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ノート:大嶽丸

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統合提案

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大武丸」の記事を本ページ「大嶽丸」に統合することを提案いたします。

提案時点での「大武丸」の内容はかなり薄く、「大嶽丸」との重複情報が半ばを占めています。「大嶽丸」の記事はそこそこボリュームがありますが、「大武丸」の記述を回収しても肥大化するとまではいえないでしょう。加筆の余地があるテーマなのですが、それはいったん置いておきます。

現状に対する最大の疑問点は「大嶽丸は鈴鹿の鬼神、大武丸は陸奥国霧山の鬼神」と明確に切り分けられるのか?というところです。鈴鹿が「大嶽丸」なのは確定で良いでしょう。問題は陸奥国のほうで、『岩鷲山縁起』ですと霧山に住まうのは「大武丸」なのですが、御伽草子『鈴鹿の物語』『鈴鹿の草子』『田村の草子』では、のきなみ「大嶽丸」が霧山の最終ボスになっています。このあたりの観点が現在の「大武丸」記事に不足しております。

それに、根岸英之「福島県大滝根山西麓の田村麻呂伝承」によると、大滝根山の鬼賊「大滝丸」の名前のバリエーションに「大嶽丸」があるそうです。要するに大嶽丸は東北にもいるということです。

「鈴鹿と東北では場所が離れているから別人だろう」ですか? モデルとなった人物は(実在したとして)別でしょうが、伝承の中ではひとつです。同輩(?)の「悪事の高丸」だって、滋賀県→静岡県→栃木県→宮城県と、ちょっとありえない距離を転戦していたではありませんか。

そもそも「大武丸」を霧山の鬼神と断じることすら拙速であり、別の伝承では佐沼で討たれて鬼首村&鬼死骸村の名前の由来になったとか、衣川の善城に拠点があったとか言われています。

前述の「大滝丸」にしたって、どちらかといえば多数派なのは「大多鬼丸」ですし、かと思えば「大竹丸」というのもあり、さらにそこへ悪路王が絡んでくるので、もう滅茶苦茶です。

だから、「大嶽丸」の記事に「東北地方の大嶽丸とその異称」というセクションを作り、そこにオオタケマルシリーズの情報を集約させましょう。まとめた結果、記事が大きすぎるということになれば、そのとき再分割を考えましょう。少なくとも、実質的に単独の出典で「大武丸」を東北代表のごとく提示している現状を許容することはできません。--禁樹なずな会話2018年11月20日 (火) 10:31 (UTC)[返信]

提案 条件付反対失礼いたします。妖怪や伝承を得意分野としない者ではありますが、いくつかの提案をさせていただきます。 大嶽丸に統合する理由として挙げられているものは出典のない限り独自研究になります。同一人物鬼であるとする出典を二つ程度でよろしいのでご提示いただけませんでしょうか。また、既存の大竹丸が大嶽丸という名前として紹介されている根拠があるのでしたら本件とは別に今までに統合の必要性があったと思われます。この場合、大竹丸のリダイレクトを設けてしまえば済むことですし。であるからして、提案は、最も資料数が多かったり最も信ぴょう性のあるものを題名にして、その他の候補?はリダイレクト及び記事内での「~という名前もある」(出典)にする・大嶽丸に「東北に大嶽丸と呼ばれている鬼がいる、詳細は大竹丸へ」と書くべきです。また、「東北地方の…その異称」と仰せられますが大嶽丸と同一であるとする出典も必要となります。大嶽丸が東北にいても同一とは限りません。また、「悪事王も出てきて滅茶苦茶だ」とありますが出典があるので『無茶苦茶』は修正してわかりやすくするべきです。Wikipediaは自由であれども百科事典です。対立した意見は両方を載せろと規定されていたはずです(ページ名なんだったっけ)。統合に関しては、これに反対させていただきます。なぜなら、先述のとおり、両者が同一とは限らないが同一であるとする前提で進めてリダイレクトを設置するという方法が使えるから、また、大竹丸の中身がいくら薄くともそのような理由では統合されるべきではありません。中身の薄い記事はカテゴリなどを使って人を募り分厚くすべきだからです。以上、妖怪や伝承を得意分野としない者が口をはさみました。--峰浦(石賀)景勝会話) 2018年11月20日 (火) 13:54 (UTC) 峰浦(石賀)景勝会話2018年11月20日 (火) 13:54 (UTC)-[返信]

伊能嘉矩 『悪路王とは何ものぞ』 に、「オオタケマルは全員同一人物説」が唱えられております。正確には、1個人ではなくある種のグループリーダーということですが。
なので、大嶽丸と大武丸は同一だろうといっても独自研究には当たりません。むしろ別人とするほうが独自研究です(別の出典がない限りは)。
それとですね、今の記事に加筆して済むのならばそうしています。問題は「『大武丸』という現状の記事名でいいのか?」ということです。そのあたりを明確にするためにも情報を一本化したいのです。--禁樹なずな会話2018年11月20日 (火) 14:14 (UTC)[返信]

保留 大嶽丸について多数回に渡って加筆・編集している利用者:メメメ会話 / 投稿記録 / 記録さんが大武丸を大嶽丸の方に加筆せずにあえて新規作成されているというのは何か意図があるはずです。メメメさんの説明を待ってから判断したいと思います。--tail_furry会話2018年11月20日 (火) 15:30 (UTC)[返信]

メメメさんの会話ページで、お誘いをかけておきました。--禁樹なずな会話2018年11月20日 (火) 15:46 (UTC)[返信]

お答えします。「大嶽丸は鈴鹿の鬼神、大武丸は陸奥国霧山の鬼神」と明確に切り分けられるのか?について私の考えは「大嶽丸と大武丸という固有名詞ではなく、鈴鹿山の鬼神と岩手山の鬼神というルーツの異なる地域伝承として明確に切り分けられる」です。オオタケマルはシリーズではなく、「大滝丸」「大多鬼丸」もですが、互いに影響があるでしょうが鈴鹿山や岩手山などでそれぞれ地域伝承の成り立ちが異なる存在です。

「大嶽丸」について編集の意図を説明します。私の手元にある書籍や史料だけでも絵巻の写本よって「鈴鹿山」「霧山」「高山」など、大嶽丸の棲み家となる山だけでも描写が一定していません。『鈴鹿草子』に関する論文も拝見しましたが、学術的に『酒呑童子絵巻』ほど研究が進んでないため、現状では大嶽丸という固有名詞を系統別に分類するのは大変難しいと判断しています。仮に、系統別に記述するのであれば国文学の領域であり、『鈴鹿草子』などで新規項目を作成し、海外の美術館に収蔵されている絵巻も含めて「鈴鹿御前#伝説の概要」で触れている古写本系と流布本系に分けて、各所蔵本における差違を「源氏物語」のように明確にしていくべきである、と考えます。しかし、それだけの記述をできるほど学術的に研究が進んでいません。そこで「大嶽丸」については民俗学という視点で、絵巻などの説話ベースの大嶽丸でなはなく、地域伝承ベースでの大嶽丸としての編集を心がけています。伝説の概要よりも歴史に重点を置き「811年に鈴鹿峠に田村祠が、812年に土山に田村神社が創設されて鈴鹿山と田村麻呂が結び付き、室町時代初期に能『田村』で田村丸が「鈴鹿山の鬼神」を討伐する話が成立し、室町時代中期にお伽草子などが成立して「鈴鹿山の大嶽丸」の固有名詞がつけられ、それが江戸時代に仙台藩で語られた奥浄瑠璃へと繋がっていく」という歴史の流れです。このように「大嶽丸という鬼神」ではなく「鈴鹿山の鬼神」という視点で編集しています。

次に「大武丸」について編集の意図を説明します。当初は「大武丸との関係」というセクション内ですべて記述することも考えました。しかし地域伝承をベースとした場合、「鈴鹿山の鬼神」と「岩手山の鬼神」という視点では別の存在となってしまいます。前提条件として『吾妻鏡』が初出とされる「達谷窟の悪路王」がいますが、私は田村神社など鈴鹿峠周辺の地域伝承から派生したと考えられる「鈴鹿山の大嶽丸」とでは明確にルーツが異なると考えます。そのため「大嶽丸」の編集では歴史を重点的に考えました。伊能嘉矩『悪路王とは何ものぞ』で「オオタケマルは全員同一人物説」が提唱されている事も知っていますが、私はあくまでも伊能説はひとつの考え方にすぎないと捉えており、『悪路王とは何ものぞ』以降も「坂上田村麻呂伝説」に関する書籍が数々出版され、新しい発見や論説がこれからも登場すると思っています。そのため1922年の『悪路王とは何ものぞ』よりも比較的新しい、2004年の阿部幹男『東北の田村語り』を新たな視点として見ました。『東北の田村語り』で阿部幹男は「旧仙台藩や北上川流域を中心に語り伝えられた『田村三代記』の影響下で発生した伝説」と「南部氏が盛岡に本拠地を構えた近世初頭に江戸や上方で興隆した古浄瑠璃を元に新たに本地譚が創出され、その影響をうけ創出した伝説」と、そのルーツを明確に分けています。南部氏と岩手山信仰、中世の縁起から近世の縁起、『御山本地一代記』や『奥州南部岩手郡切山ヶ獄乃由来』とその語りの性格など、阿部幹男は『東北の田村語り』内で出典元を挙げて比較検討した上で、仙台藩系と南部氏系の違いを書いています(『東北の田村語り』「盛岡藩の語りと伝承」249-274頁)。この事から鈴鹿峠周辺にルーツを持つ「鈴鹿山の鬼神」と、南部氏にルーツを持つ「岩手山の鬼神」も明確に異なるルーツを持つと私は判断し、岩手山の地域伝承は伊能説だけに留まらない特筆性があると考えました。

もし伊能説のみに立って編集する場合、どこまでを「転訛」として許容するのかという問題もあります。鈴鹿山の大嶽丸もオオタケマルですから、ルーツに関わらず悪路王からの「転訛」とも言えます。さらにいえば阿久良王もアクラオウですから「転訛」ともいえ、「本来ひとつの対象を指していた」というのも成立します。では大嶽丸や阿久良王は同一であるか、といえば互いに影響しあい、補完関係にあったため根本的に同一説を否定できないが、そのルーツまで同一とするには地域伝承やその成り立ちなど歴史が異なることも否定できないというのが私の考えです。「別の伝承では佐沼で討たれて鬼首村&鬼死骸村の名前の由来になった」なども存じ上げていますが、私の基準で申しますと地域伝承として異なるルーツがあれば新規記事にしてもいいとさえ思います。

単独の出典で記事を作成した落ち度は私にありますので、この混乱の責任は私にあります。申し訳ありません。「大武丸」を東北代表のごとく提示しているという指摘についても、私の意図が伝わらなかった点で申し訳なく思いますし、許容できない気持ちも尊重します。しかし私は「大武丸」を東北代表のごとく提示しているつもりは一切ありませんし、鈴鹿山の大嶽丸とも悪路王ともルーツが異なるとする書籍がある岩手山の大武丸のページを統合を許容することや、ルーツが異なる以上はオオタケマルシリーズとして捉えることが難しいのを、まず理解いただければと思います。 --メメメ会話2018年11月22日 (木) 03:43 (UTC)[返信]

まずは呼びかけに応えていただき、ありがとうございます。
統合提案を出しておいて言うのもおこがましいですが、「岩手山の大武丸」は単独記事でいけると思っております。「大滝根山の大多鬼丸」も大丈夫でしょう。問題はもっとマイナー、というかどうしても文章量が少なくなってしまうオオタケマルの扱いでして、メメメさんの見解では「地域伝承として異なるルーツがあれば新規記事にしてもいい」とのことですが、Wikipediaの基準に鑑みて全部を個別に立項するのはやはり無理です。
それと「名前が似ている奴は全員同じ人」と言わんばかりの『悪路王とは何者ぞ』に追従するつもりはないのですが、転訛というレベルでは済まない名前の符合もあることから(特に「悪路」の人が絡んでくる場合)、各地の伝承を「それぞれ別系統」と切り離すのもためらわれます。
なので、すべてのオオタケマルをまとめたポータルのようなものは、やはり必要だと考えています。今回の統合提案は、それを「大嶽丸」の中に作ろうという話でした。メメメさんに加筆のヴィジョンがおありなら、「大武丸」は単独記事のまま発展させていくとしても一向に構わないのですが……そうすると、このポータル、どこに置きましょうか。
  1. 「大嶽丸」の記事の中に「東北地方の大嶽丸とその異称」というセクションを作る。
  2. 「大武丸」の記事の中に「その他の地域の大武丸と異称」というセクションを作る。
  3. 「大嶽丸 (東北地方)」というまとめ記事を新規に作る(もっと適切な記事名があるという方はどうぞ)。--禁樹なずな会話2018年11月22日 (木) 05:18 (UTC)[返信]
複数の大嶽丸/大武丸/大竹丸などを指すときに、オオタケマルと表記させてもらいます。
現「大嶽丸」を「大嶽丸 (鈴鹿山)」に移動し、空いた「大嶽丸」をいわゆるオオタケマルの曖昧さ回避ページにする、でもいいかと思います。
鈴鹿山の鬼神の成立を重視した現「大嶽丸」に「東北地方の大嶽丸とその異称」セクションを作って加筆していく場合、「鈴鹿山(畿内)」と「東北地方」という成立に関する前提条件があまりにも異なる二つの系統になるので、地域性などの観点から記述を分けていく必要があると考えます。岩手山の大武丸など東北地方のオオタケマルの成立については遺構もある程度共通していますが、鈴鹿山周辺の遺構と比較しますと共通点はほとんどなく、「鈴鹿山(畿内)」と「東北地方」のオオタケマル関連性を誤解なく記述していくのは難しいでしょう。
ですので「大武丸」の記事の中に「その他の地域の大武丸と異称」というセクションを作る案をベースに、大武丸に東北地方の各オオタケマルを系統別に加筆し、編集者が増えて記事が充実した段階で特筆性があるものは単独記事化を検討という方向でどうでしょうか。
また、「地域伝承として異なるルーツがあれば新規記事にしてもいい」とは言いましたけど、史料を比較検討した上で特筆すべき差異があればであり、なんでも新規記事に出来るとまでは言いません。

--メメメ会話2018年11月22日 (木) 09:21 (UTC)[返信]

 支持メメメ様の意見を支持させていただきます。曖昧さ回避ページを作成することは必要ではないか、と思いますので。 …そこで一点質問させていただきますと、上記の「大嶽丸/大武丸/大竹丸などをオオタケマルと表記させてもらいます」の『など』は(下線部)は大竹丸、大嶽丸、大武丸、大滝丸、大多喜丸ということででよろしいでしょうか。面倒をおかけして申し訳ございませんがご説明いただけますとうれしい限りです。--峰浦(石賀)景勝会話2018年11月22日 (木) 10:04 (UTC)[返信]

「など」についてですが、あくまで便宜的な使用のつもりだったのですが「坂上田村麻呂伝説に関連する大嶽丸や大武丸や大竹丸など」のようなニュアンスです。
おっしゃられるように大滝丸や大多喜丸も含みますし、他にも大多鬼丸や大丈丸などもいます。
それら各地の「大嶽丸/大武丸/大竹丸など」と複数の異称を並べると長くなりますし、「「大武丸」を東北代表のごとく提示している現状を許容することはできません。」という意見にも配慮して、複数を指すときは片仮名でオオタケマルとしました。
そこまで深い意味はありませんし、混乱させたのであれば申し訳ないです。

--メメメ会話2018年11月22日 (木) 12:43 (UTC)[返信]

上記で挙げられているほかに「大岳丸」もいますね。梁川に立派な石碑が建っています(都合のいい文献が見つからないので記事には書けませんが)。
「「大武丸」を東北代表のごとく提示している現状を許容することはできません。」という書き方は、今見れば言い方がきつかったのではないかと反省しております。あのときは「大武丸」の記事が作成されたまま放置されているのではないかと懸念しておりましたもので……メメメさんの御意思を確認できた今となっては強く拘泥するものではありません。
さて、これまで寄せられた御意見を踏まえまして、今後の方針としては「大武丸の記事は統合せずに加筆対応とする。岩手山の鬼賊について論じたメインセクションに加えて、各地のオオタケマルについて解説するサブセクションを作り、内容を充実できるオオタケマルは個別記事にする」ということでどうでしょうか。--禁樹なずな会話2018年11月25日 (日) 01:27 (UTC)[返信]
禁樹なずなさんが提案されている方針を支持いたします。
各地のオオタケマルについて可能な限り地域伝承に配慮しながらの加筆になりますので、近年の出版物など新たな視点も比較検証しながらとなり、ペースが遅くなることをご了承いただければと思います。--メメメ会話2018年11月26日 (月) 22:58 (UTC)[返信]
× 中止 議論に参加してくださった皆様、ありがとうございました。本統合提案は取りやめとし、大武丸への加筆をもって記事の充実を図るものとします。
現在、加筆内容の素案を作成中ですので、今しばらくお待ちください。記事に所有権なんてないので、意欲のある方が実行されてもいいわけですが、悪路王からの転記を大量に含むことになりそうですので、執筆者が同じほうが履歴継承を考慮しなくてもいいぶん楽なのではないかと。--禁樹なずな会話2018年11月27日 (火) 02:12 (UTC)[返信]