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ノート:南町 (仙台市)

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地名の訛化

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江戸時代に標準語がない、という理由で修正され、冒頭の読みに「みなんまち」を盛りこまれましたが、「みなんまち」は「みなみまち」から訛ったものでしょう。かつてあった読み方を収録するのは良いことですが、かわった読み方のほうが本来の名称だと解するなら、修正しすぎと思います。ウィキペディアには他記事にも仙台の地名の変わった読み方がありますが、それらも標準語的な「こくぶんまち」などが後から訛化したもので、その逆ではありません。地名の場合、発音に後から字をあてた可能性も考えられるわけですが、仙台では語源がはっきりしていますからその可能性はなし。ウェブ上では、変わった読みを政宗の命令と言う郷土史家のホームページ[1]もあるわけですが、河北新報ではこう[2]です。1950年代刊行の『仙台市史』ではかわった読み方のほうでルビをふる箇所が散見され、1990年代以降の新しい仙台市史は一貫して標準的な読み方にルビをふっています。90年代のは多数の研究者が関わっていますから、統一方針ということでしょう。「訛る」という表現が東京弁をベースにした標準語との対立を想起させたのなら、「訛化する」という表現ではどうでしょうか。--Kinori 2008年7月9日 (水) 10:14 (UTC)[返信]

こんばんは。いつもKinoriさんの緻密な執筆に感嘆し、参考にさせて頂いております。
さて、南町の発音の件ですが、私もその郷土史家の意見を取り入れて、正式名称の方が「みなんまち」であり、「みなみまち」は明治以降の初等教育の普及によるものなのだと見做しました。確かに、『「minamimachi」の"i"が脱落して「minammachi」と訛った』と解釈されても方言学上の矛盾はないのだと思いますが、在地の事情を無視した演繹的理論のような気がします。標準語が無かった時代だし、あったとしても、「南町」という地名が命名された江戸初期の日本の中心はまだ上方だし。デファクトであれデジュリであれ、仙台城下町の地名は方言の発音が元々通用していたのであり、「標準語の発音が訛ってそう呼ばれるようになった」ととられるような説明はしない方がいいのかなぁと思います。
九州の地名には、例えば「原」を「はる」と発音するなど、方言の発音が正式名称になっている場合が散見されます。仙台では標準語化が徹底されましたが、「定義如来」については寺側が「じょうげ」が正式だと主張し、県・市は「じょうぎ」と主張して未だに戦っていますし、「七十七銀行新伝馬町支店」の読みは「しんてんまち」が正式であるなど、地名の発音について未解決な案件も残っていますので、広い知識を持ったKinoriさんのお考えで推敲をお願い致します。--もね~るmoner 2008年7月9日 (水) 12:48 (UTC)[返信]
ありがとうございます。現在的なことについては、私はもね~るmonerさんに遥かに及びませんので、加筆・修正していただけると助かります。新伝馬町は明治以後も「しんてんまち」のようですね。資料的には、江戸時代に直接触れたものがなくて、幕末より古い時期にどうだったかは推測に頼らざるを得ないようです。自分では、南を「みなん」と言ったりすることがあったのか、とか、政宗や藩政当局が仙台限りのローカルルールを作るだろうか、とか、いろいろ考えるのですが、それを展開すると私の独自研究になってしまうのが難しいところです。どちらが本来の形かについては、「みなみまち」説を第一にするが現在の研究状況から妥当だと思います。具体的な表現については、ご指摘もふまえてもう少し考えてみます。--Kinori 2008年7月10日 (木) 23:39 (UTC)[返信]
  • 南町:「minamimachi」の"i"が脱落して「minammachi」(みなんまち)
  • 北目町:「kitamemachi」の"e"が脱落して「kitammachi」(きたんまち)
  • 新伝馬町:「shintemmamachi」の"a"が脱落して「shintemmmachi」(しんてんまち)

こうやって見るとかなり法則性がありますが、訛ったのか、それとも、当局が決めたローカルルールなのかを判定するのは難しいようですね。やはり訛ったのが定着しただけなのかも知れません。判断はKinoriさんにお任せします。なんか、丸投げしてるみたいですみません。--もね~るmoner 2008年7月11日 (金) 06:28 (UTC)[返信]

新規に創った記事の『片平丁』でも「かだっしゃちょ」と「かたひらちょう」を併記してみました。--もね~るmoner 2008年7月17日 (木) 09:03 (UTC)[返信]
返事をしないままご無沙汰しておりました。江戸時代の地誌を全部あたればいいだろう、と考えていましたが、意外に数があり、私には少々無理であるようです。わずかに眺めた範囲では、本来は「みなんまち」であると記すものも、その逆に、本来は「みなみまち」であると記すものもありませんでした。
ただ、語源や呼び方は古い時代の地誌の最大関心事ですので、変わった呼び方があればそれについて考察があってよいはずです。実際にも、鹿落ち坂を鹿降り坂の誤りではないか、とか、連坊小路の連坊は恋慕だとかいう説は取り上げられていします。その点、片平町について記すときに、「かだっしゃ」という読みを無視して「片平」の語源が取り上げられるというのは不審です。一部だけで通じる俗語だったか、生まれたのが意外に新しいか、その両方かではないでしょうか。
江戸時代でも文章語に方言はありません。それに比べれば話し言葉はすべて訛りを持つのですが、上方か江戸の訛りが上という意識はありました。それと異なる方言は身分の低い者が使うという感覚です。政宗のような地理的な視野が広い教養人が地元にしか通じない読み方を制定したというのは、俄かに信じがたい説です。
また、もね~るmonerさんが参考にされたサイトに現れる逸見英夫氏は、『城下町仙台を歩く 歴史的町名ハンドブック』という冊子を作った編集部会長でした。その冊子で「みなんまち」などは索引ページの余白に、囲み記事の体裁で「こんな呼び方もありました」と付記されるにとどまっています。他の資料に出てくる例からも、これが妥当の扱いなのではないか、と思います。これにならい「地元ではかつてみなんまちとも呼ばれた。」と書きたいと思います。他記事についても同様に改めるべきだと思います。--Kinori 2008年11月9日 (日) 03:36 (UTC)[返信]
この間、大変なご苦労をされてたのですね。お疲れさまです。1つの言葉に対し、深く追究なされるKinoriさんの姿勢に感銘を受けています。
膨大な作業と広範な知識により得られたKinoriさんの答えに、私は賛同したいと思います。ただ、上方・江戸の言葉が上であれ、全国一律の普通教育も標準語も存在しなかった時代であり、仙台の支配階級が米沢弁に影響を受けた御家中言葉を用い、庶民は仙台弁という時代であり、識字率が高い武士層が後世に文物を残せたのに対し、識字率が低い庶民がその文化をあまり後世に残すことが出来なかった時代であるので、そこらへんをある程度考慮した書き換えをお願いしたいと思います。--もね~るmoner 2008年11月11日 (火) 19:16 (UTC)[返信]
ありがとうございます。変わった読みは間違いだ、というふうには書かないつもりです。結局、いつからどの範囲でということが不明ですので、詳しくは書きようもないというのが正直なところですが。では、ご了解をえて、書き換えさせていただきます。--Kinori 2008年11月13日 (木) 18:17 (UTC)[返信]