ノート:功刀亀内
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カテゴライズについて、ほか
[編集]編集していて功刀さんを「郷土史学者」にカテゴライズしようと思いましたが、違うなと思ってやめました。調べていると功刀さんは多少は郷土研究を行っているようですが、あくまで本業は実業家であり、郷土史料散逸の危機を意識した使命感とライフワークで郷土史料の蒐集を行っていた「コレクター」としての性格が強いであろうなと感じたからです。「郷土史学者」に分類してしまうと、誤解を招くだろうと思いました。果たして功刀さんは「日本のコレクター」に分類したほうが適切なのでしょうか?ご意見があればお寄せください。--でここ(会話) 2015年1月5日 (月) 12:37 (UTC)
(追記)ついでに執筆していてわからなかった点を。功刀さんが「甲州文庫」蒐集のきっかけを作ったのは「山梨県志」編纂委員の土屋夏堂と知り合ったこととされていますが、杉本仁氏の論考を見ると同じ編纂委員の土屋操とあります。これもどちらかが誤りなのか、それとも両人に知り合っているのか、わかりませんでした。情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、お寄せください。--でここ(会話) 2015年1月5日 (月) 13:01 (UTC)
- 後者の問題について。おそらくは土屋操の別名が「夏堂」だと思うのですが、紙文献ではっきり記されたものがありません。課題として残しておきます。--でここ(会話) 2015年1月7日 (水) 14:02 (UTC)
「甲州文庫」の扱いについて
[編集]「甲州文庫」に関する記述が肥大化していますが、甲州文庫については既に山梨県立図書館で概要を記してありますので、本項では控えめに著述しておいたのですが、記述が分散・重複しているきらいがあります。甲州文庫は現在、県立図書館になく県博にあるわけですけど、「甲州文庫」についてはどの記事に記述するべきか、あるいは独立項目化するべきか、悩むところです。--でここ(会話) 2015年2月8日 (日) 02:59 (UTC)