある。」
おもに西方教会で使われるとありますが、ローマ・カトリックが使わないのなら、「おもに西方教会で使われる概念」とするのは不適切です。
「カルケドン信条を、あくまでニケア・コンスタンチノポリス信条の解釈を規定するものとしてカルケドン定式と呼び信条には数えない教派もあるが、これはカルケドン信条の内容の軽視や非準拠を意味するものではない。」
具体的な教派がわかりません。「意味するものではない」と断言するなら、出典がいるでしょう。
「また、東方教会では一般に使徒信条とアタナシオス信条を告白しない。これは両信条が西方で成立し、公会議(全地公会)議決によって正式に承認されたものではなく、むしろ慣行の中で流布していった歴史的経緯によるもので、東方教会が両信条の内容を否定しているということを必ずしも意味しない。」
これは東方教会の記述ですが、東方教会側の文献どころか、情報源がいっさいありません。
「教会の東西分裂(大シスマ)以前の公会議で決定された基本信条は、東方教会、西方教会を通じて有効であり、すなわちキリスト教界全体に共通の公同にして福音的な正統信仰の基本となっている。その為、教義上の対立者を安易に異端宣告して排斥するような事がなくなった今日でも、これらの基本信条に言い表わされる信仰に抵触する信仰理解を持つ特定分派は「異端」と判定される。」
「東方教会、西方教会を通じて有効」とありますが、「有効」の意味が教派によって違います。プロテスタントの場合、信条、信仰告白は聖書に従属します。この場合の「異端」とはキリスト教ではないという意味で、これほど重要なことを書くなら出典を付けるべきです。
この記事を書いたLR氏は膨大な知識をもっておられるのですが、出典をつけてくれないのです。日本基督教団/200704過去ログ お願い「上の議論でも、みなさま複数資料をあたって書いておられるようですが、項目の末尾にそれらの資料を参考文献としてあげていただけないでしょうか。」というお願いに対して、「それはウザくてしょうがないので、本見て書いたときとモメた時にさせていただけませんか。私見としては、資料を引き写すしかない=執筆資格がない素人=資料選定眼そのものがあてに出来ない、だと思っていますので、当事者としてソラで書けない記事には手を出さないようにしているのですが。LR 2005年8月27日 (土) 03:44 (UTC) 」と答えておられます。また、2008年9月19日 (金) 03:13 を最後に投稿しておられません。リダイレクト化した理由はここにもあります。--Evangelical 2010年6月24日 (木) 13:24 (UTC)
- 参考のため、東京基督教研究所訳『基本信条』(新教出版社)から引用します。
- 「基本信条は同義の外国語が種々あることからみても明らかな様にその概念は必ずしも明らかではない。」「また何を基本信条と呼ぶかということについてもギリシャ教会、ロマ教会、プロテスタント教会の三者の間に意見の一致はないのである。」p.23
- 「大体の傾向から之をいえば、ギリシャ教会は「世界総会議」を重んずる立場から基本信条を選び、ロマ教会は教会の形式的権威に基く伝統の立場に立ち、プロテスタント教会は聖書の権威に基づいて聖書の立場から容認できるものを福音的理解をもって採用するのであると言えば、大した間違いを犯さないと思う。」p.24
- 「かくして基本信条を信条として教理的な意味において用いることについては各教会によいって相違があるが、之を典礼的に用いる場合には、歴史的制限や細かい字句上の詮索は大した支障を来たさない。そこで基本信条は礼拝において或いは個人の敬虔の生活において典礼的に用いられる場合が多いのである。」p.26
- 本の題名は『基本信条』ですが、LR氏の記述内容と対応していません。--Evangelical 2010年6月24日 (木) 15:22 (UTC)
- ここでは誰も「基本信条」の記事内容が正しい、とは言っていませんよ。それに対して「「基本信条」は、かくかくしかじかで不適切な内容だった」と繰り返されても、話が噛み合いません。
- Evangelicalさんはなぜ統合という手法を採られなかったのかについてのご説明、こういった事が前例として認められてしまうと危険だと言う他の方からの指摘にはお答えになっていません。--Kinno Angel 2010年6月24日 (木) 16:19 (UTC)
私の問題意識はプロセスへの懸念です:議論場所誘導
[編集]- 何度も繰り返しますが、「基本信条」の内容の是非はここでは問うていません。「基本信条」にはかくかくしかじかの問題点がある、と強調されても、「そうなんですか。大体納得しました。統合後、削除すれば宜しいでしょう」が私の答えになります。
- 私の懸念はあくまでプロセスにあります。ですから改名とか統合であれば、納得いく説明があれば認めたと思う、と繰り返している筈なんですが。
- 「記事Aに出典がゼロ」→「同概念(ほぼイコール概念)のページを別名A'で作成」→「合意を特に取らずに告知抜きで記事Aを全面削除しA'にリダイレクト化」
- こういう事、一般論としてやっちゃっていいのか?という事なのです。ヤバイ前例になるんじゃないかと思うのですが…。既に前例が沢山あって、適正に処理されているということを、私が知らないだけなんでしょうか。
- 取り敢えず、この点についての議論は一般論として重要なものになってまいりましたので「Wikipedia:井戸端/subj/出典が無い事を理由とした、全面削除とリダイレクト化は容認されるのかで続きをお願いします。
- Evangelicalさんが統合に応じて下さればこういう議論も必要無かったのですが…どうも統合について誤解されておいでのようですが、私は手続き上の問題を指摘しているのであって、「統合した後で内容を残せ」とも言っていないのです。「統合→疑問のある部分を削除」では、なぜいけなかったのでしょうか。--Kinno Angel 2010年6月24日 (木) 16:43 (UTC)
- なお続きはWikipedia:井戸端/subj/出典が無い事を理由とした、全面削除とリダイレクト化は容認されるのかでお願いします。「別に大丈夫じゃないか」という編集者が多数いらっしゃるようなので、「私の杞憂なのかな」という思いもし始めております。後1週間ほど様子をみて、懸念を示す編集者よりも「大丈夫なんじゃない?」という編集者が圧倒的多数であれば、私の懸念は杞憂であるとして、本件のEvangelicalさんによるリダイレクト化を容認させて頂きます。--Kinno Angel 2010年6月24日 (木) 16:49 (UTC)
- お返事を失念してしまい大変恐縮ですが、大和屋敷さんは少し懸念を表明されておいでのお立場ですね。大和屋敷さんの「慎重に」との御意見も参考にさせて頂きます。さらに井戸端該当ページで多くの方の御経験に基づく判断を伺いたく思います。--Kinno Angel 2010年6月24日 (木) 17:04 (UTC)