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ノート:和田家文書

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『東日流外三郡誌』を含む「和田家文書」について(石塔山)との表示がありましたが、実際にはこの文書群は石塔山に伝わったものではありません。実際の作者の名をもって表示するべきかと思われる次第です。 原田 実3月30日16:28

学者にも信書説があるので「三春?」がいいでしょうか。これも議論の余地があります。--日野智貴 2010年3月31日 (水) 04:58 (UTC)[返信]

和田喜八郎の偽作に三春藩関係者は直接関与していません。一時は秋田元子爵家が宣伝に名前を貸したことがありますが、今持ち出しても迷惑かけるだけです。 地名にすべきと言うなら、強いて言えば「飯詰」でしょうね。--原田実 2010年3月31日 (水)

なお、「石塔山」の名を用いるのはよくない理由としては、石塔山には、和田喜八郎が石塔山荒覇吐神社を建てるより前に、和田姓の修験者がいたということもあります。「和田家文書(石塔山)とすると、あたかもその修験者の家の文書のように見えてしまうわけですね。この「和田家文書」についていえば、土地に根付いたものというより和田喜八郎個人の所産なわけですから、地名よりも個人名と結び付ける方がより適切かと思われます。--原田実 2010年3月31日 (水)

わかりました。--日野智貴 2010年4月2日 (金) 03:50 (UTC)[返信]