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ノート:善きサマリア人のたとえ

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大量削除につきご説明申し上げます

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「ダーリー、バッソンらによる実験とその解釈」節を大幅に削除しました。なお、この大量削除には、以下に引用します、コメントアウト形式によって書き込まれたIPさんによって指摘された内容を含んでおり、見かけの数字ほどには記事本文は削除されていません(それでもおそらく4ケタにはなるとは思いますが)。

  • 「善きサマリア人」の喩えでは、ユダヤ人祭司もサマリア人も「遅刻だ」とせかされるような状況は無く、結局「善きサマリア人」の喩えとは、全然状況が異なると思われるが、一体、「遅刻だ」と言われてせかされている状況を「「善きサマリア人」の喩えの再現だ」と恣意的に判断したのは誰か?
  • 「人種が異なる人を隣人と見なし、そういう人々に共感を示す」という喩え、とする解釈を採用するなら、被験者が出会う困っている人々は人種が異なっていなければいけないが、実験ではそういう設定になっているようには思えない。
  • なぜか「(志望動機や談話の主題は、行動に)影響は与えておらず」という記述の根拠となる具体的な数字が欠けている。本当に影響を与えていないのなら、具体的な数字を提示すべき。実験結果の素の数字が無いと、本当はそれなりに異なっていたのに、隠蔽しているのではないか、と疑われてもしかたないし、記述した者による恣意的な解釈がかなり疑われる。
  • <<遅刻するかどうか>>ということを「背景」と解釈したのは誰か? <<遅刻するかどうか>>は、「時間的な余裕」とも、「自分を待っている人々の存在」とも、さまざまに解釈可能だが、「背景」と解釈した者の名を明記し、その見解をあくまで中立的に記述すべき。
  • まともな科学的な実験なら、母集団の人数をまず明らかにするはず。何人を対象としたのか? まずそれが不明。よって精度や信憑性が不明。それと、まともな科学的な実験なら、母集団を神学生に限ったりせず、良きサマリア人の喩え話の概念を理解しているグループと、そういう概念すら知らないグループ、そういう概念を嫌うグループ(例えば、人種偏見がある人々、自己の利益優先の商売人や、普段から自己中心的な人々、物質主義的な人々)を同じ状況(時間的に切迫した状況や時間的余裕のある状況)に置いて、行動の比率の違い(対照実験)を行うはずだが、それは無いのか?
  • 実験の結果は、解釈のしかたによっては、順当な解釈としては「よきサマリア人の心を持っている人にも、その実践のためには、できるだけ時間の余裕は持たせてあげるべき」とか「時間には余裕を持ちましょう。そのほうがあなたも、良い行動をとる可能性が高くなる」という解釈にもなるはず。なぜ、それが提示されていないのか?
  • なんだか、特定の印象を持たせよう、印象操作しようとしているうにも読める、何やらうさんくさい実験と、特に恣意的な解釈。何か変な意図があるのでは?

上記IPさんによる指摘がいちいち尤もな事に加えて、重要な部分に添付された要出典範囲や誰タグに対する応答が1年半以上行われていません(つまり突然の対応ではないということです)。ブログでならともかく、事典において取り上げるほどの精度・正確性・特筆性があるとは判断出来かねます。

以上、IPさんの指摘内容、およびタグに対する無反応を、削除理由として報告させて頂きます。--Kinno Angel会話2013年3月24日 (日) 12:45 (UTC)[返信]