ノート:准太上天皇
史上で准太上天皇となったのは小一条院だけであり、それに架空の人物である光源氏が加えられるだけです。この項目にある「皇位に付かずに太上天皇尊号を送られた皇族」の、小一条院以外の人物は、いずれも准太上天皇ではありません。彼らは、皇位には就かなかったものの正式の太上天皇となったか、または死後の贈太上天皇かのいずれかです。したがって、この表の中では小一条院のみを残し、他は太上天皇の項に移動すべきと考えます。--211.2.48.202 2008年10月25日 (土) 15:09 (UTC)Sie
きわめて大きな誤解があるようなので訂正しておきます。
敦明は、あくまでも「太上天皇に准ぜられた」のであって、太上天皇そのものではありません。一方、守貞・義満・貞成・誠仁・典仁の5人とも、正真正銘「太上天皇になった」のです。生前の尊称か死後の追尊かの違いはありますが、5人は太上天皇そのものです。准ぜられたのではありません。
敦明とほかの5人との違いは、院号にも表れています。敦明の「小一条院」は生前に与えられたものですが、ほかの5人の院号(典仁は天皇号、義満は法号が私諡となったもの)はいずれも死後の諡です。違いははっきりしています。
「天皇でない者・なかった者が正式に太上天皇とされるはずがない、それは太上天皇に准ぜられたのだ」というのは誤った先入観です。子が天皇であって父が天皇でない場合に、子から父に天皇や太上天皇の称号・地位・待遇が贈られるのはごく一般的な事象です。中国や朝鮮にまで視野を広げれば実例はさらに増えます。子が人君であって父が臣下であっては孝道に背くからです。魏の曹操は生前には皇帝になっていませんが、息子の曹丕が皇帝になったあと皇帝とされました。諡も武王から武皇帝に変更されています。これも正真正銘の皇帝であり、あくまでも皇帝として子孫の祭祀を受けるのです。日本のものはその模倣です。
(参考)米田雄介編『歴代天皇・年号事典』 吉川弘文館、2003年。--呆庵入道 2009年7月6日 (月) 19:18 (UTC)