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ノート:名誉神学博士

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全体に機械翻訳のままの状態が多く,意味の通らない日本語になっています.


・「伝統な序列に置いては、名誉神学博士号以下は、法学の法学博士(もしくは、民法学博士)に医学の医学博士、文学博士、理学博士、音楽博士と続く。」

これでは,法学博士,医学博士,文学博士,理学博士,音楽博士と序列化されているように読めますが,原文は次のとおりです.

In the traditional descending order of seniority, the Doctor of Divinity degree is followed by Doctor of Laws (or Doctor of Civil Law) for law, Doctor of Medicine for medicine, Doctor of Letters for letters, Doctor of Science for science, and Doctor of Music for music.

これは,「その次に来るのは,法学なら法学博士,医学なら医学博士,文学なら文学博士,科学なら理学博士,音楽なら音楽学博士」という意味で,これらの間の序列を示すものではありません.


・「20世紀に世俗の大学が増加して、セント・アンドルーズ大学、グラスゴー大学、アバディン大学、エディンバラ大学などのスコットランドの大学は、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学、ダーハム大学などのイングランドの大学と同じくらい、いまだ最高の地位であるが、名誉神学博士はその実学における最高名誉を失った。」

これはまったく意味が通りませんが,原文を見ると,次のようになっています.

As universities became increasingly secular in the 20th century, the Doctor of Divinity degree lost much of its pre-eminence in practice, though officially it is still the most senior qualification at the English universities of Oxford, Cambridge, and Durham, as well as at the Scottish universities of St Andrews, Glasgow, Aberdeen, and Edinburgh.

つまり,これは完全な誤訳です.原文で it is still the most senior qualificationと言っているのはこの学位のことであるのに,訳文では,これを「いまだ最高の地位であるが」と訳し,大学のこととしています.


・「名誉神学博士を言及している。」

これも意味が通りません.原文では,confer で,これは「授与」のことです.


・「ほとんどの英語圏では、宗教の博士課程の学業と研究を終了した学生は、名誉神学博士ではなく、哲学博士、神学博士を通常授与されることが保障される。」

 この「保障される」に相当する原文は,「will usually receive」で,「通常,受ける.」であって,どこにも保障するとは書かれていません.


・項目名

そもそも,Doctor of Divinity を「名誉神学博士」と訳している点が問題です.注に,辞典にそう書いてあるからとしていますが,そうすると,この記事の中にある,「現在もいくつかの大学で,大学院を終了した者に名誉神学博士を授与する」というのは,論理的におかしなことになってしまいます.

また「アメリカ合衆国では、名誉神学博士号は、名誉学位として授与される。」というのも,おかしな文ですが,Doctor of Divinity を名誉神学博士と訳すからこういう問題が出て来るのです.

Wikipedia の記事としては,Doctor of Divinity を名誉神学博士とするのではなく,神学博士のうちの Doctor of Divinity とするか,原文標記するか,カタカナで,ドクター・オブ・ディビニティとするしかないのではないかと思います.

米国学位制度に詳しいが英国学位制度に詳しくない牧師--220.219.110.51 2010年9月26日 (日) 06:51 (UTC)[返信]


「学位」と「称号」

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こんにち、いわゆるディプロマ・ミルの問題とあいまって、学位に関する理解はより厳密さを必要とされるのではないかと思われます。 日本における課程博士号(研究職・専門職)および論文博士号は「学位」であり、その学術分野のプロフェッショナルであることの証左であると見なされます。 これに対し名誉博士号は博士とつくものの「称号」と見なされ、学位とは厳然と区別されます。たとえば、大学教員の公募の際に「博士号を取得していること」という条件が示されることがありますが、この場合、仮に名誉博士号をいくつ持っていても「博士号を持っている」とは見なされません。 あるいは、ディプロマ・ミル問題において、お金さえ払えば「博士号」の「学位記」を発行するような自称「大学」からナントカ博士号を取得し、これをもって自分は博士であると喧伝すると非難の的にされることがありますが、寄付の対価としか思えないような受領の仕方でも「名誉ナントカ博士」ならば、これと同等の非難を受けることはありません。これは名誉のつかない博士号は学位であり、名誉のつく博士号は称号であるという一般認識があるからです。
ところが、本項の記述では、「名誉神学博士」がいったい「学位」なのか「称号」なのか判然としません。すでに述べたように名誉と名のつく博士号は称号と見なされるのが、少なくとも日本における一般認識ですが、本項における「今日では、キリスト教会への貢献者に対して、修学過程や学位論文なしに授与される学位である」という文章は、この一般認識を内容的に完全に否定してしまっているにもかかわらず、それに関して何の説明もありません。また、同志社大学等の日本の神学研究機関では、称号としての名誉神学博士号が実際に授与されているにもかかわらず、そのことに関する記述もまったくありません。英国や米国の実情はわかりませんが、少なくとも本項が日本語のページである以上、日本の一般認識および日本での実情に触れた上で、英国や米国では同名の称号が学位として授与されている(もしそれが事実ならばですが)ことを、極力誤解を回避できるような厳密な記述によって説明するべきではないでしょうか。
以上の理由から、現時点での本項の記述は、厳密さからはほど遠く、あまりにも誤解を招きやすいものであると考えます。 『新キリスト教辞典』が出典として挙げられていますが、上記のとおりの今日におけるディプロマ・ミル問題などを念頭において書かれているとは言いがたく、失礼ながらもはや今日ではそのまま転載して用いるに耐え得ない内容ではないかと思われます。より新しく、より信頼性の高い出典に基づいて全面的な書き換えがなされるまで、本項の公開を一時的に取りやめるべきではないでしょうか。--Marie Friedhof会話2012年7月19日 (木) 19:37 (UTC)[返信]

今さら感はありますが、Template:正確性を貼り付けました。その程度の理由で「本項の公開を一時的に取りやめる」などということはできませんから、この程度の注意喚起でやむを得ないと思います。--119.240.182.30 2013年6月16日 (日) 00:20 (UTC)[返信]