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ノート:古野伊之助

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実業家のカテゴリについて

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国家通信主権時代の代表的人物で、新聞・通信・放送の分野における古野の役割を考えると、「通信社の経営者」と同時にNHKの小森七郎と並んで「通信事業経営者」と名づける以外にない。1980年代半ば以降の通信自由化の波における「国営か民営か」の議論を通しても理解しづらい。経済活動の主体が「実業家」であるのならすべての財団、社団法人の長も実業家となる。この意味でサッカー協会の川淵三郎や電電公社のトップとしての真藤恒は実業家の評価ではなく、電気通信事業経営者としいての孫正義は実業家と言えば理解し易いだろうか?

電気通信分野、テレコムの世界は奥が深いですぞ。

トンガリ松 2007年2月23日 (金) 22:58 (UTC)[返信]

ジャーナリストのカテゴリについて

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「新聞」は大正期において、より巨大化、より細分化していく経過の中で、記者の顔が見えにくくなっていく結果となる。この企業化の過程にこそ、古野の権力の源泉がある。

取材活動の主体が「ジャーナリスト」であるのならすべての新聞社、報道機関の長もジャーナリストとなる。この意味で徳富蘇峰はジャーナリストであり、正力松太郎はジャーナリストではないと言えば理解し易いだろうか?

報道と宣伝の世界は、奥が深いですぞ。

トンガリ松 2007年2月26日 (月) 03:49 (UTC)[返信]


関連項目「日本における検閲」について

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検閲とは国家の行為、古野は貴族院議員となったが他の新聞人と同様にこれは名目上であり、国会で検閲を主導した訳ではない。全国の新聞社が結成した日本新聞会においても検閲すべしとも、検閲やむなしとも発言をしていない。即ち、彼自身が検閲を主導した訳ではない。即ち、外観において新聞の統制(regulation)の主導はしたが、彼はもし定義をするなら、被害者であり他の幾千万の被害者と同列に扱う他ない。即ち、全ての明治以降の言論人と同列に扱う以外に論理的な筋道は通らない。

検閲は明治憲法の上に立つのですぞ。 トンガリ松 2008年3月31日 (月) 03:50 (UTC)[返信]