ノート:大山寺 (伊勢原市)
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- 伯耆大山のリンクもここに飛ぶようなのですが、閲覧者に混乱を与えかねませんので、吉祥寺のように並列表記するか、曖昧さ回避のページを作成した方がよろしいのではないでしょうか-Kstigarbha 2005年6月19日 (日) 06:46 (UTC)
- このページ「雨降山大山寺」を「大山寺 (神奈川県)」に移動したいと思いますので、ウィキペディアのルールに従って告知します。(「雨降山大山寺」はリダイレクトとして残ります。)ページ名に「(神奈川県)」を付けるのは、鳥取県の著名寺院である「大山寺 (鳥取県)」(だいせんじ)と区別するためです。また、現在、本ページへのリダイレクトとなっている「大山寺」は曖昧さ回避ページとしたいと思います。寺院の名称については、「○○山」という「山号」は記事の定義部分で説明し、ページ名(見出し語)は寺号のみにするということで以前に合意ができています。その理由は長くなりますのでCategory‐ノート:日本の寺に書きました。Urania 2005年6月21日 (火) 14:48 (UTC)文言修正Urania 2005年6月21日 (火) 14:52 (UTC)
- 了解しました。よろしくお願いします。-Kstigarbha 2005年6月22日 (水) 00:44 (UTC)
江戸時代以前の祭神について
[編集]大山が天保六年に幕府地誌調所に提出した『大山地誌調書上』には山頂の石尊社は以下(最後尾引用文)のように記されています。『新編相模国風土記稿』もそれに基づいて記述されています。江戸後期の祭神は鳥石楠船尊で、大山祇神が正式の祭神になったのは明治以降の阿夫利神社という組織が成立してからの事です。 川島先生には普段お世話になっておりますが、宗教的なことと古代中世についてはあまり検証していらっしゃらないので、江戸期の庶民の俗信をそのまま記述されているようで残念ながら誤解も多いです。 また、『延喜式神名帳』での神名は「アフリノカミ」であって「石尊権現」ではありません。「石尊権現」の初出は『大山縁起』真名本です。
一 石尊社 桁行壱丈弐尺参寸 不動尊本堂ゟ石尊宮/梁間八尺弐寸/社迄道法弐拾八町/阿部利神社 鳥石楠船尊 本地十一面観音 秘蔵 別所町観音寺ニ在之/同社拝殿 間口六間弐尺 奥行八尺--城川隆生(会話) 2020年4月7日 (火) 04:43 (UTC)相模国霊場研究会 城川隆生