ノート:古隅田川
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下総国
[編集]春日部市内付近では、古利根川以東が下総国葛飾郡なのか、古隅田川(埼玉)以東が下総国葛飾郡なのか、古文書などではどちらに根拠があるでしょうか?--Kkddkkdd(会話) 2016年9月13日 (火) 17:05 (UTC)
- 春日部周辺については認知しませんが、越ヶ谷と大沢の二つの町を合わせた範囲の宿場町であった越ヶ谷宿は、越ヶ谷は武蔵国、大沢は下総国という記述があります。かつて、隅田川は利根川の下流に位置しており、武蔵国と下総国の境界線となっていたと考えられている。埼玉県と東京都にある2つの古隅田川はかつては利根川-隅田川の一部であり、現在の河川に則すれば、古利根川から古隅田川(埼玉側)、元荒川、中川、古隅田川(東京側)、隅田川という流れが利根川及び荒川の本流であったと考えられている。との説明から、問題はないと思います。
参考文献
- 松本勝邦・古川和典、「日光街道越ヶ谷宿の町並形成と境界構造」、『明治大科学技術研究所紀要』39(6)、明治大学、2000年。
--Koshi2016(会話) 2016年9月14日 (水) 19:16 (UTC)
- ちょっと、調べてみました。「延元々年三月二十二日後醍醐天皇綸旨写」(武州文書・『新編埼玉県史 資料編5』中世1-295号)や「延文六年九月九日市場之祭文写(同中世1-435号)などから、現在の古隅田川流域の東側地域(春日部など)が「下総国」下河辺荘に属していること。
- 「新編武蔵風土記」によると、「粕壁宿、古隅田川宿の後にあり、この川いにしえは大川にて川の辺りに堤あり、江曽堤とよぶ(中 略)。梅田村古隅田川南界を流 る、幅6間 、この川粕壁宿と当村との間より、古利根川に合せり。道順 川戸村古隅田川東より北の村界を流れる、川幅2間、水除堤村の南にあり、高五尺ばかり、」とあります。また、古隅田川の東岸に位置する新方領は下総国、西岸の埼玉郡太田庄は武蔵国とあること。
- したがって、古隅田川(埼玉)以東が下総国葛飾郡であったことを確認できます。また、古利根川は埼玉郡太田庄に接しているので、古利根川も同様だと思います(未確認ですが)。
参考文献
- 小林 寿朗、「中川流域の治水史」、『土木史研究』Vol.12 社団法人 土木学会、1992年、353-368頁。
- 「新編武蔵風土記」