ノート:多神教優位論
この記事は2007年10月11日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、存続となりました。 |
多神教優位論への改名を提案します。詳細は削除依頼を参照。--Clarin 2007年12月21日 (金) 13:08 (UTC)
独自研究、といわないまでも一部の出典に書かれていることだけを言い切り型で書き付けるのは百科事典的といえないんじゃないでしょうか。そもそもこの項目自体、「多神教優位論」というタイトルにしておきながら主張は一言しか書かれておらず、もっぱらそれに対する反論を書く為だけに費やされているのは明らかです。反論の材料としてあげつらわれた日本人の三名にしても、多様な側面のある事柄について意見を述べているに過ぎず、「絶対的優位性」などと決め付けて書かれるのは迷惑な話でしょう。 反論の対象とされている一神教による迫害も併記してこそ中立的かとは思いますが、個人的には全体に偏った視点でまとめられている記事なので大幅な見直しか削除が妥当だと思います。-219.58.147.84 2009年10月20日 (火) 02:16 (UTC)
- 確かに、この項目は「多神教優位論」について紹介するページであり、「多神教優位論」について論ずるべきではありませんから、「反論」の節はコメントアウトまたは削除すべきと考えます。例えば、
- >普遍概念としての一神教の神は、たとえ、どのような宗教であっても、さらには、無神論者であっても神は平等に愛を注ぐものであるという思想が生まれうる余地があるという面を無視している。
- など、現実世界においてのその宗教の振る舞いを問題とされているのだから、理念上の理想をいっても仕方がないと思います。
- また、「多神教社会においても排他的になる事例を無視している」「現代における多神教徒同士の紛争事例がある」で出典とされている『人類は「宗教」に勝てるか』ではまず一神教、次いで多神教をも肯定していない本で、多神教だけを批判しているわけではない、にもかかわらず、多神教を否定的に書いた部分だけが大々的に抜き出されているのは変です。そもそも、「多神教優位」論者が、「多神教社会に排他的事例はない」「多神教徒同士の紛争事例はない」といっているように思えない以上、そのような反論は過剰と思えます。
- 「先住民族が継承してきた多神教文化には迷信深さという弱点」として台湾原住民があげつらわれていますが、これもそもそも、「多神教優位」論者が台湾原住民の宗教ですら擁護したという痕跡がない以上、過剰な反論と思えます。だいたい台湾の場合、支配したのは多神教の日本です。
- また小沢一郎の発言については、「一神教に対する差別と偏見を助長」「自身の属する多神教を強制する結果になる恐れ」とどう結びつくのか、文面を読んでもわかりません。--Clarin 2010年7月10日 (土) 07:06 (UTC)
記事の偏り
[編集]多神教優位論の内容を最初にもう少し詳しく説明すべきなのに、いきなり否定から入り、終始批判で終わっています。 これは明らかに問題で、反論事態はいいのですが、執筆者が少しも多神教優位論を肯定させまいとするあまり 偏りが生じています。
典型的なストローマンであって、必要性の無い記事だと思います。優越主義から優位論に変わったようですが、挙げられた例にしても人それぞれの考え方というものを「~論」とくくるのは乱暴にすぎますし、Wikipediaがそうした言葉を作ることになるのも良くありません。そもそもそれぞれの信者が自分の宗教を優位と感じるのは至極当然のことであり、この様な記事の立て方では際限がなさすぎると思います。 また、「仏教や神道のキリスト教・イスラム教に対する優位性を説いた」からといって「多神教優位論」だなどと決めつけるのも甚だ勝手すぎる言いぐさであり、例示されている方々にとっても迷惑な話でしょう。それらは個別の宗教名を挙げているだけですし、私が知る限り、幾人かはキリスト教・イスラム教の問題点をといているだけで、ことさら多神教の「優位」は主張していないように思います。--220.8.222.14 2012年6月8日 (金) 19:45 (UTC)
利用者:220.8.222.14の大規模削除を改定の上戻しました
[編集]ただし、不適切な節名を変更し、検証可能性のないものは削除し、また説明不足は補いました。
>又聞きの又聞きによる個人へのレッテルの貼り付けであり、一次情報の出典が無いなら掲載の必要はありません。
又聞きの又聞きではなく、ある人物の書物に該当人物の発言が載っていただけでしょう。レッテルも別に貼ってはいませんし、二次情報を載せてはいけないというルールはありません。
>一面的理解に基づく一時的な発言であったならば、「優位’論’」などとして百科事典に乗せる必要はありません。
一面的理解だと言ったのは批判側です。一時的な発言かどうかは確認されていません。「一面的理解に基づく一時的な発言」だと言い訳をすれば、言ったことが消えてなくなるわけではありません。
>多神教優位論の内容を最初にもう少し詳しく説明すべきなのに
ではあなたがその部分を執筆されてはいかがでしょうか?
>人それぞれの考え方というものを「~論」とくくるのは乱暴にすぎます
他にどのようなものを「論」とくくるべきでしょうか? その理屈だとなにも「論」たりえなくなります。
>私が知る限り、幾人かはキリスト教・イスラム教の問題点をといているだけで、ことさら多神教の「優位」は主張していない
であれば、論拠をあげてその部分を修正してください。