ノート:大和型戦艦/過去ログ1

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Lzz氏の提議[編集]

大和の艦名の説明と大和(初代)は大和 (戦艦)の方が良くないですか?Lzz 2005年11月3日 (木) 03:55 (UTC)

かなり疑問。[編集]

>>戦艦大和の歴代艦長ですら、その口径を正確には知らされなかったようである。

これの出典は?艦長クラスが自艦の主砲口径を知らないというのは戦術上ありえない話だと思うのだが。 --2006年8月2日 (水) 15:43(UTC) GFcommander

  • 「戦術上ありえない話だと思うのだが」に激しく同意。艦長が知斜体文らなければ、砲撃の時砲撃時の距離を決められないですからこれはないでしょう。--A6M4 2006年8月4日 (金) 21:37 (UTC)
    • ところで、海軍の水兵がかぶる帽子に書いてある文字も、元は乗艦している艦が書いてあったが、防諜のため「大日本帝國海軍」と変更になったとのことですが、これも大和型が影響しているとの話を聞いたことがあるのですが。どなたか実際のところどうなのか知りませんでしょうか?--A6M4 2006年8月4日 (金) 21:37 (UTC)

ついでに、「最高傑作」という評価のソースか根拠も聞いてみたい気が。単にデカければOKなら、東京は最高傑作の都市ブルジュ・ドバイは最高傑作の高層ビル東大寺金堂は最高傑作の木造建築・・・。文脈から判断するに、最終到達点のほうがあってるかも。--史跡めぐり 2007年7月26日 (木) 17:17 (UTC)

アメリカ戦略爆撃調査団が終戦直後に行った日本軍各指揮官に対する証言記録を纏めた(転載した)方から「栗田長官は知りませんでした」と供述していると言う話を聞きました。同じような供述は他の方にも見られるようですね。もっとも、まだ同人レベルなので記事に載せるのは早いと思いますが。

それと、速力など一部の項目で「悪影響はほとんどなかった。以下で検証する。」等と断定調かつ「検証」と書かれていますが、wikipediaでの表現としてはどうかな?と思います。参考文献の学研本などは検証を目的にしてますし、良く言われることですから趣旨は分かりますが、独自研究に近いように見えますね。反例などを並べるに留めた方が良いのでは?少なくとも「検証する」の類は削った方が良いかと。2007年8月22日 (水) 22:30 (UTC)

「造船技術」の大幅な記載変更について[編集]

以前の記述と比較していただくといいのですが、「大和型」に関わった現場技術者などは、その技術を民間で発揮しています。『造船官の記録』などでも語られているところです。「普通の…」という表現は、何が普通なのか一向に分かりません。建艦技術として「大和型」であろうが戦時標準船だろうが通底するものですから、これは「大和」、これは違うというのも非常にナンセンスな気がします。「大和型」建造がきっかけで変化したというものについては若干触れたつもりです。とりあえず根拠資料・参考文献とともに大幅な記載変更をしました。大量生産という点では「大和型」はまるきり縁のないものですし、「大和型」技術陣・現場担当者がのちに取り組むこととなる戦標船や二等輸送艦、蛟龍などの設計・建造のほうが関係が深いものとなります。いろんなかたがたのご意見を伺ってみたいです。--Yoshiro SAITO 2006年8月8日 (火) 16:01 (UTC)

    • 基本的に大和建艦の為に導入もしくは開発された技術が他艦に比べて多かったために大和の建造は後世に影響を与えたといわれることが多いみたいですね。実際の所大和建造のために導入、開発された技術は多いわけですしあれだけの巨艦を建造したということ自体がモニュメント的存在であり当時の日本建艦技術の集大成であったことは確かで、それが例え当時の最新鋭の技術を使ったものだけではなかったにしろ自国で大型艦を作り始めるようになってからたかだか2~30年程度で世界に冠たる戦艦を作り上げたということだけで日本造船界の一つの歴史的区切りであったことは確かでしょう。ブロック工法が大和型の建造期間をいくばくか縮めたことは確かですし、溶接工法にしても大和建造当時は発展途中だった溶接技術を戦時標準船、松級などで実用化できたのも大和級に導入するために研究開発していたものが実を結んだと言えなくもありません。どちらにしろ、一般向けには大和によって変わったといったほうがわかりやすく、受けもいいですし、当たらずといえども遠からずといった面が無きにしも非ずですからそれはそれでいい気もします。ただ、Yoshiro SAITOさんの指摘は御尤もだとは思うので、記載変更はそのままでいいのではないでしょうか。
    • 後、A6M4さん、レイアウト変更ありがとうございます。おかげで大分見やすくなりましたね。--GF 2006年8月10日 (木) 13:16 (UTC)

大和級の対空兵装について[編集]

現在出ている資料で確定証拠のあるものってあるんでしょうか? 特に最終時の兵装資料に関しては乏しい気がします。 武蔵は高角砲増設が間に合わず25mm3連装が代わりに付けられたというのが定説にはなっていますが、それすら間に合わなかったという資料もありましたし、 信濃に関しては噴進砲搭載の有無が議論になってますし、 大和も単装機銃をどれだけ増設していったのかという点で未だに確定情報というのを目にした記憶がないのですが。 どなたかご存じないでしょうか。 一応↓の文を書いてみたのですが、私の無知であると困るので本文には記載せずここに載せておきます。 問題ありましたら指摘していただけると幸いです。

    • 大和型は空母に改装された信濃も含め竣工した3隻とも最終時の兵装が確定していない。主砲、副砲などそう簡単に移動できないものはともかく、対空装備に関しては泊地で追加搭載されたものがあったり、また元々機密保持に厳しい艦であったこともあり細かい兵装部分については生存者の証言をもってしても全容が把握し切れていない。従って現存する大和級兵装の各資料の元になっている各艦最終時の兵装に関する記述は最も信頼性の高い生存者(技術者も含む)証言に頼っている部分が多く、確たる証拠をもつ信頼性のある資料は皆無に近いものとなっている。

--GF 2006年8月10日 (木) 19:30 (UTC)

61.194.57.37氏の記述について。[編集]

「~の訂正」という記事は事典としてはおかしいのでとりあえずコメントアウトしました。修正を加えるのであれば文章全体に修正を加えるべきであって、読者を混乱させる文章は事典としてはふさわしくないと思います。色々知っていらっしゃるみたいですから書かれるのは構いませんが他人が書いた文章を批判するように記事を書かれるのはあまりよくないと思いますよ。 もし、書いた記事に自信がないのであればノートで相談すべきだと思います。後、IP署名での書き込みはやめた方がよろしいかと存じます。 内容は普通に書かれていいと思うので書き方を変えられればよろしいのではないでしょうか? --GF 2006年8月12日 (土) 12:38 (UTC)

一部転記の提案[編集]

本項目「略歴」内のサマール沖海戦のレーダー(電探)に関する記述ですが。これは大和型と言うよりも、当時の日本艦艇に搭載した電探を書いていますから。本項目よりもレイテ沖海戦#10月25日 サマール沖海戦内に記述したほうが良いように思うのですがどうでしょうか。--A6M4 2006年9月24日 (日) 13:51 (UTC)

  • 略歴自体を各艦の項目に移行させてしまったほうがいいのかもしれませんね。まぁここまで大きくなるとサイズ縮小効果はあまり期待できませんが。--GF 2006年9月25日 (月) 11:49 (UTC)

略歴その他に関しては議論の余地があるかもしれませんが、今回の提案に反対ともとれる意見がなかったので転記しました。--A6M4 2006年10月3日 (火) 12:47 (UTC)

副砲防御について[編集]

 副砲弾火薬庫誘爆について、本文ではそれなりの角度から当たらないと弾火薬庫に砲弾が侵入せず、誘爆しないといった印象を受ける表記がありましたが、実際のところそれは本当なのでしょうか? 実戦では当然副砲塔内に砲弾や装薬が装備されているだろうし、敵弾命中の際、砲塔内部のそれが誘爆して、その爆発で弾火薬庫誘爆、あるいは引火、爆発という事態もあると思うのですが。ひょっとしたら、実際は何かしらの対応がなされているなど、私の無知なだけかも知れませんが、もしそうならその対応も明記しておくべきだと思われます。どうでしょうか? --2006年9月27日 (水) 15:09 59.147.177.50 氏による記述 (--GF 2006年9月27日 (水) 12:52 (UTC)による追記)


装填装薬誘爆による弾薬庫誘爆も考えられなくもないですが、実際の所砲塔内弾薬爆発による弾薬庫誘爆って殆ど例がないですよね?例えば1942年に起きた日向の砲塔内爆発がいい例ですが、戦艦の主砲弾を発射するような弾薬の爆発で50名以上の死者を出していても即座に弾薬庫で誘爆を起こしたわけではなく弾薬庫注水で事なきを得てますし。基本的に揚弾筒の弾薬が誘爆したりして、弾薬庫内に爆風が侵入しても副砲弾の装薬なら爆発力もたかが知れてますし、弾薬庫内の装薬自体は装薬缶に入れられていますから直接熱量を受けるわけではないでしょう。だから即時連鎖誘爆というのは考えにくいのではないでしょうか?弾薬庫誘爆は事例では殆ど弾薬庫自体が火元になっている場合が多いです(巡戦フッドしかり、筑波しかり、陸奥しかり)。サボ島沖海戦で旗艦青葉が第3砲塔に直撃弾を食らって砲塔内の零式弾が誘爆したこともありましたがこの際も速やかな弾薬庫注水によって事なきを得てますしね。適切な弾薬庫注水さえあれば、弾薬庫に直撃されない限りは大丈夫だと思いますが。設計のほうでも砲塔直撃、誘爆は確実に考慮していると思いますし。とはいえ、絶対とは言い切れないのも確かですが。--GF 2006年9月27日 (水) 12:45 (UTC)
だとすると、なぜあれだけ「副砲弱点説」が喧伝されるようになったのでしょうか。West 2006年9月27日 (水) 13:29 (UTC)
最初の経緯は私も知りません。というより、いつ喧伝され始めたのかも知りません。もしかしたら1回目の三笠の爆沈事故(副砲弾薬庫爆発による沈没)も影響しているかもしれません。ただ、大和はあれだけの重防御を誇る中でヴァイタルパートで唯一の弱点とすれば副砲の砲塔自体の装甲というのは確かでしょう。私が昔から疑問なのは、何故あれだけの重防御を誇る戦艦を作っておきながらあのように艦中央部の重要位置(第一副砲塔など司令塔の目の前)に弱点とも思えるようなものを作ったか、ということです。色々と文献を見てみますと、確かに副砲を弱点とする説は多いですが、それは弾薬庫に直撃を受けたというのを想定している場合と、副砲に直撃を受けて誘爆で弾薬庫も誘爆して、且つ主砲弾薬庫にも火が回って・・・というものが多いです。但し、気になるのはこういう説が基本的に即時連鎖爆発を起こしている点です。確かに日本に関わらず弾薬庫の誘爆事件は多いのですが、誘爆で爆沈したというのは大体が主砲弾薬庫、それも戦艦の場合が多いのです。戦艦の主砲の場合は一つの装薬缶あたりの火薬量が大きいですから、一つ爆発しただけで連鎖爆発する可能性は高いですが、巡洋艦程度の主砲弾であった場合、装薬缶が一つ爆発した程度では装薬缶がしっかりと封をされている限り連鎖爆発はそうそう起きないようです。これは大正時代に起きた巡洋艦磐手の弾薬庫放火事件がそれを物語っています。(参照:著 吉村昭「陸奥爆沈」) 装薬自体は太平洋戦争時代でも大正時代でも同じ下瀬火薬を使っていたことは間違いありませんから大和の副砲程度の装薬缶が1つや2つ爆発した所で副砲弾薬庫の連鎖爆発が即時起こるとは考えにくいのではないでしょうか?勿論、敵戦艦の主砲弾が弾薬庫を直撃して~というのも考えられないことはないですが、例えばアメリカ戦艦の16インチ主砲Mk.8の徹甲弾の炸薬量は僅か18kg程度です。大和の副砲15.5cm徹甲弾に至っては僅か1.5kg程度です。大和の主砲徹甲弾でさえ炸薬量が35kgもないことを考えると、副砲塔を直撃した程度では弾薬庫にまでは火が回らんかと。ただ、大和爆沈時の大爆発は第4副砲塔弾薬庫付近に発生した火災に対する弾薬庫注水がされないままで転覆したためその火が引火して第3主砲弾薬庫が誘爆したのではないか、とも言われていますね。大和転覆時の大爆発は主砲弾が転覆により転がり落ちて信管が起動したとも言われていますから真偽は定かではないですがね。どちらにしろ、わざわざ副砲塔を直撃された程度でそこまで致命的な弱点となるような兵装を設計時に気づかず付けたとは考えにくいので、それなりの対策と成算があったとみてしかるべきなのではないでしょうか?--GF 2006年9月27日 (水) 14:43 (UTC)
・・・と、ついでに色々調べていたら、他のサイトで検証、議論やっていた所がありましたので⇒ttp://www.warbirds.jp/ansq/2/B2000377.html --GF 2006年9月27日 (水) 15:12 (UTC)
(コメント)副砲については議論があって、弱点論の論拠で有力なのが海底調査で大和の1番副砲の辺りで船体が真っ二つになっていた事。一方異を唱える説もあります。副砲の装甲が薄いのは被弾したとき爆発エネルギーを上に逃がして下にいかないようにする措置だったというのがその内容で、空母も翔鶴型は格納庫の横の外壁の一部をわざともろくしておいて急降下爆撃の被弾の際爆圧が上に行って甲板をめくり上げないようにしているのだそうです。副砲は発射速度や旋回速度が良好なのがメリットで、設計段階で想定されていた対戦艦戦における敵艦の主砲弾を受け止めるだけの装甲を副砲にも施すと副砲のメリットが死んでしまう事情もあったようです。以下は余談ですが副砲にも対空用三式弾が存在していた事と、サマール沖海戦では敵護衛空母の装甲が薄すぎて主砲が当たっても船体を突っ切ってしまい、うまく信管が敵艦内で作動せず、主砲はあまり役に立たなかったようです。大和の戦果は副砲の活躍によるものらしく、大和の生涯でも結構役に立った装備だったようです。--べっ甘七みつ・たけタカひろ 2007年3月19日 (月) 15:22 (UTC)

大和が副砲付近で船体が真っ二つになっていたのは事実ですが、では一般に言われる「副砲が原因」だったのか、そしてそれは「副砲の装甲が主砲並みなら防げたのか」については、検証が必要ではないかと思います。武蔵のケースで言うなら、大和型の水平装甲は敵艦爆の爆弾ではまったく貫通されなかったものの、爆風や熱が伝声管などを通して伝播し、機関室に被害を与えたりもしています。もし「爆撃や雷撃による命中弾によって発生した火災で、鉄が熱を伝え、弾薬庫の火薬が発火した」のだとすれば、これは大和型の弱点というよりは、軍艦全般の持つ宿命なのではないかと思います。例えば米戦艦なら、あるいは空母ならそういう事態はあり得ないのか、と言えば、あり得ると思う次第です。

あと、サマール沖海戦で大和主砲弾が敵護衛空母を突き抜けたという説は広く言われているのですが、戦闘記録を見る限りでは、空母に砲弾を命中させていないので、その可能性はないようです。徹甲弾が有効でなかったことは事実ですが。2007年4月22日(日)1:15--59.157.176.1

  • 海底調査でも大和の2つの副砲には重大な損傷はありません。爆弾が命中したのは後部艦橋であり、後部副砲は損傷を受けていません。また大和の船体が切断されたのは2番主砲塔の火薬庫の爆発でしょう(2番主砲塔基部に大きな損傷が認められています)。私は大和の副砲の防御が・・・という話は都市伝説としか思えません。--メルビル 2008年6月13日 (金) 10:45 (UTC)
  • また全ての艦船の砲塔は、果たして十分な装甲がされていたでしょうか?ビスマルクの副砲はどうだったでしょうか?フランスのリシュリュー型の副砲も装甲: 110mm(前盾)、70mm(天蓋)、バーベット部:100mmしかありません。日本に限らず世界中の艦船(戦艦・巡洋艦・軽巡洋艦)で、爆弾ないし砲弾によって砲塔を破壊され、それによって火薬庫の爆発を起こして沈没したという事例があるのでしょうか?--メルビル 2010年4月16日 (金) 16:17 (UTC)

査読以来を出してみませんか?[編集]

そろそろ出すネタも出尽くしてきたようなので、査読以来を出していいでしょうか? もっと詳しい方がいればもっと充実した記事になるでしょうし。 もっと見やすくなるかもしれません。 皆さんのご意見をお願いします。 --GF 2006年12月25日 (月) 13:31 (UTC)

  • まだまだ、記事に隙間があるのでその時期ではないと思います。それに、ここで投稿されてる人たち以上に記事の検証についてふさわしい人達もないと思いますが。--FUBUKI 2008年1月24日 (木) 13:43 (UTC)

樫野の件[編集]

大和の機密保持が目的というより、樫野が砲塔運搬艦として建造されたことそのものが機密事項と言うべきですよ。 あくまでも樫野は呉で製造された18インチ砲&砲塔を運ぶための艦であって、大和型戦艦の機密保持と直接には関係ありません。 そのような特殊任務艦が存在すること=新型戦艦に重大な機密がある、という間接的な影響はありますけどね。この文は2007年3月11日(日)9:10(UTC)に221.190.133.100によって記載されました

  • まずあなたのされた編集ですが、移動された「大和型にまつわる話」という節は冒頭に「ここでは大和型について言われる俗説について、その周辺の状況を解説し、誤解を防ぎ、より正確な情報を提供する目的で記す。」とあるようにあくまである事柄に対しての説明であり。46セント砲の説明中に樫野のことがあるのはその前の文と比べても明らかにつながりがないため差し戻させてもらいます。
    次に樫野に関してですが、大和建造が決定した第三次補充計画時に建造が決定しており。また、樫野は給兵艦にとって必要な砲弾の保護を持っておらず(完全に確認していませんからまだ記載していませんが)、大和型の主砲塔を運搬するためのみに建造され、またその運用についても明らかに機密保持といえる物であり文の位置は間違っておりません。--A6M4 2007年3月12日 (月) 10:57 (UTC)

武蔵の主砲射撃方位盤故障について[編集]

シブヤン海での武蔵の主砲射撃方位盤の故障は、直接的に対空射撃に影響した形跡はないでしょう。 むしろ、射撃方位盤の故障により発砲タイミングの指揮権が主砲射撃指揮所から各砲塔に移ったことが問題、とされています。 これは指揮所からの統一射撃の場合は、事前に警告ブザーを鳴らすことが出来た(ブザーのスイッチは主砲射撃指揮所にあったと言われているため)のに対して、 各砲塔の独立射撃の場合それが出来ない為、警告無しの発砲が行われてしまうからです。 この事と、生存者の証言から第二波空襲以降に警告無しの主砲発砲が行われたと言われているのではないでしょうか? これを否定する文献は私は目にしていないのですが、宜しければ教えていただけますでしょうか?--GF 2007年3月18日 (日) 14:18 (UTC)

私が加筆した部分についてですが「警告なしの主砲発砲は一切行われなかった」という否定文脈ではないことにご注意頂ければと(主砲による~とされているが、実際には副砲による被害も大きかったのではないか、という趣旨です。実際に戦訓報告では「主砲副砲の」と書かれていますし)。

また通説では「武蔵の主砲方位盤が故障したために、敵機が対空機銃の射程内に入っても警告なしの主砲射撃が行われた」とされています。しかしながら、九四式方位盤には対空方位盤としての機能がなく、主砲による対空戦闘は砲側の照準で砲塔ごとに実施するとされています。

確かに主砲射撃指揮所は15.5メートル測距儀により、対空見張りを行ってはいますが、元々機材の能力として各砲単位で射撃を行っているわけですから「射撃方位盤の故障により発砲タイミングの指揮権が主砲射撃指揮所から各砲塔に移った」というのは、いささか解せないものがあります。主砲射撃指揮所で測距した結果を、砲塔に伝えられるなら、砲塔から射撃指揮所に「これより発砲する」旨を伝えることはできた、と考えるべきではないかと。爆撃による被害で方位盤が外れたとしても、それが原因で艦内の通信手段が断ち切られたとは考えられないのですが。

また、レイテ沖海戦における大和の戦闘詳報には「本艦主砲も分散前の敵機に対して有効に使用できた」とあり、実際に最大100秒の長秒時時限信管が配備された結果、主砲による対空戦闘は35キロから実施できたとされています。それまでは20キロ程度の、高角砲射程外の敵機に対する射撃を想定していたのに対し「密集している敵機編隊に遠距離射撃を行う」ために、長秒時時限信管が導入されたわけですから、精々3キロ程度しかない機銃の射撃範囲に敵機が入ったさいにも、主砲発砲を行っていたというような通説は、消費砲弾数からしても、一面的ではないかと考える次第です。59.157.176.1 2007年3月19日 (月) 8:48


追記 主砲による対空射撃の目安です。敵機編隊の速度を400キロとした場合、(大和が動かなければ)1分間に6.66キロ大和型戦艦に近づくことができます(大和が全力で逃げれば、27ノット=時速50キロ引かれますから、相対速度は350キロとなり、1分間で5.83キロになりますが)。で、大和型戦艦が戦闘詳報にある通り、35キロから射撃するとした場合、最大仰角での主砲発射速度は最速で38秒前後。余裕を見て1分間隔での射撃を行ったとしても、敵編隊と大和との距離は、第1撃:35キロ、第2撃:28.34キロ、第3撃:21.68キロです。21.68キロを基準としても、この距離では高角砲ですら届きませんから(副砲なら第3撃目の時点では届きます)、より射程の短い特設機銃に人員を配置する必要はありません。21.68キロから、機銃の射程内に敵機が届くまで3分弱。実際に実物大の大和映画セットを訪れたことがありますが、待避所から持ち場に駆けつけるのに、訓練されていれば3分もかからないように感じます。

もちろん、実戦では様々な要素変動を加味する必要がありますが、少なくとも2撃目までは機銃員に通告さえしていれば、余裕を持って待避させることができるように思います。そして、仮に第二次空襲で通告なし砲撃が行われたとしても、その時点での射撃数は9発のみ。そこで機銃に被害が出たなら、対策を行う余地はあるのではないかと。従って、報告された被害には「警告の余地がない発砲頻度の」副砲による爆風被害がかなりあるのではないかと、考える次第です。59.157.176.1 2007年3月19日 (月) 12:12

ご返答ありがとうございます。さて、対空配置までに余裕があったとのことですが、当時、第一波から第二波までの間は約一時間半あったといわれています。 生存者の証言ではその間に戦闘食が配られたそうですが、各銃砲身の冷却や、負傷者の搬送、兵器の点検などで忙しく殆ど口に出来なかったとのことですので、恐らく殆どの人員が対空配置についたまま第二波を迎えたと考えられます。従って、その際に発砲があると確かに負傷者が多数出たとの意見も納得が出来ます。 ただ、ここでひとつ疑問であるのが、方位盤故障によりどこまで砲術長の権限が各砲塔長に渡されたかということです。独立射撃に切り替えた時点で恐らく発砲タイミングの権限も各砲塔に渡されたのではないか、というのが無警告発砲説の論拠だと思います。 主砲指揮所では照準、発砲指示が出来ない以上発砲タイミングを各砲塔で図っていたとすれば(照準と発砲タイミングが狂っているのでは意味がない)、然るにいちいち警告をしてもらうために主砲指揮所に伺いを立てていたのでは機を逸します。これは警告を出している間に数十秒は必要だからです。主砲射撃方位盤の故障により砲術長が統一射撃を諦め、各砲塔の独立射撃に切り替えたのは第二波からです。第一波でも主砲は射撃していますが、この際は主砲射撃指揮所からの統一射撃であったため、特に被害の記述はされていないことからこの時は事前警告があったと考えられます。しかし、第二波以降、独立射撃になってからは警告が行われたとは思えないのです。何故なら、各砲塔長の普段の任務は主砲射撃指揮所からの指令によって弾をこめて照準を合わせるだけだからです。警告、発砲に関しては主砲射撃指揮所が行っていますから、いざ、発砲タイミングの権限を渡された際、そして照準して発砲をする際に警告まで思い及ぶかどうか、かなり疑問の部分があります。この辺りから無警告発砲説は成り立っているのではないでしょうか?

後、どの文献で読んだかは失念しましたが、警告はあったが機銃、高角砲の発砲音でブザーが聞こえなかった、との記述を読んだ記憶がありますが、これは貴方の言うとおり、敵編隊が至近にいる状態での発砲は通常は考えられません。従って、無警告発砲があったとすれば第二波来襲時、もしくは第3波以降の断続的な空襲があった最中の出来事ではないでしょうか?--GF 2007年3月19日 (月) 14:38 (UTC)


この件については、Wikipediaに記載できるほど確実な根拠が見いだせておりません(方位盤についても対空射撃を行えたという説や、即座に後部方位盤に切り替えて問題がなかったという説もあります)。当初から申し上げているように、私は無警告発砲がなかったというスタンスではありません。ただ半藤一利氏の「レイテ沖海戦」で描かれているような「百二十一挺の機銃は(主砲の爆風で)照準装置をへし折られた」とか「主砲の爆風は辺りの機銃台と味方の兵員を木の葉のように吹き飛ばして殺戮した」というような事実が存在したなら、レイテ戦後の戦闘詳報で「改善を要する部分」として特記されるはずであり(特設機銃が存在するのは大和も同じであり、半藤氏の記述が事実なら照準装置破損や機銃台破損などは武蔵と同じく起こったはず)、その指摘がないということは、事故が限定的なものだったのではないかと考える次第です。

ただ、主砲射撃は発令所での射撃緒元算出が必要なはずなので、砲が別々に射撃を行ったとしても、発射タイミングを把握している部署はあり、発令所から主砲射撃指揮所への通報は容易なので(射撃音がうるさすぎて、目視以外の通信手段は困難という記述もありますが……)、警告する努力は行っていたのではないか、とは考えます。どちらにせよ、無警告の主砲射撃による事故は例外的な事象であり、恒常的に発生するものではないように思います(大和でも報告されてはいるので、起こりえないというほどではないでしょうが)。

なお、無警告射撃があった場合のタイミングについては異存ありません。59.157.176.1 2007年3月21日 (水) 23:18

航空兵装について[編集]

水上急降下爆撃機である、十二試二座水偵と瑞雲が持つ意味合いを丸々削除されたようですが、これは大和型戦艦すらも「艦隊攻撃航空兵力」の一翼を担わせる予定だったという意味の記述であり、削除すると「弾着観測と偵察のため」だけに航空機を搭載したとした読めない内容となります。実際に瑞雲20機搭載計画は伊勢型航空戦艦と同様の位置づけとして進められた計画であり、史実の一環として記述したものです。復活を希望します--59.157.176.1 2007年3月20日 (火) 04:52 (UTC) [本文より転記]

履歴を見ればおわかりになるはずですが、削除ではなく転記です。一応必要最小限と思われる部分は復帰させましたが、大和型戦艦のためだけに開発されたわけではないのですから詳細は各機材の記事に記述されるべきだと思います。
なお、十二試二座水上偵察機(中島だけでなく愛知も試作しています)の記事はまだありませんので、必要とお考えでしたら一からお作りになるか、大和型戦艦の過去版あるいは瑞雲 (航空機)から分割なり一部転記なりしてください(履歴不継承にならないように御注意を)。West 2007年3月20日 (火) 18:01 (UTC)

記述の復帰をご了承頂き、どうもありがとうございます。お手数をおかけ致しました。大和型戦艦の航空兵装について記載する場合「どのような設計思想だったのか」について、基本的な部分は触れる必要はあるように思い、あのように書きました(例えばここでも46センチ砲について、設計思想が細かく記載されているわけですが、これと同じことでしょう)。機材の詳細については、各機材の項目に記載するのは筋だと思います。ただ、新しく項目を立ち上げるのは難しいですね。ページのフォーマットについて勉強してからに致します。--59.157.176.1 2007年3月21日 (水) 23:32

山本長官が詳細な説明を断られた件について[編集]

説明してもらえなかったのは何に関する詳細だったのでしょう。もし「正式な手続きを踏めば」性能に関してはすべて知ることが出来るが、書類には書かれていない現場の兵士の生の声を聞きたかったというような話であれば、今の書き方だと誤解を招きかねない気がします。West 2007年3月20日 (火) 18:01 (UTC)

空母との速力差について[編集]

軽空母、改装空母の記述を訂正されたようですが、さして行数が増えているわけでもないのに、瑞鳳型、龍鳳、神鷹、海鷹などの記述をわざわざ削る必要はないと思うのですが。根強く言われる「大和は空母護衛に使えない」への反証として「ほとんどの保有空母は大和型と大差なし」を記述しているのですから、元のままでいいように思います。もし「記述を短くすることが絶対に必要」とお考えなら、全日本空母のうち、大和型よりも速い空母と、ほぼ同速の空母、明らかに劣速の空母の隻数を記述するだけで充分であり、行数はより短くなりますが。--59.157.176.1 2007年3月21日 (水) 23:54

レイテ沖海戦での副砲による対空射撃の件[編集]

(以下、記事本文より転記の上で加筆者および加筆日時を付記)

>同海戦で行われた大和型戦艦副砲の対空射撃は、計586発にも及んでおり、
すぐ上の数字と違いますがどちらが正しいんでしょう?-- West 2007年3月6日 (火) 17:30 (UTC)
レイテ沖海戦の全期間内で大和が発砲した副砲対空弾は諸説あるが合計383発。そして武蔵が発砲した副砲対空弾が203発なので、合計586発である。問題とされている数値は10月24日の「武蔵の副砲」と「大和の高角砲」の発砲頻度を比較したものであり、大和の“副砲”が784発発砲したわけではない。ちなみに余談だがレイテ沖海戦での高角砲発砲数は、大和が合計3,801発、武蔵が1,217発であり、合計5,018発発砲している。つまり、副砲が1門辺り48.8発(586発/12門)、高角砲が1門辺り139.3発(5,018発/36門)となる。ただし、大和の高角砲発砲弾数には、10月25日に行われたサマール沖海戦での対水上戦闘での発砲数が相当数含まれていることは確実であり(具体的に何発が水上戦闘で発砲したのはか不明。なお副砲は上記の586発とは別に、25日に対艦用砲弾を127発発砲している。これを合計して高角砲と比較するなら59.4発(713発/12門)となる)、純粋な対空砲弾発砲数の比較としては、24日が適当だと執筆者は考えるものである。無論、上記の解説は副砲が対空戦闘に重宝されたという記述が否定されるものではない。というか、サマール沖海戦後の戦闘詳報で有効だったと明記されている。-- 59.157.176.1 2007年6月18日 (月) 14:31 (UTC)

(転記終了) コメントありがとうございます。これはこれで貴重な情報ですが、本文中のあの位置にこのままの形で置いておくにはちょっと長すぎるように思えたので転記しました。それと、

>開戦後には対空用砲弾として~

の文章は順序がおかしいような気がするのですが、「開」は「海」の誤字ではないですよね?West 2007年6月18日 (月) 17:30 (UTC)

>Westさま。私は海戦後と表記したのですが、どなたかが開戦後に書き直されたようです。もちろん「レイテ沖海戦後」の意味なので、そのように直しておきました。59.157.176.1 2007年6月19日 (火) 18:29 (UTC)

砲弾の分割について[編集]

いずれも大和型戦艦専用に開発された砲弾ではないということなので、また三式弾については既に別記事になっていることもあり分割してはどうかと思います。だいたい135kbというのは大きすぎないでしょうか。West 2007年6月29日 (金) 08:43 (UTC)

そういうことであるなら、元々九一式徹甲弾という項目があること自体、おかしいということになると思うのですが。一般向け書籍では「大和の主砲弾=九一式徹甲弾」ということになっているわけですが、実際には零式・三式通常弾と一式徹甲弾の組み合わせだと思われるわけで、その辺りの誤解も含めて解説したのですが。説明を簡略化して「零式・三式通常弾及び、九一式・一式徹甲弾を搭載していた」と書いてもいいのでしょうが、どのような砲弾なのか、普通の人にはさっぱりわからないと思います。リンクを張るにしても、三式通常弾だけということになりますし。あと、容量ですが、大きいと何か支障があるものなのでしょうか。零戦など、容量の大きなスレッドもあるようですが。その辺りはまったくわからないので、よろしければご教授ください。-- 59.157.176.1 2007年7月2日 (月)17:14 (UTC)

容量軽減のために、重複する記述や冗長な記述について簡略化し、文章を短くしました。-- 59.157.176.1 2007年7月2日 (月)20:11 (UTC)

逆に言えば九一式徹甲弾や三式弾を搭載していたのは大和型戦艦だけではないわけです。実際「零式・三式通常弾」の説明では大和型戦艦の記事なのに金剛型戦艦や利根型重巡での使用例が書かれていますから。
>説明を簡略化して「零式・三式通常弾及び、九一式・一式徹甲弾を搭載していた」
正にそうしようと言っているのです。「どのような砲弾なのか」については別記事を読めばわかるようになります。
記事容量が大きいことの問題としては、
  • 読む人が一番知りたいと思っていることが書かれている部分を見つけにくくなる
  • ウィキペディアは過去の版をすべて保存しているので(編集差分だけではなく、その版全体)大きな記事に対して細かい編集が繰り返されればそれだけサーバーの記録容量を圧迫する
といったところでしょう。もちろん価値のある記述を削除する必要はありませんが、分割できるものであれば分割を考慮するべきです。West 2007年7月4日 (水) 14:34 (UTC)
  • (賛成)分割は妥当であると思います。こちらの記事の簡略化はそのように適切に行われれば問題ないでしょう。今後の記述は分割先の記事を主に行っていただければ、より一層ウィキペディアは充実すると思います。--ПРУСАКИН 2007年7月4日 (水) 16:02 (UTC)
  • 私も構いませんので、分割して頂ければと。-- 59.157.176.1 2007年7月5日 (木)12:48 (UTC)


一応分割しました。レーダー関連も分割できそうな気がしますが、もっと詳しい人にお任せします。
あと、気がついたことを二点。
  • 「煙路防御」の節の後半ですが、二つの文を無理矢理つないだようで微妙に意味がわかりません。
  • クイーンメリーは水中弾による浸水ではなく、水平装甲を貫通した砲弾による誘爆で沈んだようです。九一式徹甲弾開発のきっかけになったのは別の艦ではないでしょうか。West 2007年7月7日 (土) 09:58 (UTC)
  • クィーンメリーと水中弾については「日本の戦艦パーフェクトガイド」の184ページに巡洋戦艦クィーンメリーが主要区画内に受けた水中弾と明記されているため、いわゆる水平装甲や砲塔を貫通した誘爆沈没以前の被害の話だと考えられます。もっとも私はその記事の著者ではありませんので、その解説の原典は何だ、と聞かれてもわかりませんが。-- 59.157.176.1 2007年7月7日 (土)20:55 (UTC)
  • あと余談ですが、日本海軍の水中徹甲弾は九一式からではなく、八八式からです。九一式の利点とは、八八式の水中弾効果に加えて、射程が数千mも伸びたということにあるのですが、通説では九一式が「画期的な水中徹甲弾」として開発された、のように語られているようですね。-- 59.157.176.1 2007年7月7日 (土)21:06 (UTC)

煙突の防御について[編集]

  • 煙突については、通常型の戦艦は煙突の筒自体にある程度の直接防御を施しているのですが、大和型はこれを殆ど行わず、煙突の筒の根本に水平に蜂の巣甲板を設置しているのです。そのため、攻撃で煙突の筒に穴が空いたさいに、その穴から浸水する問題があるということです(蜂の巣甲板はその名の通り、穴が空いているので弾は防げても、水は防げないわけです)。実際に、中甲板にまで浸水被害が及んだ武蔵の場合は、ここから機関部への浸水被害があったそうです。とはいえ、中甲板に浸水する自体、艦がどうしようもなく傾斜している状況であり、これを「重大な欠点」とするなら、それはそれで間違いなのですが。-- 59.157.176.1 2007年7月7日 (土)20:55 (UTC)
  • 水平装甲板に穴が開いている部分は煙突だけではありません。吸気孔や高角砲の陽弾器、乗員のハッチなど沢山あります。また艦の中央部に位置する煙路から浸水するというのは、もう沈没間際のことでしょう。他の方も指摘されているように、これは欠点でも弱点でもないと思いますが・・・。削除すべきではないでしょうか?--メルビル 2008年6月19日 (木) 03:07 (UTC)
  • あと>通常型の戦艦は煙突の筒自体にある程度の直接防御を施しているのですが・・・というのは初耳です。どのような艦で何センチの装甲板で煙突を覆ったのでしょうか?通常水平装甲板から数十センチ~1メートル程度までしか装甲板は立ち上げないはずです。しれも目的は煙路に砲弾が飛び込むのを防ぐためであり、防水のためではありません。またそれでは高角度からの爆弾や砲弾に対しては全く無防御になるために蜂の巣装甲が発案されたわけです。仮にそれが防水に役立ったとしても吸気孔から浸水しますので、意味は無いでしょう。--メルビル 2008年6月19日 (木) 03:22 (UTC)

煙路防御ですが、大和型でも煙突の根本部分に50ミリCNC部分があります。これは、傾斜時に煙突から機関部に進水することを防ぐ目的のものです(50ミリなのは、他の部位同様弾片防御目的です)。従来型の戦艦では煙突内部に断片防御格子が儲けられたり(つまり爆弾に対して無防御ではありません)、直接装甲が施されています。例えばネヴァダ級では、煙突基部に343ミリの装甲があります。同級は世界最初に煙路防御を施した戦艦ですが、以後の戦艦の多くに設けられています。ソースは「大和型戦艦」70~71ページ、「大和型戦艦2」173ページ、「アメリカの戦艦」114ページなど(いずれも学研)です。ちなみに同様な記述は、他誌でも見た記憶があります。あと、煙突基部は最上甲板ではなく、中甲板にあることを考えれば、「浸水するのは沈没間際のみで、全く欠点ではない」とするのも、正しくはないものと思います。-- 59.157.176.1 2008年9月1日 (月)18:52 (UTC)

  • 装甲と防水隔壁を混同していませんか?防水をしたければ1.5センチ程の鉄板で十分です。30センチを超える装甲は不要です。また装甲自体は継ぎ目だらけで防水機能はありませんし、装甲した煙突に砲弾が直撃した場合、煙突が変形なしに空洞を保てるとは到底考えられません。多少の変形があればそこから浸水します。煙突の装甲防御は、機関室に砲弾が飛び込むのを防ぐためであり、防水の為ではありません。ネバダの防御形式は長門型でも採用されていますし、大和の建造時期にアメリカ独自の最新技術というわけでもありません。--uiui2000 2010年2月3日 (水) 18:15 (UTC)

第三主砲塔の記述について[編集]

なお3番主砲塔に設計ミスがあり、3門同時に発砲すると、衝撃により砲塔がずれて回転できなくなるという説もある。

この部分なのですがどこからの資料からの記載なのでしょうか。かなり調べましたがそのようなことを書いた物は結局見つからず。もしかしたらこれは最上 (重巡洋艦)の軽巡時代の公試試験の際に起こった第三砲塔の旋回不能が間違って記載されているのではないでしょうか。--A6M4 2008年5月3日 (土) 12:41 (UTC)

意見が出なかったのでコメントアウトとさせてもらいました。引き続き資料を捜していますので見つかった方は出自をよろしくお願いします。--A6M4 2008年5月19日 (月) 13:08 (UTC)

あの文だけをコメントアウトしたのでは後に続く文章がやや意味不明になるので、やるならまとめてコメントアウトするべきではないでしょうか。West 2008年5月19日 (月) 16:03 (UTC)

公試のときに9門一斉射撃は必ず行われます。衝撃により砲塔がずれて回転できなるようなら、ドック入りをして、砲塔から装甲や砲身を除去して、懸架部分の補強作業が必要です。そのような大作業がされた記録はありません。--メルビル 2008年6月19日 (木) 03:01 (UTC)

どうしてもこの部分の資料は見つからず、また出自明記も正しいというコメントもなかったので削除しました--A6M4 2008年11月23日 (日) 22:24 (UTC)

Wikipedia表記ガイドの単位の項目に反する編集[編集]

West氏による編集2007年7月7日 (土) 07:05の版の内、単位に関する編集の多くが、Wikipedia表記ガイドの単位の項目に違反する改悪となっている。

また、この編集により、2007年3月6日 (火) 17:30の版の編集においてWest氏自身が設けたリンクを、リンク切れにしてしまっている。

West氏による編集2007年7月7日 (土) 07:05の版の内、単位に関する編集のすべてが、Wikipedia表記ガイドの単位の項目に違反する改悪となっている」とは考えない理由は下記の通り。

Wikipedia表記ガイドの単位の項目には「単位は片仮名・漢字で原則書きます。」と述べられている。 しかし、数字と単位記号の組み合わせが、純粋に数量を表しているのなら、単位記号は片仮名・漢字で表さず、アルファベットなどの単位記号を使ったほうが理にかなっていると考える--たとえば、物理・工学における数式内などにおいて用いる単位記号の付いた数字の場合。

以上

しかし、数字とアルファベットなどの単位記号の組み合わせを、名詞の修飾語として用いることはしてはいけない表記だと考える。たとえば、「メートル法」を、「m 法」と書いても、読者は理解に苦しむであろう。

West氏による編集2007年7月7日 (土) 07:05の版の内、センチを cm に変えるような単位に関する編集をしなければならないとするならば、8インチ砲を 8in 砲に変える編集もしなければならないということになるが、「8インチ砲」の方がはるかに読みやすいと考える。


なお、広辞苑によると、「センチ」は、第二義においては「センチメートル」を表し、「キロ」も第二義において「キログラム」、「キロメートル」、「キロリットル」を表すので、それぞれ前者を後者の代わりに用いても文脈から判断が付く限りにおいては差し支えないと考える。

--ほわーりィばーど 2008年11月9日 (日) 13:22 (UTC)

不適切な表記だとお考えでしたら、御自分で修正なさってください。
検索すると「in砲」という表記はほとんどありませんが、「cm砲」は結構使われているようです。
レーダーに関するくだりでは一つの文の中に「kW」(キロワット)、「キロ」(キログラム)、「キロ」(キロメートル)が混在しており、どちらかに統一するなら短い方が煩雑にならない - と、当時の僕は考えたのでしょう。キロワットをキロとは普通言いませんよね。
リンク切れの件は確かに僕のミスです。申し訳ありませんでした(しかし1年以上誰も修正してなかったのね)。
なお、節見出しにまで僕の名前を入れておく必要はないと思われるので、変更してもよろしいでしょうか。West 2008年11月9日 (日) 15:07 (UTC)

大和型にまつわる話[編集]

「大和型戦艦」の項目内に、独自研究または個人的な意見に類する物があちこちに散見されるような気がしますが、とりあえず「大和型にまつわる話」の項目は必要でしょうか? 特にこの項目にその傾向が強いといいますか、項目の存在自体に疑問を覚えるのですが。--シズク 2008年12月16日 (火) 12:10 (UTC)

厠について[編集]

大和型から洋式になったとの記述がありますが、海軍ではそれ以前から洋式便所を導入していませんでしたか?--125.199.108.90 2009年8月10日 (月) 17:20 (UTC)

給弾機構の動画について[編集]

掲載されている「給弾・発射機構」の動画なのですが、私の手許にある複数の書籍(主に学研歴史群像太平洋戦史シリーズ、および、扶桑社の数冊、ほか)から判断すると、その動画は大和型ではなく長門型の機構に近いもののように思います(細かく言えば、どちらでもありません)。もちろん私自身は戦艦の砲塔内部を直接に見たことはなく、書籍からの情報でしかありませんが、その動画は除去したほうがよいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。--しまあじ 2009年10月7日 (水) 12:50 (UTC)

他の艦と比較しての大和型の揚弾・揚薬機構の違いを特に簡単にわかりやすく比較して図解しているのは下記の書籍です。これに記されている図解は、私の所持している他の書籍とも大きな矛盾はありません。
動画をいったん除去します。異議のあるかたは御意見をお願いいたします。--しまあじ 2009年10月7日 (水) 13:27 (UTC)
上に提示した自分の書籍を再確認したら、大和型と対比して図解されていたのは長門型ではなく、扶桑型のようです。しかし、除去した動画が大和型の揚弾・揚薬機構でないことに変わりはありません。--しまあじ 2009年10月8日 (木) 14:58 (UTC)