ノート:十和田丸 (初代)
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石狩丸の就航日ですが、 国鉄船舶局発行の昭和42年度国鉄航路輸送年報(1968)p2には5月6日9060便から「本就航」と記載されています。
青函連絡船史(1970)p113では5月6日就航です。
日本国有鉄道百年史年表(1972)p340では5月6日就航です。
日本国有鉄道百年史第13巻(1974)p389では5月5日就航です。
QBM様によれば、石狩丸本船の資料には5月5日7070便から就航と記載されているとのことですが、当時の運航ダイヤ(昭和41年10月1日改正)には7070便というスジはありませんが9060便はあります。
青函連絡船史のp77には、津軽丸が1964年4月14日7108便から試運航に入り5月10日変14便から本就航、との記載があり、当時の運航ダイヤでも7108便というスジはありません。 おそらく7000番台の便名のスジは、通常ダイヤにはなく、かなり自由に航海できるダイヤなのでしょうか? 以上より、 石狩丸は5月5日7070便で試運航し、5月6日9060便から本就航したと考えられます。
昭和42年度国鉄航路輸送年報(1968)の発行は石狩丸就航から1年未満ですし、あえて「本就航」と記載されています。 青函連絡船史(1970)も関係者の記憶がこの件についてはまだまだ鮮明な時期に編纂されていますので、2代目石狩丸の就航日は1967年5月6日とするのが妥当です。 --Akoihsin(会話) 2013年1月27日 (日) 07:27 (UTC)
「試運航」などというものはありません。
ダイヤに記載されているのは定期便の便名、時刻だけで、これ以外の便……たとえば、周遊便や回航便などには、都度、それぞれ4桁の便名がつけられていました。変○○便などというのは、便替わりで船が入れ替わるときに使われるものです。船の運航は、鉄道とは違い、ダイヤの扱いも違います。
Akoihsin様は、自己の保有されている本の記述だけを頼りに書かれているようですが、青函局の年史などでも、本によって異なった記述があるように、本にかいてあることが事実とは限りません。
さらに、今回書かれていることは、Akoihsin様がこれらから類推した内容にすぎず、百科事典としてのWikiの記載として不適切です。元の記述のほうが正確です。
推察で書くのはやめましょう。
--QBM(会話) 2013年1月27日 (日) 15:14 (UTC)
書き方が舌足らずでしたね。 ダイヤ上、「試運航」などというのはありません、という意味です。 5日、6日と、2種類の国鉄資料が存在する以上、現段階ではそれを並記すべきで、類推を記載するのは不適切です。 --QBM(会話) 2013年1月27日 (日) 17:26 (UTC)
函館の摩周丸へ20数年ぶりに行ってきました。なにせ遠方なもので・・ 摩周丸では、過去の運航実績表を専用のパソコンで閲覧できます。
印刷された運航ダイヤ上に、その日その日の、それぞれのスジに何丸が入ったかがゴム印で押されており、 スジ通り運航されなかった便は実際運航されたようにインク書きでスジが付け加えられています。 下の余白には、インクでそれらの説明が書かれています。
それをスキャナーで読み込んだ物です。
ということで、早速昭和42年の5月5日と6日の運航実績表を見ましたら、本文脚注に記載したようなことが書かれていました。 これは、極めて正確な一次資料ですので、既出の諸資料がどうであれ、5月6日就航は動かぬ事実のようです。 --Akoihsin(会話) 2014年5月27日 (火) 14:34 (UTC)