ノート:吉川兼吉
修文について
[編集]Unamuさん
注釈のつけ方につき、「ベタ張り」が何を意味するのか分かりませんが、取り敢えず修文有難うございます。 出典は純宗 (朝鮮)の記述に合わせ Kindle版番で表示、「要出典」は削除させて頂きます。 多くの年号を削除されていますが、歴史的観点から時系列を把握するうえで、それなりに重要です。 特にwikiは年表に否定的であるため、読者が先後関係のインプリケーションを把握し難く、記事の広がりが損なわれています。 今回は短く単純な記事ので左程問題ありませんが、より複雑な状況を記述する場合、敢えて記載するケースがあることをご理解ください。--Minoru Shiraishi(会話) 2024年9月16日 (月) 10:20 (UTC)
- コメント「ベタ貼り」とは外部出典としてそのURLのみを記すことをそのように書きました。Wikipedia:出典を明記する#ウェブサイトを出典とする場合にそのような記載は避けるべきだと明記されておりますのでご参照ください。--Unamu(会話) 2024年9月19日 (木) 11:59 (UTC)
- 了解しました。--Minoru Shiraishi(会話) 2024年9月19日 (木) 12:04 (UTC)
項目の削除について
[編集]Unamuさん
「没後の話として経歴に組み込むことは不自然ではありません」とされていますが、どのような例規や記入例に基づくものでしょうか。
当該部分については、
①吉川父子が料理書の編纂に着手・完成した時期が不明であること
から、経歴の最後部に記載することは適切ではありません。
また、
②吉川家における忘失と発見、帝国ホテルへの寄贈
③帝国ホテルにおけるルーツの再確認
は、吉川本人の行為ではなく、「経歴」とは関係ありません。
いずれも時間軸や行為主体の整合性の面で、「経歴」に記載することは明らかに適切性に欠きます。
放置すれば、事情を知らぬ寄稿者が加筆・修正する場合に、先後関係や記載個所の取違いを招くなど、さらなる混乱の原因となります。
あらゆる史書、社史、伝記などの文献において、紀伝体のスタイルを採る場合、年譜や経歴にこうした文章を含めることはありません。
学術的には『非常に不自然』です。
上記により、貴殿の項目の削除を取り消させて頂きます。--Minoru Shiraishi(会話) 2024年9月19日 (木) 11:43 (UTC)