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ノート:南松院

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「蘭渓字説」について

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「文化財」の節にある「紙本墨書蘭渓字説」の説明について、文意がわかりにくく、もう少し一般読者にわかるように書く必要があるのではないかと思います。また、内容にも若干疑問があります。「甲州城上淑女君の侍局」に対し、「『蘭渓宗秀』の法諱を与えた」とあり、「淑女君は武田勝頼室の北条夫人」、「蘭渓宗秀は穴山氏一族」とあります。「侍局」という言葉の意味がよくわからず、歴史事典等にも載っていませんでしたが、「淑女君」と「侍局」は別人で、「侍局=蘭渓宗秀=穴山氏」ということなのでしょうか。身延町のサイトにこの「蘭渓字説」について紹介されています。このサイトの解説は、「蘭渓」を「欄渓」と誤記している点からして、全面的には信頼できないものですが、推測するに、高僧快川紹喜がある女性に「蘭渓宗秀」なる法号を与え、その由来を書いたものが「蘭渓字説」であり、「淑女君=武田勝頼室の北条夫人=蘭渓宗秀」ということではないかと私は思ったのですが、違いますでしょうか。初版投稿者の方に限らず、歴史に詳しい方にご教示いただければと思います。--Urania 2008年12月28日 (日) 06:39 (UTC)[返信]

ご指摘ありがとうございます。身延町のサイトですが、これはおそらく『山梨県史文化財編』と同一のものです。もしかすると転写する過程で誤記が生じたのではないでしょうか。わたしは『県史』と「蘭渓字説」を所蔵している県博のページを当たっていますが、これらを見る限り、文意からは「甲州城上淑女君」と「蘭渓宗秀」は別人であると判断しましたが、いかがでしょうか。「侍局」の意味確かに深く考えておりませんでした。穴山氏関係はたぶん色々と論文があるでしょうから、年明け以降に確認しようかなと思います。--でここ 2008年12月28日 (日) 07:31 (UTC)[返信]

(追記)県博の年報にも収蔵品のリストがありますが、ここでも「蘭渓」の法号を与えられた女性は勝頼夫人身辺のもの、とされていました。--でここ 2008年12月29日 (月) 00:09 (UTC)[返信]

ちょっと遅くなりましたがご返事を。山梨県博の解説も見ましたが、やはり「侍局」という見慣れない単語が注釈なしで使われています。「の侍局」という3文字がなければ、すんなり意味が通るように思います。ネットで調べたところ、曹洞宗大本山總侍寺では、禅師の住む建物を「侍局」といい、同じく曹洞宗大本山の永平寺では禅師の側近の僧を「侍局」というようです。前者はモノ、後者は人です。この「侍局」とは何であるのか、人物なのか場所なのか、そのへんを明確にしないと、「蘭渓字説」の解説は書けないと思います。県博解説中の「侍局」を「人」と解し、「淑女君」とは別人と解すると、「侍局」に法号を与えたのに、「侍局」本人ではなく別人である「淑女君」の徳をたたえていることになり、非常に不自然だと思いますがいかがでしょうか。「蘭渓字説」について、もう少し学術的にきっちりした解説がどこかにないものでしょうか。--Urania 2009年1月13日 (火) 22:41 (UTC)[返信]

Urania様。言い忘れましたが、『山梨県史』の資料編6中世3上県内記録には蘭渓字説の全文が翻刻されています。同書の解説部分を見ましても、「蘭渓」の法号が与えられた人物は穴山氏にゆかりのある人物、とされています。「侍局」の意味や蘭渓字説についての総説は探しているのですが、なかなか見つかりません。佐藤八郎氏などがどこかで書いているかもしれないなとは思うのですが。--でここ 2009年1月18日 (日) 04:19 (UTC)[返信]