ノート:大川春義
生年と三毛別羆事件当時の年齢
[編集]初版投稿者です。三毛別羆事件では大川春義氏は事件当時7歳とのことで、参考文献の『ほっかいどう百年物語』で「1909年生まれ」との記述を見て「あれ? 事件は1915年なので、当時5歳か6歳のはず」と思いましたが、数え年によれば1950年の「年齢のとなえ方に関する法律」施行までは、年齢の数え方は数え年が一般的だったそうですので、数えで7歳ということかもしれません。『ほっかいどう百年物語』p246では、事件当時6歳とあります。このほか『羆嵐』p252とp257、『苫前町史』p861、『小説新潮』2007年4月号p56では事件当時7歳、出典に用いていませんが『日本史の現場検証 第2巻』(ISBN 978-4-594-02790-2)p211でも7歳でした。
また明治43年生説のある『貧困なる精神 第15集』では「現在73歳」とあります。この記述の原典は長野県の郷土誌『はこべ』1983年8月号なので、明治43年、すなわち1910年生なら確かに同誌発行時点で73歳です。このほかに『慟哭の谷』p97では「事件当時数え6歳」、読売新聞2007年8月18日東京朝刊p29「射止橋 ヒグマ襲撃、語り継ぐ」では「事件当時5歳」「死去時75歳」とあります。読売を満年齢と見なせば1910年説と合います。
迷いましたが1910年生ではどうあっても事件当時7歳とならず、7歳とある資料のほうが多いことから、1909年生説を支持し、明治43年(1910年)生説は脚注でフォローしました。このほかに生年や年齢について記述のある資料をどなたかご存知でしたら、お教えいただけますと助かります。よろしくお願いいたします。--逃亡者(会話) 2015年12月19日 (土) 20:50 (UTC)
長男か、三男か?
[編集]2016年2月21日 (日) 01:21 (UTC)(差分)の編集につきまして。 出典として挙げた『苫前町史』861頁には確かに、大川春義氏は大川与三吉の長男とあるのですが、何かの資料には三男とあるのでしょうか? 検索を試みたところ、WP:RSといは言い難いですがこちらのサイトには三男とあり、参考資料として新潮文庫刊『羆嵐』がありますので同書を読んだところ、長男とも三男とも記述がありませんでした。ただ同サイトの日付が2011年、私の読んだ『羆嵐』は2013年版(ISBN 978-4-10-111713-3)ですので、2011年時点で発刊されていた1982年版『羆嵐』NCID BN01499754には何らかの情報があるのかもしれません……が、図書館で貸し出し中でした(まぁ、長男であろうと三男であろうと猟師としての業績には関係ないですが)--逃亡者(会話) 2016年2月27日 (土) 02:42 (UTC)
- 逃亡者さんが年齢の確認のために参照したという『慟哭の谷』p97。ここを再読されるとよいですよ。--Bellis(会話) 2016年3月12日 (土) 00:53 (UTC)
- ありがとうございます。2016年3月10日 (木) 12:51 (UTC)(差分)にて、当該箇所を記述されたIP 124.25.231.158さんに出典をご提示いただきましたので、私も1時間ほど前に『慟哭の谷』もう一度読み直して97頁に「三男」との記述を確認したところです。早速ノートに書こうかと思いきや、先を越されました(汗)。さて先述の通り『苫前町史』では確かに「長男」ですので困ってしまいました。記事本文は単に「息子」とし、長男と三男双方の説があることを脚注でフォローしてはどうかと思い、試作案を作成してみました(⇒利用者:逃亡者/sandbox)。もしくは、先述の通り長男であろうと三男であろうと猟師としての業績には大して関係ありませんので、逃げの手段になってしまいますが、いっそ長男とも三男とも書かず、「息子」との記述に留めても良いか?とも思いました。いかがでしょうか。--逃亡者(会話) 2016年3月12日 (土) 02:46 (UTC)
- ご自由にどうぞ。ところで、この方、熊を獲物として売っていないことから、純粋なハンターではないようです。どうやって生計をたてていたのか。そういった点が読んでいてすっきりしませんでした。--Bellis(会話) 2016年3月21日 (月) 10:43 (UTC)
- 上記IP氏にも会話ページにて呼びかけましたが議論参加も反論もありませんでしたので、試作案の通り長男説・三男説双方の併記に改めさせていただきます。
- 生計ですか。今まで読んだ文献はヒグマ狩りに焦点を当てた記述がほとんどで、本職や生計についての記述はなかったですね。こちらのサイトで参考文献に挙げられていた、のぼりべつクマ牧場発行『ヒグマ』(NCID AN10198739)の10号別冊「獣害史最大の惨事 苫前羆事件」も読みましたが、大した記述はなかったです。心当たりの文献は一通り当たったので正直望み薄ですが、今後の加筆の課題とさせていただきたく思います。--逃亡者(会話) 2016年3月27日 (日) 10:00 (UTC)
- ご自由にどうぞ。ところで、この方、熊を獲物として売っていないことから、純粋なハンターではないようです。どうやって生計をたてていたのか。そういった点が読んでいてすっきりしませんでした。--Bellis(会話) 2016年3月21日 (月) 10:43 (UTC)
- ありがとうございます。2016年3月10日 (木) 12:51 (UTC)(差分)にて、当該箇所を記述されたIP 124.25.231.158さんに出典をご提示いただきましたので、私も1時間ほど前に『慟哭の谷』もう一度読み直して97頁に「三男」との記述を確認したところです。早速ノートに書こうかと思いきや、先を越されました(汗)。さて先述の通り『苫前町史』では確かに「長男」ですので困ってしまいました。記事本文は単に「息子」とし、長男と三男双方の説があることを脚注でフォローしてはどうかと思い、試作案を作成してみました(⇒利用者:逃亡者/sandbox)。もしくは、先述の通り長男であろうと三男であろうと猟師としての業績には大して関係ありませんので、逃げの手段になってしまいますが、いっそ長男とも三男とも書かず、「息子」との記述に留めても良いか?とも思いました。いかがでしょうか。--逃亡者(会話) 2016年3月12日 (土) 02:46 (UTC)