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ノート:吉原裏同心

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隠密廻り同心について

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この作品に登場する同心の村崎季光ですが、面番所詰めの隠密廻り同心が三廻の隠密廻り同心のことであるというのは、何か文献に記載されているのでしょうか? 三廻りの隠密廻り同心は、町奉行直属で、変装して江戸市中を探索するのが役目ですが、それと日がな一日面番所に詰めている同心と同じというのは、腑に落ちません。私が村崎季光の記述から三廻の内部リンクを削除したのは、そのあたりが不明だったからです。『図説 吉原入門』(永井義男著、学習研究社出版、ISBN 978-4-05-403744-1)のP24には「大門をはいってすぐ左手に、面番所と呼ばれる瓦屋根の建物がある。ここに町奉行所の隠密廻り同心ふたりと岡っ引が交代で常駐し、お尋ね者などが出入りするのを見張っていた」という記述がありますが、ここでいう隠密廻り同心が三廻の隠密廻りのことかは分かりません。また、下記の書籍の隠密廻り同心の職務に関する記述を読んでも、「吉原の面番所に詰めていた」という記載は見つからず、また吉原に出張っていたのはどの役職の者なのかも書かれていませんでした。

両者が同一であるということが書かれた文献があるならどなたか教えていただけないでしょうか? これが明確にならない限り、村崎季光の説明文に三廻のリンクを貼るのは不適切ではないかと思います。--遠枝 2011年11月12日 (土) 11:13 (UTC)[返信]

遠枝さんが消された三廻のリンクを復活させたのは私です。実は私も三廻のページを読み、遠枝さんが指摘しておられることに疑問を持ったのですが、やはり、隠密廻りの中に吉原に詰める部署があったというような情報、あるいは隠密廻りとは別の役職がそれを担っていたというような情報を他に得ることができませんでした(それどころか、大門脇に町奉行配下の詰め所があったという文献や見取り図も見つけることができませんでした)。ただ、作者が「隠密廻り」と作中で明言している以上、吉原に詰めていたのが隠密廻り「ではない」ことが明確になる資料が見つからないうちは、少なくともこのページでは村崎らは隠密廻りだったとすべきでしょう。そして、現在Wikipediaで隠密廻りに関して最も情報が得られると思われるページが三廻なのだとすれば、そこにリンクを張ることは間違いではなかろうと思う次第です。当然、三廻のページの解説を読んで、村崎たちの職務と違うではないかと疑問を持つ読者も現れることでしょうが、それによって今回遠枝さんが指摘してくださった問題に注目する方が増えることはむしろ喜ばしいことではないでしょうか。私個人としては、三廻へのリンクをどうしても残すべきだとまで主張したいわけではないのですが、要するにリンクをただ消すだけではもったいないような気がする、ということです。--Gestalt0625 2011年11月17日 (木) 13:15 (UTC)[返信]
ネット上には、大門脇に面番所があり、隠密廻りが出張していたという記述が見られます(たとえば、こちらこちら)。ただし、根拠となる文献は確認していません。--Taijing 2011年11月17日 (木) 14:23 (UTC)[返信]
作者が「隠密廻り」と作中で明言していると言っても、「町奉行所の隠密廻り」であって「町奉行直属の隠密廻り同心(三廻)」とは書かれていなかったはずです(ひょっとしたら私が見落としているだけかも知れませんが)。現状のこのページを読んだ人は「村崎たちの職務と違うではないかと疑問を持つ」よりも「事典にそう書いてあるんだから、吉原にいる隠密廻り同心というのは、三廻の隠密廻り同心のことでいいんだ」と思ってしまうのが普通でしょう。しかし、編集者自身がはっきりとは分かっていないことを、事実であるように書いてしまうのは問題だと思うのです。私としては、三廻へのリンクを削除し、コメントアウトで「吉原面番所の隠密廻り=三廻の隠密廻り同心」であるということが書かれた文献の情報提供をお願いする文を入れ、ページ冒頭の告知もそのまま残したいと思います。この件は、私が『吉原裏同心』を読み始めた当初からずっと抱えていた疑問です。どなたであれ、もし信頼できる文献を提示して頂けたら、とても嬉しいですし、三廻へのリンクも復活させることに異存は一切ありません。この『吉原裏同心』のページをより充実したしっかりしたものにしたいと思い、今回の提案をさせてもらいました。
Taijingさんが提示して下さったサイトは、私も既に確認しておりますが、上記の『図説 吉原入門』と同じで「吉原面番所の隠密廻り=三廻の隠密廻り同心」と書かれているわけではありません。それに、Taijingさんが示してくれた前者のサイトには「隠密廻りの与力と同心が出張して」とありますが、そもそも隠密廻りは(というより三廻は)同心だけで与力はいません。これだけ読むと「三廻の隠密廻りの他に、吉原隠密廻りという役職があり、そこには与力と同心が設置されていた」という解釈も可能です。もちろん、これはただの推測で根拠はありません。--遠枝 2011年11月18日 (金) 11:31 (UTC)[返信]
私としては、遠枝さんの提案しておられるやり方で異存ありません。--Gestalt0625 2011年11月19日 (土) 07:43 (UTC)[返信]
修正しておきました。情報提供者は引き続き募集中なので、告知タグは残しました。
『吉原艶史』(北村長吉著、新人物往来社、ISBN 4-404-01314-0)P32-33にも「大門を入ると左に門番所、右に会所があります。門番所は町奉行所配下の与力と同心が見張りに来ており、会所の方は吉原五町から当番制で詰めています。」という記述があり、奉行所の役人が派遣され番所に詰めていたという記述は見られます。しかし、この「与力と同心」がなんという役職の者かはやはり不明でした。私も引き続き調査は続けるつもりでいますが、信頼できる文献をご存知の方からの情報提供も受け付けています。どうかご協力をお願いします。--遠枝 2011年11月20日 (日) 04:02 (UTC)[返信]

テレビドラマ ゲストの記載について

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第四回ゲストの出典はおそらく[1]でしょうか。例えば第二回ゲストの山口馬木也さんの役名は公式サイトのあらすじ[2]及びYahoo!のあらすじ[3]では「藤兵衛」の表記となっているものの放送時のクレジットでは「島田藤兵衛」の表記となっている、第三回ゲストのダンカンさんの役名は公式サイトのあらすじ[4]及びYahoo!のあらすじ[5]では「村山」の表記となっているものの放送時のクレジットでは「村山信濃守」の表記となっているなど、不完全かもしれない情報を放送前から速報的に記載する価値があるのでしょうか?--Teruterubouzu会話2014年7月13日 (日) 16:21 (UTC)[返信]