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ノート:国鉄戦後五大事故

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「国鉄戦後五大事故」の出典

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「国鉄戦後五大事故」の出典を教えてください。検索してもウィキペディアのコピーサイト、ブログ、2chしか検出されないんですが。独自の研究ではないのですか?--124.96.236.134 2007年10月3日 (水) 14:31 (UTC)[返信]

Wikipedia:削除依頼/国鉄戦後五大事故から来ました。とりあえずキーワード「五大事故」で新聞記事をあたってみたところ、産経新聞系列で2件の新聞記事が見つかりました。尼崎脱線事故を受けて、JR西日本が「鉄道安全考動館」を吹田市に設置した件について、下記のとおり報道されています。著作権を侵害しない程度に引用します。
また、信楽事故や……国鉄戦後五大事故のひとつに数えられる昭和26年の京浜線桜木町駅電車火災事故など……社員の安全教育に活用する。 (『産経新聞』 2006年6月22日 大阪朝刊2面)
この報道が為された時点では「鉄道安全考動館」の名称は決まっておらず、仮称で「事故資料展示施設」となっています。さらに半年ほど日付を遡ってみると、2005年に発生した交通関係(鉄道・航空)事故の総括として
四月二十五日朝、兵庫県尼崎市で起きたJR福知山線列車脱線事故の犠牲者は百七人にのぼった。「旧国鉄(現JR)戦後五大事故」の一つ、桜木町事故(一九五一年、死者百六人)を上回るこの大惨事は、日本の鉄道史に「負の遺産」として深く刻まれた。 (『FujiSankei Business i.』 2005年12月29日 1面)
と報道されています。これらを見ると、「国鉄戦後五大事故」という用語が存在する(そしてそのうちの1つが「桜木町事故」である)ことまでは検証できるかと思います。ところが、「五大事故」の残り4つが洞爺丸、紫雲丸、三河島、鶴見の各事故であることは検証しにくいですね。暫定的ですが、一応の出典を提示しておきます。『朝日新聞』 1985年6月22日東京朝刊22面「歴代の国鉄総裁、9人中8人が途中退陣」という記事では、「五大事故」という言葉こそ使用していませんが、当該鉄道事故5件について言及されています。第2・3・5代総裁が引責辞任をする引き金となった事故として「三河島事故」を除く4件が紹介され、第4代総裁は「37年5月の三河島事故(死者160人)での引責は免れたものの、……」と説明されています。あとは鉄道史の専門書において、どのように記されているか興味深いところです。--tan90deg 2008年2月21日 (木) 03:59 (UTC)[返信]

修正依頼

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当記事は独自研究を理由として削除議論に掛けられましたが、上記のとおり新聞記事における使用例が見つかり、存続となりました。そこで、削除議論における提案のとおり、当記事を修正依頼に提出いたします。「五大事故」の残り4つが洞爺丸、紫雲丸、三河島、鶴見の各事故であることの情報源をお持ちの方がいらっしゃいましたら、どんなに些細な情報でも結構ですからご提供をお願いいたします。もちろん加筆修正も歓迎いたします。--tan90deg 2008年3月7日 (金) 13:41 (UTC)[返信]

自由国民社 「月刊基礎知識 from 現代用語の基礎知識」 2005年06月号に国鉄戦後5大事故があります。桜木町事故、洞爺丸事故、紫雲丸事故、三河島事故、鶴見事故の5つとなっています。--Tinecici 2008年11月15日 (土) 10:19 (UTC)[返信]