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ノート:天台座主

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主な天台座主について

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記事を建てた本人です。本文の「主な天台座主」の欄ですが、次々と追加されている状況で、もはや「主な」ではなくなってしまっています。少なくとも赤リンク(対応する人物の記事がない≒それほど重要な(主な)人物でない)の座主については削る方がいいと思うのですがどうでしょう。さもなければ「天台座主の一覧」という記事を別に造り、そこに網羅的に羅列するとか。正直、今の記事は過剰記載だと思います。--トホホ川 2007年8月21日 (火) 23:00 (UTC)[返信]

一覧を作るというのも検討に値すると思います。小寺院の住職ならともかく、天台座主は明治以前は天皇から任じられた全国天台宗の長だったのですから少なくてもその時期においては公的性格もゼロとは言えないと考えられるからです。話がそれますが『愚管抄』にも歴代大臣とともに歴代天台座主が掲載されています(もっとも著者が元天台座主だろうというツッコミもありましょうが)。--水野白楓 2007年8月31日 (金) 23:23 (UTC)[返信]
「主な」でなく、歴代天台座主とし、日本天台宗公式ページと整合させてください。公現法親王は公式ページにはないのに対し、本項目には含まれています。Wikipediaの信頼性も問われます。--211.135.209.102 2008年6月24日 (火) 11:30 (UTC)[返信]
う~ん… 私はやはり本項は天台座主の用語説明とし、一覧は分けた方がいいと思うのですが。公現法親王については伝記記事の方には三山管領宮となっているので天台座主に数えられるような気がしますが…。天台宗公式ページの方が書き漏らしという可能性はないのでしょうか?もし天台座主になっていないのであれば公現法親王の記事の方も直さないといけないかもしれません…--トホホ川 2008年6月26日 (木) 15:31 (UTC)[返信]
有名な公現法親王が本当に座主職にあれば、忘れるわけがないでしょう。管領職は座主ではないということでしょうか。同時期に尊融法親王が座主職にあり、江戸期には堯延法親王が妙法院門跡にあって座主職にあります。これらは、歴代を表して初めて理解できたこと。一覧を記すことを支持します。--125.197.14.234 2008年6月29日 (日) 11:48 (UTC)[返信]