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ノート:営団地下鉄日比谷線

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建設当時の東武と東急の規格であった18mが採用されたが
東急の標準が当時18mだったいうのは賛同しますが、73系や78系が主力だった東武の標準は、当時すでに20m車だったと思います。
また、日比谷線そのものが18m×8両の規格で造られており、車体の大型化や編成の延伸による輸送力増強ができない要因になっていること(これが5扉車の導入につながる)も削除すべきでないと思うのですが、どうでしょうか。Kone 02:12 2003年9月27日 (UTC)

18m車が導入されたのは東急の規格だというのは、僕も初耳です。ただ、東武の3000系は確か、18m車だと記憶しています。18m車が導入された経緯がはっきりするまでは、現在の部分はコメントアウトするとかしておいた方が、いいかもしれません。

「18m車が導入されたのは東急の規格だというのは、僕も初耳です。」の部分は、おかしいですね。秀の介 05:04 2003年9月27日 (UTC)

東武は第二次大戦後、昭和21年に6300系(国鉄63系)の導入、そして昭和28年の7800系(新造車)の登場以降、主力は20m車にシフトしています。日比谷線乗り入れ開始は昭和37年ですから、既に東武の規格は20m車であったと判断してよいはずです。昭和39年から更新を開始した東武3000系が18m車である理由は、改造種車が戦前の18m車であったからです。Yuhiko 01:48 2003年12月07日

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