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ノート:南オセチア紛争 (2008年)

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ウィキプロジェクト 東ヨーロッパ
この記事「南オセチア紛争 (2008年)」は、東ヨーロッパ諸国を対象としたウィキプロジェクトであるウィキプロジェクト 東ヨーロッパの関連記事です。

『アブハジア沿岸でパトロール中』のロシア海軍

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ロシア語やアブハジアの事情が分かるか調べられる人宛てです。 中立的な観点が満たされているのか気になっている文があって、それが南オセチア紛争_(2008年)#経過の8月10日に書いてある「アブハジア沿岸でパトロール中のロシア海軍」で、 Google翻訳ロシア語→英語で見ているので細かいところでずれもあるはずなのですがそこには「アブハジア沿岸をパトロール中のロシア艦が、宣言された境界を越えていたグルジア艦4隻を発見し警告に反応しなかった」と書いてあります。 そこで基礎情報とご意見が欲しいのですが。

基礎情報
  1. アブハジアとグルジアの関係
  2. そこにロシアがどう関わっているのか
  3. 国際的にそれはどう思われているのか

その上で 「アブハジア沿岸をパトロールする」表現が、中立的な観点を保持できるのかについて、ご意見いただければと思います--Orcano 2008年8月15日 (金) 03:34 (UTC)[返信]

(追記)私の編集でロシア軍がパトロールと表現していることについて『』付きで、アブハジア沿岸でパトロール中』書き込んだのですが、これも、それが特殊であると強調している書き方で、グルジア側やグルジアをサポートする側の意見を代弁する可能性があり、中立的な観点が満たせないと思います。(現在は修正されています)--Orcano 2008年8月15日 (金) 03:47 (UTC)[返信]

今回の経緯を述べますと、グルジア・ロシア軍の戦いの3日目、つまり、8月9日に、セヴァストーポリから黒海艦隊のモスクワ、スメトリーヴイが出港し、ノヴォロシースク駐留艦艇と合流後、アブハジア沿岸へ向かいました。
この動きは、すぐにグルジア側の知る所となり、これが全世界に「黒海艦隊がグルジア沿岸封鎖」として伝えられました。
そして、翌8月10日、アブハジア沖、より正確には、アブハジア・グルジア境界付近の沖に居た黒海艦隊に、グルジアの戦闘艇4隻が高速で接近して来ました。
グルジア戦闘艇は、アブハジア・グルジアの海上境界を越えてアブハジア側沖へ入った為、ロシア側は、警告を発しました。
しかしグルジア艇は、これを無視して接近して来た為、ロシア艦は砲撃を実施し、ミサイル艇1隻を撃沈。
他のグルジア艇3隻はポチへ逃走し、ロシア艦隊もノヴォロシースクへ入港しました。
翌8月11日、ロシア艦隊は、ノヴォロシースク付近で演習を実施し、8月13日、セヴァストーポリへ帰港しました。
「ロシア海軍がグルジア沖を封鎖」というのは、元を辿れば、「インタファクス」の取材に応じた「軍事評論家」が、黒海艦隊の出港を、グルジア封鎖目的と勘違いして語った事が発端のようです。--シア・クァンファ 2008年8月15日 (金) 09:01 (UTC)[返信]
これは、アブハジア沿岸は、以前からロシアが管理していたと言う考え方で良いのでしょうか。それとも、「軍事評論家」のPOVのように、グルジア領海にロシアが入ってきたことになるのでしょうか。いずれにしても、前提なしにロシア艦隊について「パトロール中の」という表現を書くと、中立的な観点と照らして、グルジアがアブハジアの領有権を主張している点が考慮されていないロシアPOVのみに見えてしまうので、アブハジア沿岸をロシア軍がもともと管理している場合は、何か「ロシアが事実上把握しているアブハジア沿岸とグルジア領海の境界付近に居た黒海艦隊に、グルジアの戦闘艇4隻が急速に接近し」のようにするか、ロシアは元々この地域で活動していない場合、ロシアが単に交戦中にグルジア領内に入ったのか、アブハジアが制海権を持っていてそこに協力した形でロシア艦隊が入ったのかなど、百科事典として読者に対し、基礎情報を追記すれば、前提条件を書けばNPOVが満たせるような気がします。お詳しそうなので、出来たら、その前提条件の追記等NPOV化をお願いしたいのですが。--Orcano 2008年8月15日 (金) 11:06 (UTC)[返信]

== アブハジアでのロシア軍がパトロールの根拠-- ロシア軍の平和維持軍としての地位は1994年5月16日のアブハジア自治共和国最高会議議長の同意により、ロシア軍がアブハジアに駐留することを1994年7月21日国際連合安全保障理事会決議937により認定されている。--ぼくはくま 2008年9月23日 (火) 01:19 (UTC)[返信]

「出典」元との関連がデタラメです

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>NATOの比較的最新の兵器を使用していたグルジア軍に対してロシア軍
>は旧式の兵器を使用した[要出典][4][5][6][7]。

ここで、記事内容の根拠として4つもの出典が張られています。念のため、そのリンク先の内容を読ませて頂いたのですが・・・。以下のような結果でした。

  • 出典リンク[4]。ロシア側が押収したグルジア軍の、小銃器、軍服、食料がNATO加盟国製だったと報じているもので、両軍の中核となる機甲兵力の新旧を報じているわけではありません。グルジア兵のライフル銃がドイツのH&K製だろうが、ロシアのAK-101シリーズだろうが、「新型・旧型」の話題とは関係がありません。
  • 出典リンク[5]のレポート記事は、たまたま1960年代製のT-62が不満の種だという兵士のエピソードです。TV、新聞、ネット配信で進軍中の姿が映像で報じられるロシア陸軍の戦闘車列は、どれも最新鋭T-80、T-90Sシリーズで占められています。
  • 出典リンク[6]。ラムズフェルド長官の記者会見での応答。グルジアとは友邦であり、軍事的にも協力をしている、というのが要旨で、大半はグルジア軍にトレーナーを派遣して兵士の訓練育成のアドバイスをしているという話題です。具体的な兵器の話題は開発中の多目的偏向翼機オスプレイの実用化難航について話をしたのが唯一で、NATOからグルジアに新鋭兵器の供与云々という話題は全くありません。
  • 出典リンク[7]。イラク戦争のための訓練を、米、グルジア両軍の歩兵達が、その小火器戦闘戦術、兵站、通信、衛生といった兵科分野の共同訓練を山中でおこなった、というレポートです。NATO軍が最新兵器をグルジアに供与云々という話題は皆無です。

当該記事の編集をされた方は、出典の内容をちゃんと読まれたのでしょうか? --120.74.224.93 2008年11月24日 (月) 02:57 (UTC)[返信]

しばらくまってから、いったん当該部分は除去しましょうか。--Peccafly 2008年12月1日 (月) 06:51 (UTC)[返信]
無益ではないがやや論点がずれている出典の扱いというのは、どうしたらよいのでしょうか。出典を求めたのは私ですが、対処がわかりません。
問題については、グルジアの兵器がロシアのと比べてページ冒頭で書くほど最新のものだとは思われません。ロシアのが旧式、というのは出典なくてもわかりますが(結構、ロシア語のネットニュースでは問題にされていました)、程度問題としてどの程度とやかく言うほど旧式であるのかはわかりません。グルジアの一部の兵器はイスラエルなどの協力で近代化されていますが、それは「近代化改修された従来の兵器」というのであって、「NATOの比較的最新の兵器」というのとはちょっと印象が違うような……。細かい個人武装の類ではNATO製の割と新しいものがあったようですが、ページ冒頭に書くよりは本分内に埋めるべき内容なのでは? ちなみち、ラムズフェルドが言っていると思われるアメリカないしNATOに訓練されたグルジアの精鋭部隊は主にイラクに行っていてこの戦争のときは不在だったようですので、やはりページ冒頭で書くような内容にはなりません。--PRUSAKYN 2008年12月1日 (月) 16:24 (UTC)[返信]

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

南オセチア紛争 (2008年)」上の22個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月27日 (水) 20:25 (UTC)[返信]