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ノート:和田勁

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ご指摘ありがとうございました。名前の読み方ですが、参考文献に挙げた『会津人物事典(武人編)』に「つよし」とありました。執筆者が郷土史家といえる人物ですのでこちらを優先しておりました。『日本陸海軍総合事典』には「けい」とありましたので併記しておくべきでした。お詫びいたします。個人的には「けい」と聞いておりましたので特に併記を求めるつもりもありません。

さて『日本陸海軍総合事典』の「主要陸海軍人の履歴」には和田氏の経歴として昭和6年から翌年にかけて「自治指導部監察部長」を務められた旨が記されておりますが、辞職後に「協和会総務部長」を務められたと記されております。この書は近現代史専門の歴史学者秦郁彦氏が編纂し、東京大学出版会から出版したもので信頼性は高いものと考えられます。wikipediaにおいては検証可能性が重要視されており、この書は尊重されるべき資料であると考えられます。とは言いましても私から言わせれば同書にも誤りがあります(福地誠夫をご参照ください)ので、従前の記述に拘泥するつもりはございません。

そこで提案させていただきたいのですが、和田氏の経歴から協和会関連の履歴をいったん削除し、他に信頼すべき資料が提供されるのを待つというのは如何でしょうか?あるいは「監査部長」と「総務部長」を出典を明記したうえで併記しておくことも考えられます。ご子孫の方にはご不満もございましょうが、ご意見をお待ちします。 なお当然のことですが、私も別資料を探します。しかしながら、あるいは年単位で時間が必要であることもご理解ください。

追記として、私の複数の身内と和田勁氏は旧藩ゆかりの人物で構成される団体に属しておりました。満州にいった者もおります。面識があったのではないかと考えており、お懐かしい方のご子孫が健在であることを非常に嬉しく感じていることをお伝えいただければ、幸いであります。--Stingfield会話2013年10月27日 (日) 12:36 (UTC)[返信]

遅ればせながら和田氏の満州時代について確認できました。本来回想録を確認すべきでありましたが、手抜かりでした。ご指摘ありがとうございました。--Stingfield会話2014年5月30日 (金) 13:26 (UTC)[返信]