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ノート:南洋庁ポナペ国民学校

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改名提案[編集]

本記事を南洋庁ポナペ国民学校奉安殿に改名することを提案します。在ミクロネシア日本国大使館のポンペイ州コロニアタウン散策ツアーパンフレットによると、当時コロニアにあった神社は、照南神社、南洋庁ポナペ国民学校裏の奉安殿、ヤシリンの海軍参謀部内の営内神社の3社だけであり、このうち建物が現存するのは奉安殿だけです。いくつかのサイト[1][2][3]でこの奉安殿の写真を見ることができますが、National Park Serviceに登録されている写真と同じものに見えます。--shikai shaw会話2018年6月28日 (木) 04:02 (UTC)[返信]

  • コメント この奉安殿はポナペ国民学校の奉安殿なのでしょうか。在ミクロネシア日本国大使館ポンペイ情報素晴らしきかなポンペイのコロニア市内名所のp36では照南神社の奉安殿に見えます。『コロニアタウン散策ツアーパンフレット』でもポナペ国民学校の奉安殿とあり、国民学校の奉安殿とは書かれていません。なお、このパンフレットのp21には「久邇宮皇太子殿下」という表記があり、失礼ですがあまり信用できないと思います。--アルビレオ会話2018年6月28日 (木) 23:15 (UTC)[返信]
    • 返信 『素晴らしきかなポンペイ』は2001年、『コロニアタウン散策ツアーパンフレット』は2015年に書かれたものですね。奉安殿とは教育施設であるため基本的には学校に設置されるものであり、神社に設置されるというのは聞いたことがありません。たとえ神社の中に建てられていたとしても、学校の付属施設という認識であったはずですので、ポナペ国民学校の奉安殿であることに変わりはないと思われます。こちらのサイトでも、国民学校と奉安殿は一緒にされています。また当記事にはこちらの奉安殿は1920年代に作られたとあります。こちらこちらによるとポナペ尋常小学校(国民学校)の設置は1926年ですが、照南神社はこちらこちらによると1930年鎮座であり、時期が若干ずれています。この記事を今年の3月に見たときからいろいろ調べ、あまり決定的な証拠は見つけられませんでしたが、照南神社が現存せず、奉安殿が学校の施設である以上、この記事の建物はポナペ国民学校の奉安殿であり、照南神社ではないと考えます。--shikai shaw会話2018年6月29日 (金) 01:27 (UTC)[返信]
  • 条件付賛成/ 提案 取りあえず記事の改名自体には同意します。また、改名実施後には、記事およびノートのリダイレクトを即時削除(WP:CSD#R3-1およびWP:CSD#R5適用)することも併せて追加提案します。ところで、学校記事へと改名&改稿となった場合、英語版(en:Japanese Shrine)との言語間リンクはどうされるのでしょうか?--Challemoni会話2018年7月2日 (月) 10:41 (UTC)[返信]
    • 返信 承知しました。リダイレクトの即時削除についても行いたいと思います。また学校記事となった場合、ウィキデータが異なることから言語間リンクは解除せざるを得ないので、本文中にリンクすることで補完することとします。--shikai shaw会話2018年7月3日 (火) 01:16 (UTC)[返信]
  • コメント 提案から1週間以上たちますが、特に問題がないようですので対応を行います。--shikai shaw会話2018年7月9日 (月) 00:42 (UTC)[返信]