ノート:前田利春

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「前田利春」から「前田利昌」への改名提案[編集]

括弧なしの前田利昌への改名を提案します。理由は、前田利春は後世に子孫が改名させた可能性が高いことと、藩主の前田利昌よりもこちらの利昌の方がわずかに著名とかんがえられるからです。--利用者:Nalc 2008年3月24日 (月) 17:08 (UTC)[返信]

(コメント)まず、署名して下さい。で、「著名と考えられる」や「可能性が高い」とかそういうのでは無く、改名に納得できるような文献なり、具体的なデータを提示して下さらないと、判断のしようが無いです。今のままでは反対せざるを得ないです。--巴投 2008年3月27日 (木) 04:42 (UTC)[返信]
署名の脱落は単純ミスです。すみません。逆にお聞きしますが、前田利春の本文に書かれていることを読んだ上で、それでもなお判断のしようがないとおっしゃられるのでしょうか?記事の内容と矛盾するような記事名を放置することの方が問題ですよ。あと、わざわざパイプ付リンクをつかって前田利昌のようにしている記事や、利家の父へのリンクの意図で前田利昌とそのままリンクしてある記事はかなりありました。後者については修正済ですが。--Nalc 2008年3月27日 (木) 12:16 (UTC)[返信]
(コメント)私は「前田利昌」が「前田利春」よりも優先される、改名するに足る理由を示してくださいと言ってるのですが。「A文献のどこどこに「前田利昌」と書いている為、改名を提案する」とか「Bという情報・データによると「前田利昌」がよく使われている」というような具体的なものを提示して下さい。あと、記事作成に当っての出典も明示されていないような記事を見て「判断しろ」と言われても返答のしようがありません...--巴投 2008年3月27日 (木) 14:14 (UTC)[返信]

参考資料です。

  • 『国史大辞典』(吉川弘文館)は「前田利春」で立項。
  • 国の重要文化財になっている肖像画の名称は「絹本著色前田利春像」(国指定文化財等データベース参照)。
  • 寛政重修諸家譜」では、「利昌」の脇に「或利春」と付記。
  • 岩沢愿彦『人物叢書 前田利家』(吉川弘文館、新装版)は、「利昌(利春)」という書き方。
  • エンカルタの「前田利家」の項は、「利春(利昌)」という書き方。

Nalcさんの提案理由の1点目に関しては、調べても見つからなかったので、要出典テンプレートを貼付させていただきました。ご存知であれば、情報の提供をよろしくお願いします。

2点目に関しては、大河ドラマが放送されていた頃ならともかく、今となってはどっちもどっちでしょう。この人物は、ほとんど前田利家の父というだけの理由で単独記事になってるような感じなので、「利昌」にするのなら括弧つきは避けられないと思います。--oxhop 2008年3月29日 (土) 13:48 (UTC)[返信]

現在の前田利春の変更履歴を見ると、初版の記事の冒頭での名称は「前田利昌」となっており、かなり複雑な記事名の変遷を経た経過、いわば次善の策のような形で現在の「前田利春」記事名に落ち着いた、異論はあるでしょうか少なくとも私としてはそのような認識を持っております。前田利昌への改名は管理者の作業が必要な分、移動の合意形成と移動依頼、それと管理者の作業という手間がかかりますが、一度利昌へ戻した上で、記事の正確性を吟味した結果、利春へ再改名することは非常に容易です(移動とリンク先の修正だけですみます)。記事内容の抜本的改訂を見据えた議論や作業というのはかなりの手間と労力が必要なので、一度移動依頼をお願いして前田利昌へ改名させた上でぼちぼち取り掛かろうかという認識でいたのですが、思わぬ横槍(Oxhopさんのことではありません)が入ってしまいたいへん不快な気分になり、作業をつづける動機を失ってしまいましたので私としてはこれで手を引きたいと思います。--Nalc 2008年3月29日 (土) 14:06 (UTC)[返信]

(コメント)Oxhopさん、文献・資料・データ有難うございます。利春・利昌半々の感じでどちらとも言い難いですが、利春がやや優勢な感じもありますね。
ただ、提案者が作業放棄したようですので、改名提案は取下げておきます。こんな無責任な事態になってしまったことに関して、ご足労をお掛けしたOxhopさんにこの場を借りてお詫び致します。--巴投 2008年3月30日 (日) 00:48 (UTC)[返信]

あとは巴投さんが責任をもって前田利春の記事の全面改稿を実施してくださると信じていますよ。しばらくして改善点がみられなければまた来ますけどね。テンプレートの除去はOxhopさんのご対応を見てから私がやる予定だったのですがまあいいでしょう。--Nalc 2008年3月30日 (日) 07:01 (UTC)[返信]

Nalcさんへ。記事名の変遷は単純でした。

  1. 最初に「前田利昌 (利春)」で投稿されました。これは、括弧の中で別名を付ちゃダメというルールに反していました。
  2. そこで、「前田利春」に移動されました。前田利昌 (利春)の履歴参照。

これだけです。なぜそうしたのかの理由もないですし、議論もなかったので、一度、検討しておくのもいいことだと思っていました。改訂についてですが、Wikipediaはボランティアなので、やる気がなくなったのなら仕方がありません。また、気が変わったらよろしくお願いします。

巴投さんへ。お詫びなんて不要ですよ。好きでやってるだけですから。

最後に独り言。私の個人的な考えですが、記事名は、その記事の内容(量ではなく質)の充実に一番貢献した人が決めればいいと思っていますし、実際、そのような人の意見というのは尊重されやすいとも思います。--oxhop 2008年3月31日 (月) 13:24 (UTC)[返信]

初版の太字の部分をみる限りではそんな単純な話でもないとは思いますがOxhopさんがそうおっしゃられるならそれでもいいでしょう。久しぶりに見てみましたが、あまり作業がすすんでいないようですので、本来私がやるべきことではないと思いますが、問題となっている記述を行った方のノートにお知らせをしておきました。それでは。--Nalc 2008年4月24日 (木) 22:14 (UTC)[返信]
  • 作業がすすんでないみたいで少々残念に思います。私の側もあまり利春(利隆)については情報を集めきれずにいるのですが(「荒子城を作った」程度)、慶長年間に前田氏の本城に火災があったため、先祖についての資料が焼失してしまったという事情もあるようです。父の名がはっきり分かっていないことや(「利隆」というのも怪しいようです)、夫人について、同時代に活動がみられる記事にするまでもない親族について記載しておけばいいでしょうか。--Nalc 2008年7月23日 (水) 14:44 (UTC)[返信]