ノート:千慶烏子
議論1
[編集]- 『やや あって ひばりのうた』(沖積舎)はなぜ国立国会図書館に収蔵されていないのですか?--59,869,40T4(会話) 2016年3月20日 (日) 09:28 (UTC)
それは出版社サイドの問題ではないでしょうか。ちなみに千慶烏子『やや あって ひばりのうた』(沖積舎)は1998年度「花椿賞」にノミネートされています。また記事の中では言及していませんが、『ねじふりこ』(沖積舎、1996年)は前年1995年度「現代詩手帖賞」最終候補に残っています。--KokoAoyama
- 了解しました。--59,869,40T4(会話) 2016年3月20日 (日) 12:25 (UTC)
特筆性について
[編集]本記事対象の特筆性について、証明しきれていないのではないかと危惧します。賞にノミネートされただけでは特筆性の担保とはならないでしょう(現代詩手帖賞は年間を通じての投稿作品を対象に審査される賞ですから、「詩集」が対象というのはおかしいのでは?)。脚注に記されているのもその多くは自己言及です。「詩学」のは「詩書選評」ですよね? 複数の詩書を対象にした文章ですから、単独で特筆性の担保とするには弱すぎるでしょうし、「夏夷」は同人誌でやはりこれも典拠とするにはあやういのではないでしょうか。--アイザール(会話) 2016年3月20日 (日) 14:21 (UTC)
執筆者の見解
[編集]『ねじふりこ』に関しては、投稿作品として「現代詩手帖賞」の最終候補に残った結果、沖積舎から詩書として出版された。また文学賞のノミネートということでは、『やや あって ひばりのうた』は「歴程新鋭賞」にもノミネートされている。千慶烏子の作品に対する批評や言及は、当たり前だが、他にも多くあり、朝日新聞紙上では、入沢康夫が千慶烏子の『やや あって ひばりのうた』を1998年を代表する詩書として取り上げている。現代詩手帖1998年度年鑑では、天沢退二郎をはじめ、守中高明など多くの詩人が千慶烏子の『やや あって ひばりのうた』を取り上げ、言及している。また同誌で建畠晢が千慶烏子を「類稀な才能」と賞賛した事実も含め、これらの事実はすべて文献を通して検証可能である。
しかし、執筆者は本項目の記事の中でこれらのことには一切言及していない。また引用もしていない。なぜか。
執筆者は千慶烏子の独自性を「前途有望な詩人」という立場を捨てて、先駆的なデジタル作品の出版に専念したという点に見いだしている。詩人のキャリアを積むことよりも、先駆的な作品の制作に傾注し、日本の詩人としては初めてデジタルな書籍を出版し、第三者によってその先駆性を認められ、今日でもなお、これらの作品が検証可能な状態に置かれている(これを自己言及とは呼ばない)。この立証された先駆性こそが千慶烏子の特筆性であると考える。
上記に挙げた錚々たる顔ぶれの詩人たちの言及よりも、同人誌の批評や詩書月評を引用しているのは、それらが千慶烏子の先駆性を立証するものであるからだ。
以上、特筆性に関して御一考ください。--KokoAoyama
- ありがとうございました。だとしますと、現状の記事はWikipedia:中立的な観点、Wikipedia:独自研究をしないの観点から見て問題があるということになりますが大丈夫でしょうか。さて、資料のご教授ありがとうございます。資料で保障される評価は1998年の一時に集中しているということでしょうか。今度、詩手帖をチェックしてみます。--アイザール(会話) 2016年3月21日 (月) 05:05 (UTC)
中立的な観点・独自研究に関しまして
ご指摘ありがとうございます。上で呈示している資料・文献を記事の内部に反映させたいと思います。大きな図書館に行くか、地元の図書館に資料を取り寄せる必要があります。二、三週間の猶予をいただけませんか。 なお、P.P.Content Corp.(電子媒体による千慶烏子の著作を制作している出版社)によりますと、資料で保障される評価は1995年から2002年前後に集中しているとのことです。よろしくお願いします。--KokoAoyama
- 焦る必要はないので大丈夫だと思います。鶴山氏の評[1]や、ヨーロッパの知識人の評価(出版社の宣伝文かもしれませんが)というのも何か資料があれば記事に反映できるのではないでしょうか。--59,869,40T4(会話) 2016年3月22日 (火) 07:58 (UTC)
ありがとうございます。やはりP.P.Content Corp.の呈示する文案は宣伝的・広告的傾向が強く(情報は正確ですが)、上記の「執筆者の見解」も中立性を欠いているように思います。私自身はちょっとP.P.Content Corp.から距離をおきながら、しかし情報の提供は受けながら、自分自身でも出典の文献を確認し、引用の正確性を期しつつ、第三者目線で本項目の記事を新たにしたいと思います。時間はかかるかもしれませんが、ちょっと頑張ってみます。--KokoAoyama
執筆者交代、記事を一新しました
[編集]執筆者が交代し、記事を一新しました。特筆性の問題も含め、ご検討ください。ご指摘があれば修正いたします。--KokoAoyama 2016年4月9日
- KokoAoyama様へ。それはアカウント利用者:KokoAoyama(会話 / 投稿記録 / 記録)を使用されている方が別の方になったという意味でしょうか?--JapaneseA(会話) 2018年8月17日 (金) 13:32 (UTC)
- アカウント使用者は同じです。上の経緯から、この投稿はKokoAoyamaが自分の足で文献調査をし、自分の手で頑張って書きましたということを特にご報告したかったのです。--KokoAoyama 2018年8月18日
問題だらけ
[編集]関係ない話、帰属化していない評価(Wikipedia:中立的な観点)、独自研究(Wikipedia:独自研究)、販売サイトへの必要以上のリンクなどの多々の問題を修正しました。後は、批評は注釈に記載するのではなく、全て批評節に記載すべきでしょう。--JapaneseA(会話) 2018年8月17日 (金) 14:05 (UTC)
- 了解いたしました。お手数をおかけしました。--KokoAoyama 2018年8月18日
- ご指摘いただいた通り、批評を批評節にまとめました。--KokoAoyama 2018年8月29日
- 修正ありがとうございます。作品と年代節や脚注の批評が全て批評節に記載されているのがベストです。一方、その場で触れた方が良いものもあるので、私は特にこれ以上の修正はしません。まだ改善の余地はあると思いますが。--JapaneseA(会話) 2018年8月29日 (水) 06:19 (UTC)
- ありがとうございます。たいへんお世話になりました。--KokoAoyama 2018年8月29日