ノート:宇品線
上大河駅移転新築落成式の祝辞
[編集]廃線である宇品線に関しては、今後資料の散逸が心配されます。そこで、1947年3月20日に挙行された上大河駅移転新築落成式における広島鉄道局長と広島県知事の祝辞をご紹介します。
広島県知事の祝辞
[編集]上大河駅の竣工成り春陽再び蘇りたる本日茲に其の落成の式を挙げられます事は誠に慶賀に堪へない次第であります。
顧るに県庁舎の当地に移転せられますや鉄道当局は駅を庁舎前に移され多数庁員の利便を図られ今日又駅の新築完成し庁舎の玄関を飾られ交通の利便は益々大きくなつたのであります。
実に交通の復興こそ焦土復興の第一歩を進むものであります。
西洋に於ける産業革命の展開も文明の進歩も交通の発達に負ふ所が多い事は周知の事であります。
尚今日憂ふべき社会道義の頽廃[の]一つは交通道義の頽廃であります。
鉄道当局の交通整備と共に一般旅客の乗物道義実践が急務であります。
上大河駅の新装整備成ると共に乗物道義の模範の駅となる事を切望して止まないものであります。
聊か蕪辞を述べて祝辞と致します。
- 昭和二十二年三月二十日
- 広島県知事 武若時一郎
- 原文は縦書き。旧漢字を新漢字に直し、句点と脱字1文字を補った。
広島鉄道局長の祝辞
[編集]本日こゝに上大河駅の移転新築落成式を挙行せらるゝに当り[、]一言祝辞を述ぶることを得まするは[、]私の最もよろこびとする処であります。
当駅は従来宇品線のほゞ中央に位する簡易駅として[、]戦時中は陸軍兵器廠、同被服廠など軍関係工員の通勤に専ら利用されておりましたが[、]終戦後は軍の解体に伴い当駅の利用客も半減するに至つたのであります。
一方宇品線沿線は[、]去る昭和二十年八月六日の爆撃に際しても[、]火災を免れ[、]特に当駅附近は比治山が障壁となつて比較的損害軽微であつたため、一時市外にのがれてゐた人々は続々とこの附近に復帰し[、]また庁舎焼失のため市外へ避難してゐた県庁、財務局、税務署を始め各官庁学校等が[、]引続き移転するにおよび[、]一躍広島市唯一の官公衙、住宅街と化したのであります。
為に当駅の乗降客は増加の一途を辿り[、]最近では一日約五千名を算し、手小荷物も一日約二百個程度の発着がある見込に立到り[、]こゝに独立駅への昇格と駅舎新築の必要が生じ[、]昨年九月旧駅舎から約三百米広島寄りに[、]工費七十五万円を投じ総面積五百八十二、四平米の新駅舎の建築工事に着手したのであります。
爾来六ヶ月[、]本日めでたくその落成を見るに至り[、]こゝに新情勢に即応した独立駅として発足することになりました次第であります。
当駅は貨物を除き一般運輸営業の取扱をなし[、]なお下大河、南段原両駅の管理をも兼ね[、]今後の当駅利用旅客に多大の便宜を与えるものと信じます。
終りに臨み当駅の移転新築に対し寄せられましたる[、]一般各位の御後援に深甚なる謝意を表すると共に[、]当駅発展のために[、]一層の御支援を賜わらんことをお願いして祝辞といたします。
- 昭和二十二年三月二十日
- 広島鉄道局長 小幡靖
- 原文は縦書き。旧漢字を新漢字に直し、句点を補った。また、「[、]」は鉛筆による読点の書き込みで、当日の祝辞読み上げのために書き加えたものと思われる。
--Lichenes 2007年9月3日 (月) 12:44 (UTC)
宇品線の竣工及び開通年月日
[編集]宇品線が軍用鉄道として突貫工事で建設されたのはよく知られていますが、その当時の文書をご紹介します。
軍用鉄道工事成功届
[編集]朝号外第六三二号
- 軍用鉄道工事成功届
広島県下広島ヨリ宇品港ニ至ル軍用鉄道仮設工事逓信省ヨリ本会社、御委托施行被命候ニ付本月四日工事着手仕候処昨二十日全部竣工仕候此段御届申上候也
- 明治二十七年八月二十一日
- 山陽鉄道株式会社々長松本重太郎
陸軍大臣伯爵大山巌殿
- 原文は縦書き。旧漢字を新漢字に直した。たしかに、工期17日間の突貫工事であったことが確認できる。この文書により、竣工日は明治27年8月20日であると思われる。
逓信大臣から陸軍大臣への報告
[編集]秘発第四二号
広島宇品間軍用鉄道仮設工事之義設計之通リ竣工本日ヨリ汽車運転致候様相成候趣ニ付不取敢一応此旨及御通牒候也
- 明治廿七年八月廿一日
- 逓信大臣伯爵黒田清隆
陸軍大臣伯爵大山巌
- 原文は縦書き。旧漢字を新漢字に直した。
陸軍大臣から参謀総長への報告
[編集]密発第二六五号
広島宇品間軍用鉄道工事竣工昨廿一日ヨリ汽車運転致候様相成候間此段及通報候也
- 明治廿七年八月廿二日
- 陸軍大臣伯爵大山巌
参謀総長熾仁親王殿
- 原文は縦書き。旧漢字を新漢字に直した。上の文書とあわせ、開通日は明治27年8月21日であると思われる。
--Lichenes 2007年9月18日 (火) 13:02 (UTC)
軍用鉄道仮設に関する初期の文書
[編集]広島・宇品間に軍用鉄道を仮設することについて、いつ検討が始まったかは定かではありませんが、最も早い時期の文書をご紹介します。この文書の後、7月20日には陸軍大臣から逓信大臣への鉄道仮設に関する照会があり(送甲第886号)、翌21日、逓信大臣から了承の返事が送られるとともに(秘発第28号)、鉄道資材提供の提案がなされました(24日、秘発第29号)。これを受けて25日、陸軍大臣から山陽鉄道株式会社への鉄道建設の正式な依頼(命令)が行われ(密発第107号)、27日には山陽鉄道から工事主任者が決定した旨の連絡が陸軍大臣に送られました(朝密外第238号)。
参謀総長から陸軍大臣への提案
[編集]臨第一〇八号
朝鮮国ヘ出兵ノ為メ是迄広島県宇品港ヲ以テ軍隊ノ乗船処ト致来候処後来内地ノ軍隊ヲ派遣スル場合ニ在テモ亦同港ヲ以テ船舶ノ集合処トスル事ニ決定致候ニ付テハ此等軍隊ノ宇品ニ至ル為メニハ広島迄ハ山陽鉄道ヲ利用シ得ルモ広島宇品間約五哩ハ陸行セサルヘカラス尤モ此陸行ハ兵馬ノ為メニハ敢テ困難ヲ感セスト雖モ其材料行李及糧食等ノ如キニ至テハ此間特別ノ運搬ヲ為シ然ル後搭船セサルヘカラサルノ困難ヲ生シ不便不利益不少候依テ此際広島停車場附近ヨリ分岐シ宇品埠頭ニ至ル鉄道仮設ノ詮議相成度別紙設計略図及建築費予算書相添及協議候也
- 明治廿七年七月十四日
- 参謀総長熾仁親王
陸軍大臣伯爵大山巌殿
- 原文は縦書き。旧漢字を新漢字に直した。