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ノート:四日市鉄道デ50形電車

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新製当時の形式称号について

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本項は当初、「三重鉄道デ50形電車」として作成されましたが、四日市鉄道由来の車両であるため「四日市鉄道デ50形電車」に移動させていただきました。しかし、私どもの手元資料(慶應義塾大学鉄道研究会編『私鉄電車のアルバム 別冊』、交友社、1982)によれば新製当時は「デハニ51形」とあり、形式がデハニ51形であることがはっきりと読み取れる画像が掲載されています(三重鉄道合併後の1938年のもの)。果たして実際のところ、「デ50形」と「デハニ51形」のどちらが正当なのか、わかる方のご回答を頂きたく存じます。--七之輔/e56-129 2010年8月20日 (金) 21:28 (UTC)[返信]

上記の『私鉄電車のアルバム』の他に、
高山禮蔵「昭和初期の地方電気鉄道 VIII - 最新電動客車明細書及型式図集より -」鉄道史料 No.24 1981年10月
四日市鉄道第51号として形式図と説明があります。説明には「昭和3年田中車両で半鋼製ボギー車、デハニ51~54の4両を製造」と書かれています。高田隆雄氏の撮影した四日市鉄道時代の写真(ヘッドライトが三重鉄道時代と異なり窓下、番号のみの表記でデハニなどの記号表記はなし)も載っていますが、形式は確認できません。いずれにしても、同時に製造されたトレーラーの形式がホハ61形ならば、電動車の形式もデハニ51形となるのが常識的と思われます。--rs1421 2010年8月24日 (火) 11:23 (UTC)[返信]
国立公文書館で四日市鉄道関連の文書を調査しました。残念ながら、竣工図などの別図面は保存されていない状態で、認可書類では直接形式を記述したものは存在しませんでした。ただし、付随車に関しては、鉄道省からの記述訂正指示文書に、「サハ61」という記述があり、製造当初から「サハ61」という番号であることが確認できました。
また、三重鉄道合併後の昭和6年10月2日付の形式・番号変更認可書類によると、
  • 電動客車 (新番号)デハニ51 - 54 (旧番号)デ51 - 54 (新形式)デハニ51 (旧形式)デ50
  • 付随客車 (新番号)サハ61 (旧番号)サハ61 (新形式)サハ61 (旧形式)60
のように書かれていました。従って、新製当初の形式称号は、デ50形、60形という可能性が高いと考えられます。--rs1421 2010年9月10日 (金) 12:16 (UTC)[返信]
rs1421さん、ありがとうございます。となると60形は60形サハ61、ということになりますね。しばらく様子を見て進捗がなければ反映してもいいかもしれません。--七之輔/e56-129 2010年9月10日 (金) 13:43 (UTC)[返信]

報告 報告 rs1421さんのコメントから3週間経過し、特に追加意見や反論等がなかったため、内容を本文に反映させました。--七之輔/e56-129 2010年9月30日 (木) 04:59 (UTC)[返信]