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ノート:大善寺 (甲州市)

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日光・月光菩薩の造立年代について

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両菩薩像の解体修理と正応5年(1292)の年記を持つ納入品の発見を受けて2012年に山梨県立博物館で開催された「大善寺 日光・月光菩薩像」のパンフレットを見ると、まず両菩薩像は文永7年(1270)の火災以降の再建時に制作されたとされていますが、これ以前の嘉禄の復興(1226頃)の際の造立とも考えられているとあります。

そして正応5年の年記を持つ印仏が出てきたわけですが、これは「僧顕俊が発願した年代」とあり、あくまで納入品が収められた年代を示すものではないでしょうか?納入品の発見からわかったことは正応5年にはすでに像が存在したことであり、文永の復興にしろ嘉禄の復興にしろ、それ以前に像が作られた説は成立することになります。印仏の発見により像の制作年代が確定したわけではないように思われるのですが、いかがでしょうか。ただ、日光・月光菩薩像に関してはこちらの書誌で発表されている論文があるらしく、私はまだ入手できていないので、もしかしたら同書で最新の見解があるかもしれません。--でここ会話2015年1月31日 (土) 03:15 (UTC)[返信]

(追記)もしかしたら、正応5年に納入品を収めて像が「完成」したという意味でしょうか?--でここ会話2015年1月31日 (土) 03:37 (UTC)[返信]

(追記)もう一点。印仏は発見された際に「紐で綴じられた紙束状」であったとされるのですが、この「紙束状」という形態の記述がなぜ除去されるのか、この点もわかりません。--でここ会話2015年1月31日 (土) 03:57 (UTC)[返信]