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ノート:司馬倫

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帝位の正当性について

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「歴代の皇帝には数えられない」となっていますが、これは晋書の本紀に掲載がない、或いは諡号(「建始」は諡号ではなく元号)がないという意味でのご編集という事でしょうか。日本語版においては前漢の前少帝後少帝、北魏の東海王元曄など諡号や本紀への掲載がないにも関わらず「〇〇の皇帝」として扱われている人物は多く存在しますが、この基準が曖昧となっているように思います。例に挙げた三者はいずれも時の朝廷に(少なくとも形上は)認められて即位したわけですが、それを言うなら司馬倫に関しても一応形としては禅譲を経て即位したという事になりますし、この辺りがどういう基準なのかがよく分かりません。詳しい方がいらsっしゃいましたらご意見を伺えれば嬉しいのですが。--Miraburu会話 / 投稿記録 2021年3月15日 (月) 07:23 (UTC)[返信]

こんにちは、Zigzag Zと申します。この度、本議論を提起して頂いたことで、私が関わって以後のMiraburuさんの編集に気づきました。結論から申し上げますと、司馬倫は西晋の皇帝に数えるべきではなく、歴代のテンプレートに含めない方が宜しいかと存じます。まず、ご例示の前少帝後少帝に関して、「諡号や本紀への掲載がない」と仰っていますが、本紀として立てられている呂后の中に含まれているとは言え、史料では「少帝」として言及されています。例えば『漢書』巻三 高后紀第三(つまり本紀)には「四年夏,少帝 自知非皇后子,出怨言,皇太后幽之永巷」、「大臣相與陰謀,以為 少帝及三弟為王者皆非孝惠子,復共誅之,尊立文帝。語在周勃、高五王傳」という記載があります。他にも列伝などの複数の箇所で「少帝」として記載されているのは客観的な事実です。東洋史を扱うに当たり、簡潔な事実関係の調査に用いる工具書として高名な平凡社の『アジア歴史事典』においても、それぞれ大庭脩による解説で「中国、前漢第3代の幼帝」、「中国、前漢第4代の幼帝」と述べられているのです。但し、元曄については少々話が異なり、手元に『アジア歴史事典』の該当巻がなかったため、小学館の『万有百科大事典 9 世界歴史』の内田吟風による解説へ当たってみたところ、拓跋余と共に歴代から外されており、検討の余地があります。これについては、より多くの文献に当たる必要があると思われますが、一先ず本議論からは外れるので事実の指摘に留めます(なお、念のために追記しますと、前漢の両帝については同書でも歴代に数えられております)。
さて、本記事の司馬倫へ目を向けると、まず『晋書』に本紀が立てられていないことに気づく筈です。更に、同書巻五十九 列伝第二十九には「倫從兵五千人,入自端門,登太極殿,滿奮、崔隨、樂廣進璽綬於倫,乃僭即帝位,大赦,改元 建始」なる記載が存在します。「乃僭即帝位」という書かれ方からも、正史において司馬倫がどのように扱われているか理解できるのではないでしょうか。これは、Miraburuさんがご提示の三名とは明確に異なる点でしょう。そもそも、MiraburuさんはTemplate:西晋の皇帝に「建始帝」なる呼称を用いておいでですが、これには大いに疑問があります。『晋書』や『資治通鑑』といった文献ではこのような表記は一切用いられておらず、CiNiiでの論文のヒットも一切ありません。果たして、どこからこのような呼称が生まれたのかよく分からないのですが、履歴を見た限りでは利用者:Hxd3721さんの編集が初出のようです。しかし、この方には虚偽情報の記載や独自研究などの指摘が出ており、現在は無期限ブロックされています。果たして、出所として信頼できるのでしょうか。こうした理由で私は同表記を除去したのですが(これは、既に述べたように歴代に数えられない人物をテンプレートに含めるべきではないという考えにもよります)、Miraburuさんによって再掲されました。もし「建始帝」の出典をご存知でしたら、ただただ私の不明を恥じるばかりで恐縮ではございますが、この点についてお伺いしても宜しいでしょうか。
そもそも、こうしたことに関して何ら学術的な権威・業績を持たない匿名の一個人である私達が判断するべきではなく、現在発表されている書籍や論文の記載に従うべきです。「どういう基準」であれ、私達はそれを議論するのではなく、出典を参照の上で従うべきなのです。これは、独自研究を避ける意味でも重要です。こうした点で見ると、MiraburuさんはTemplate:北魏の皇帝などにも括弧書きで正式な代数に数えられない人物の名前を加えていらっしゃいますが、あまり適切な編集とは思われません。あくまで、一般的な認識に基づいて歴代の皇帝を並べるべきであり、括弧書きとは言え、出典に拠らず同列視すべきではありません。また、本記事に「僭称皇帝」という呼称を記載しておいでですが、これは何らかの資料に基づいたものでしょうか?恥ずかしながら、管見の限りでは中国の帝位僭称者をこのような決まりきった用語で呼ぶ例を存じ上げません。もし依拠する資料が特に存在しないのであれば、記載してはならないと考えます(テンプレートでは単に皇帝とすべきです)。
最後に、帝位の正統性に関する当初のご質問に立ち返りますが、正史とそれを大本にして展開されている一般的解釈において、司馬倫は歴代の皇帝に数えられていないのです。これは代数に含められていないという事実以上のことを申し上げられませんが、少なくともこの点は当該分野の文献に当たればご理解頂けるかと存じます。以上、色々と述べさせて頂きましたが、何卒ご理解を賜われれば幸いです。--Zigzag Z会話2021年3月15日 (月) 16:40 (UTC)[返信]
なるほど、この人物に関しては正史にてストレートに「僭称」としている旨があるのですね。「建始帝」なる表記に関しては一般的ではない前例がないとは存じ上げず失礼いたしました(テンプレートの方は表記は外しておきました)。「僭称皇帝」に関しては文字通り「皇帝を僭称した」という意味で用いたのみで、深い意味はございません。また基準についてウィキペディアの内部で決めるべきではない、現在発表済みの外部の典拠に依るべきであるという旨は仰る通りです。ただし実情としてはそうした典拠は歴史記事においては基本アバウトとなってしまっており、「正統と見なされている」或いは「見なされていない」とする出典が基本的に見受けられない事から、どのように扱うべきなのかなと感じていた次第です。--Miraburu会話 / 投稿記録 2021年3月16日 (火) 01:05 (UTC)[返信]
「正統か否か」というか、より正確に言えば「歴代として数えられるのか数えられないのか」というニュアンスでしょうか。本紀が立てられていないという意味なのであれば上述した前漢の両少帝や北魏の元曄なども同じく歴代としては「数えられない」という事になると思うのですが、現状はそうはなってはいないようです。司馬倫に関しては明確に「僭称した」という記載がありますが、故に「数えられない」というのが「一般的解釈」という事なのでしょうか。何を以て「一般的には」と言えるのかどうかの判断が難しいのではないかと感じています。~--Miraburu会話 / 投稿記録 2021年3月16日 (火) 01:26 (UTC)[返信]
まず、「建始帝」という表記が出典に基づかないものであることをご理解頂き、有り難うございます。率直に申し上げるならば、私が一度差し戻した編集を敢えて再掲する以上、ご自分で正確性の調査を行った上でなされるべきではなかったかと思いますが(本議論を立ち上げるよりも優先度は高いでしょう)、あまりこの点を言い立てる気はございません。しかし、Miraburuさんは2月9日に建始帝という当記事へのリダイレクトを作成されていらっしゃいます。このような表記は歴史的あるいは学術的に正しいとは言えず、リダイレクトの削除依頼を提出する必要があるかと存じます。更につけ加えるならば、建始という元号を用いたのは司馬倫だけではなく、一つに特定することは不可能です。桓玄が用いたそれに至っては、『晋書』巻九十九 列伝第六十九に「初出偽詔,改年為建始 ,右丞王悠之曰:『 建始,趙王倫偽號也。』又改為永始,復是王莽始執權之歲,其兆號不祥,冥符僭逆如此」という記載が存在します。つまり、建始は司馬倫が用いた偽号であるから、また改めて永始としたということですが、これだけを取っても建始が複数の文脈で出現していることはご理解頂けるでしょう(そもそも、繰り返しますが「建始帝」なる表記は史書で使用されていません)。これについて、如何お考えでしょうか。
また、「僭称皇帝」に関して、「文字通り『皇帝を僭称した』という意味で用いたのみで、深い意味は」ないというご回答を頂戴しました。私としては、僭称+皇帝なる表現は多分に固有名詞的な意味合いを含んでおり、一般名詞として用いられるべきではないと思いますので、先程除去させて頂きました。こうした編集は、学問上確立した用語と混同する恐れがございますから、大変不躾ながら今後はお控え頂けますと幸いです。他の記事におけるMiraburuさんの編集を確認している訳ではございませんが、この点を強調させて頂きたく存じます。
ところで、「実情としてはそうした典拠は歴史記事においては基本アバウトとなってしまって」いるというご発言は、やや訝しまざるを得ませんでした。仮に他の記事において曖昧な書かれ方がなされているのだとしても、私達が行うべきことは単純です。前に私が挙げたような工具書を引くなり、概説書を読むなりして、研究者の方々の判断に任せればそれで良いでしょう。適宜原文史料を参照することも事実確認の上では欠かせませんが、個人的にはそれのみを典拠に中国史の歴史記事を書くべきではないと考えております。何故かと言えば、これは実際に東洋史の研究に触れた方であればご理解頂けると思うのですが、訓練次第では白文を一定の規則に従って書き下すことができるようになっても、それだけでは史料を読解したとは言えないからです。語句の一つ一つがどのような意味で用いられているのか、あるいは文中で省略されている背景にどのような事情があるのか等々といったことは個別に調査が必要であり、専門書などではそれが注釈という形で付されます。しかし、これは私達のような匿名の一個人が行ってしまうと独自研究にしかなりませんから、研究者の手になる書籍・論文を参考にすべきだと愚考する次第です。こうした点を念頭に置くと、スピード違反の論理的に他記事の現状に気を揉む必要はないでしょう。
従いまして、「『正統と見なされている』或いは『見なされていない』とする出典が基本的に見受けられない」というご指摘はやや的を外しているように思えてなりません。前漢の両少帝の本紀が立てられておらずとも(なお、これは呂后が実質的に皇帝として振る舞っていたことを象徴するものとして、例外的になされたものだという見解を以前いずこかで見聞きした記憶がございます。また、元曄の名を再度挙げていらっしゃいますが、現下のWikipediaの記述の正確性に関して既に留保をつけた筈です。今一度ご確認下さい)、学界では歴代に数えることになっているのですからそれで良いのです。「一般的解釈」という表現に引っ掛かりを覚えていらっしゃるようですが、これは明らかに概説書を始めとする中国史の書籍等を参照すれば分かることです。誰を歴代に数えるのかは、特段の事情がない限り統一されている筈ですが、何がしかの研究書はお引きになりましたでしょうか?私は前の返信でも手元にあった複数の文献に当たっておりますが、迷われるのであればMiraburuさんもお近くの図書館に向かわれることをお勧めします。司馬倫の記事で個別に扱いを議論するのではなく、いずれであれ、まずは研究者の著作を参照すべきです。大変申し訳ないのですが、「何を以て『一般的には』と言えるのかどうかの判断が難しい」などというご発言は、文献を誠実に調査された結果とは思えず、困惑しております。基本的に、複数の王朝の皇帝をどう数えるかで研究者の解釈が四分五裂しているなどという事実は全く存じ上げません。実際の数え方では本紀がベースになっているとは思いますが、私達はそうした点を気にする必要は一切なく、ただ現在流通している書籍を参照すればそれで事足ります。まずは何度も申し上げている事典で構いませんので、是非ご確認下さい。--Zigzag Z会話2021年3月16日 (火) 03:53 (UTC)[返信]
そうですね、私からも少し紙の文献を当たるためにご返信のお暇を頂く事に致します。「僭称皇帝」という呼び方が誤解を招く、というご指摘は承りました。お付き合い下さり感謝いたします。--Miraburu会話 / 投稿記録 2021年3月16日 (火) 04:06 (UTC)[返信]
念のため追記致しますが、既に挙げた『万有百科大事典 9 世界歴史』の王朝の方の項目では、司馬倫の即位を認めずに恵帝の治世として扱っています。他の歴史書においても同様ですし、これが伝統的な解釈だと思われます。ただ、これは司馬倫が「僭称した」という点に限った話ではなく、他の事例でも研究者の記述に従うべきでしょう。何卒、宜しくお願い申し上げます。--Zigzag Z会話2021年3月16日 (火) 04:09 (UTC)[返信]