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ノート:吉良満家

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没年について[編集]

東京大学史料編纂所『大日本史料』第6編26冊93頁の「相馬岡田文書」に貞治3年(1364年)8月3日付で吉良満家が相馬胤家を推挙した文書が出てくるのですが、このころまで生存していたということでよろしいでしょうか?--Tourisu-garin会話2014年8月21日 (木) 00:36 (UTC)[返信]

息子吉良持家のページに以下の内容がありました。
「貞治3年/正平19年(1364年)、相馬胤重宛文書を発給した「吉良中務少輔」という人物が現れるが、父の満家が生前「中務大輔」を称していたことから「吉良中務少輔」を持家とする見方がある。」
お騒がせしました。--Tourisu-garin会話2014年9月5日 (金) 02:19 (UTC)[返信]