ノート:安本美典
安本「美典」氏の名前を「びてん」と読むのはペンネームで、本名は「みのり」だと思いますが、どうでしょう? ネットを検索すると、Minori Yasumoto と、Biten Yasumotoの両方がヒットします。 また、安本氏の勤務校だった産業能率大学の人と話をしたとき、相手は「やすもとみのり」先生、と発音していました。 どなたか詳しいかたのフォローをお願い致します。(ウィキ太郎2007.5.19)
国会図書館で「安本美典」で検索すると安本氏と思われる博士論文がヒットしますが、こちらでは「よしのり」と書かれています。--60.41.41.5 2007年12月6日 (木) 19:11 (UTC)
- 著書の著者紹介欄には「やすもとびてん」と書かれています。本名の読み名はどうなのか私は知りません。著書で呼ばれているのはペンネームかも知れませんが世間一般ではそれが通称なのでは?「よしのり」または「みのり」が本来の読み名ならば、「本名は「よしのり(もしくは、みのり)」と記載すれば良いのではないでしょうか?--Reggaeman 2007年12月7日 (金) 15:31 (UTC)
ADを紀元前と直されたのはなぜでしょう???--時の旅彦 2006年9月13日 (水) 13:38 (UTC)
批判の節について
[編集]安本氏は、欠史八代以前の天皇は兄弟相続だと考えているため、1代平均10年でおかしくないのです。単に記紀の記述を信用するかどうかの違いだけです。それにしても何故工学部教授が出てくる?邪馬台国研究で認められている人なのですか? Zorac 2006年9月14日 (木) 13:35 (UTC)
- 数理文献学というのは、統計学なんですね。それを同じ数学者が批判しているわけです。--時の旅彦 2006年9月17日 (日) 12:54 (UTC)
えっと、確認したかったことは。
- 中野茂男氏は邪馬台国研究において著明な人なのか?
- 数理文献学であれば、当然、安本氏の平均の取り方を批判しているはずだが、本文では、そこに触れていない。安本氏が兄弟相続だと考えているにも拘わらず、「直系5代が50年というのは、いかにも異常であると」記述しているのは、安本氏の文章を読んでいないように見える。それは、中野茂男氏の著作の中でそういっているのか、本文を書いた人(Green3558=時の旅彦氏)の見解なのか?
そこを確認しないと書き直せないからです。 Zorac 2006年9月20日 (水) 15:23 (UTC)
- 中野氏の批判云々の出所はこのあたり[1]]でしょう。記事をよく読めば中野氏は安本氏を批判するどころか数理文献学に好意的であることがわかります。中野氏は数学的に導き出されたこと(5代50年)が非常識な結論(異常に短い)になっているといわれているだけです。それが当時においては非常識ではないということの説明も安本氏の著書にはちゃんと書いてあるのですが。いずれにしても中野氏が安本氏を批判しているという記事は間違いですので訂正してください。
- また、安本氏の記述については少々簡単すぎるように思います。卑弥呼=天照大神説、邪馬台国=高天原説、神武東遷=邪馬台国東遷説などについても書いてください。これらは古くからあるもので安本氏の独創ではないですが、安本氏が数理文献学を元にこれらの論を検証されていることは書くべきでしょう。そして何よりも邪馬台国甘木説の根拠となる奈良との地名の酷似について書いてください。(甘木地方も奈良地方もどちらも知っている私は、この地名の酷似だけで安本氏の説を信じました)--講師 2006年9月25日 (月) 13:13 (UTC)
- いやWikipediaですし、詳しいのであれば、御自分で加筆、訂正されたらいかがですか。 Zorac 2006年9月25日 (月) 13:42 (UTC)
- そうしたいところですが引っ越してから彼の著書がまとめてどこかにまぎれていて資料が手元にないので...まあ少し時間をいただければ書いてみたいと思います。--講師 2006年9月26日 (火) 07:36 (UTC)
- 上のサイトを見た限りでは、批判、批評というよりエッセイですね。とりあえず、簡単に直しておこうと思っています。そのうち、大幅に加筆されることを期待しています。Zorac 2006年9月27日 (水) 13:53 (UTC)
- 邪馬台国に関する仮説としました。中野茂男氏に関する記述は、エッセイとして書いているだけですし、批判もしてませんので取り除きました。 Zorac 2006年10月10日 (火) 13:29 (UTC)
問題点の節について
[編集]門外漢であるが、以下の部分は事典の解説としてはあまりに価値判断の入り込んだ記述なので、あえて異見を述べたい。そもそも安本氏は、「従来の史料批判」のみの視点や方法論に問題点があるという立場である。史料記述の真偽をいかに検証するのかという問題は別にあるが、テクニカルにいかに厳密に行われているように見えても、史料の解釈だけでは科学的根拠は保障されない。解釈そのもには、記述が事実であるかどうかの妥当性を保障するメカニズムは存在しておらず、つねに主観や価値観の入る余地があるためである。以下に提示されている問題点は、いわゆる「正統派」を自認する研究者からのものであろう。だが、以下の指摘はこうした研究者の所属する特定の集団の価値視点を代弁しているものであって、『百科事典』の解説としては甚だバランスを欠くように思われる。以下にやや詳しく述べるが、こうしたバランスを欠いた記述は、削除もしくは修正が望ましいと考える(筆者ご自身の刊行物やサイトで、このような批判は展開されるべきであろう)。
まず、「およそ学問的な歴史学では・・・」、「アマチュア」といった表現が散見されるが、このようなある種の価値判断の混入した解説は、無用な誤解を生む。この解説者のいう「学問的な」とは、何を意味しているのか?史料批判のみが学問的であるという立場は、むしろ日本の人文学分野の限られた領域に特有のものであろう。他分野ではあるが内外でまともに学会活動を続けている大学人の目から見ても、違和感を感じざるをえない。
人文系の分野であっても、安本氏のような仮説・検証型の(スタンダードな科学的研究の)アプローチはとくに国外では見られるようになっている。だが、こうした正統派歴史学者には、そんなアプローチは「学問ではない」ということになるのであろうか?門外漢の立場から見れば、史料批判をもっぱら拠り所としてきた一連の研究のほうこそ、学問的(少なくとも科学的)には見えず、その手法のゆえに隘路に入り込んでしまっている印象を受ける。
なお、以下の問題点の指摘者の考え方は、きわめて素朴な実証主義者に近いようにも思われるが、このようなアプローチでは物理学をはじめ今日の多くの自然科学・社会科学は成立しないことを指摘しておきたい(多くの科学的知見は、素朴に「観察できるかどうか」ではなく、統計的なモデルと予測から導き出され基礎づけられている)。
以下、ここで記載されている問題点について、その史料批判に忠実であるがゆえの課題を大まかに指摘したい。誤解を恐れずにいえば、枝葉末節による問題指摘が大部分であり、「これが学問を生業にするものの思考か」と言わざるをえない(この考え方が主流であればこの分野に国庫から貴重な研究財源をあまり出す必要はあるまい。他にもっと生産的な仕事をしてくれる分野はいくらでもある)。こうした意味でも、下記の部分の削除もしくは修正を期待したい。
1.「王位継承は、女王・男王・女王の順でなければならず・・・」という指摘は、素朴に史料を読み込んだ結果であろうが、王位継承の性別は安本氏の年代論の問題とするところではない。年代論はあくまで統計的推計による仮説提示が狙いであって、性別はその作業において決定的に重要データではない。したがって、性別のみを根拠に年代論が一気に崩壊するという飛躍した結論にはならない。
2.記紀の信憑性に懐疑的な記述が散見されるが、ではどのような史料をもって検討を行うのか?史料批判だけを拠り所にする方法では、「信頼に足るとされる」古代中国の史書にもっぱら頼らざるをえないと思われるが、そうした史書でさえ正確でない記述が散見されることは周知のことであろう。史料に頼る場合であっても、何をもってその記述が正しい/誤っているのか、当該史料以外の外的根拠が十分に方法論的に妥当なかたちで提示されなくては、およそ科学的分析とはいえない・・・すなわち妄信や価値観の入り込む余地が残されてしまう。
3.「・・・国内伝承を考古学的資料による明確な証拠もないままに事実の反映とするのは・・・」とあるが、これは日本のある種の人文系研究者の方法論信仰を述べているに過ぎない。安本氏は、記紀をあくまで仮説提示の手がかりとしているだけであって、記紀の記述が全て事実であり、それによって全てが説明できるなどという指摘はしていない。この記述だけを見ても、この解説の記述者は、統計的な「考え方」に全く無理解であることは明白である。伝承によるものや感覚的に知られているものは全て学問的に無価値で、確実に目に見えているものだけが事実あるという素朴な発想では、あらゆる科学的な推量と検証の糸口は摘み取られてしまう。その行き着く先は見えている。どんなに厳密な史料批判であっても、結局、不毛な言葉のやり取り(「私はこう解釈する」式の議論)になってしまうだろう。
なお、筆者は、史料批判の意義を否定するものではない。記述に即して、現象に即しては、基本的には厳密な分析の基礎であると考えるからである。そうでなければ、どんなに怪しげな議論でも展開できてしまう。安本氏の立場も、何らかの史料を論拠としている以上、史料批判の意義を全く無視するものであるとは言えまい。筆者は、史料批判「だけ」を拠り所にして、他のアプローチの可能性を頭から否定するような「非学問的な」記述は、事典の記述としてはおよそ妥当ではないと考えているにすぎない。ご再考をお願いしたい。
- 主張内容は同意します。daisuke
- 上記を書かれたのは133.2.9.161さんですね。IP氏でも署名は付けるようにしてください。どうも講師さん以降編集された方が全員IP氏なので、何人の方が関わっているのか良く分からないと言う難点がありますね。さて、講師さんが詳細な安本説を記述してくれた後、安本説に対する批判が加筆されました。当初は、文章の部分ごとに書かれていたようですが、現在では「問題点」の節にまとめられています。
- 内容的にあまり詳しくないため一般論になりますが、Wikipediaの方針としては、両論並記が原則です。すなわち、論の主張はそのまま記述し、それに対する批判もそのまま書くと。これは批判に対する反論を言い出せば、そのまた反論となり収集が付かなくなるからです。この点において現在は容認可能な状態だと思われます。従って、批判がよほど的外れなもの以外はそのままにしておくか、ノートで十分に議論された後、本文に反映されることが望まれます。これは批判部分を記述された方にも、あてはまることです。 Zorac 2007年2月24日 (土) 06:20 (UTC)
問題点の節をノートに移動させます。「独自研究」でしょうから。
「安本の説に対しては、次のような問題点が指摘されている。
- いわゆる数理文献学という手法は、文体から作者やその年代を推定するのには使用可能である場合もあるが、安本が用いたような、伝承による王朝の年代を推定する方法としては、その王の歴代数が正しいことが前提となるために、説得力に乏しい。具体的には、安本は天皇の歴代と天照大神以下5代の神統譜の代数と順序・性別が正しいことを前提に、卑弥呼=天照大神などの結論を導いているが、魏志倭人伝による限り、邪馬台国の王位継承は、女王・男王・女王の順でなければならず、記紀にはそのような王位継承は見られないことから、記紀が邪馬台国時代の王位継承を正確に伝えたものではないことは明らかである。実際安本は、台与を誰に比定できるかについて、ある場面では、岩戸から出てきた天照大神にあて、別の場面では天照大神の息子天忍穂耳命の嫁である万幡豊秋津師比売に比定できるなどという見解を表明しているが、そもそも彼は天皇の歴代と天照大神以下5代の継承を正しいとする仮説から出発しているのであるから、このような議論は矛盾でしかない。よって仮説は棄却されるべきであり、正しい結論は「魏志による限り、記紀の伝承は邪馬台国時代の王位継承を正確には伝えない」以外にはありえない。
- 前項の帰結から、記紀の王朝についての伝承からその年代を推計するという手法はそもそも破綻しているが、さらに言えば、天照大神や神武天皇の「活躍年代」をわずか20年程度の幅で推定できるとする議論は、統計学的に見てもナンセンスである。百万歩譲って、安本の手法によって推計したところで、わずか20年の幅に「活躍年代」が入る蓋然性ははなはだ低いからである。安本は自己の手法を数理統計学にもとづく科学的なものと主張しているが、実のところ統計学の推計結果とその含意や限界を必ずしも誠実に表現するつもりはなく、むしろ読者をミスリードするための文章心理学的レトリックとして用いているといわざるをえない。
- 記紀の説話を「大筋において」事実の反映であるという立場に立つが、現在の記紀神話は8世紀の段階で記録されたものに過ぎず、それ以前から「大筋」で現代に伝えられているようなものであった保証はない。例えば、隋書倭国伝には聖徳太子の使者の言葉として「倭王は天を以て兄とし、日を以て弟となす」云々の説話を伝えており、現行の記紀神話とはかけ離れている上に、太陽女神天照大神はいまだ成立していなかったと推定することさえ可能であろう。こうなると卑弥呼=天照大神説は土台から崩れてしまう。
- 記紀神話を積極的に論拠として用いない戦後の歴史学に対して、「津田史観の呪縛にとらわれている」と批判するが、これは安本の歴史学に対する無理解からきたものであろう。アカデミックな歴史学では、同時代史料あるいは同時代に取られた記録を参照したであろうと推定できる史料に基づき、厳格な史料批判を通じて史実の再構成を行わなければならないということは常識である。なぜならば、歴史学で扱う主題は通常1回性の事実であるので、裁判における事実認定に近い緻密な手法が必要とされるからである。近年の記紀の編年に対する研究から、継体天皇以前に朝廷内で出来事をすぐに文字に記すようなことが行われた可能性はほとんどないと考えられ、継体以前の国内伝承を考古学的資料による明確な証拠もないままに事実の反映とするのは学問的とはいえない。
- 神話の記述が信じられる例としてトロイ戦争を挙げているが、そのトロイ戦争で敗れてイタリアに逃れた伝説の王であるアルカニウスから、古代ローマの建国者であるロムルス・レムスに至る家系において、古代ローマ人は年代のつじつまを合わせるために架空の王を捏造している。安本美典は記紀の天皇は全て実在であるとするが、このように架空の王を創作した例が確かに存在するのである。」
↑は以下の剽窃?(特に一番目の項目)
「27 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2001/03/04(日) 01:21
安本美点の古代史は、結局素人談義以上のものではない。 彼は、アマテラス以来の王統譜が性格であることを仮定して、在位平均10年という計測結果を基にもっともらしいことをいっているが、その統計的手法にも疑念があるが、もっとおかしいのは、この仮定からは、容易に事実と矛盾が発生してしまう点である。 すなわち、倭人伝では、女王、男王、女王という継承がなければならないのに、アマテラス以来の王統譜にはそのような箇所など存在しないからである。 これすなわち、記紀のつたえる歴代は、正確に事実を伝えていないという結論になるはずである。(彼はいろいろ苦しい説明を試みているが、それは単に解釈にすぎず、そのような解釈が必要なら、ほかの歴代部分ももはや正確であるという保証は全くないことになる。) かくて安本の議論は根本から崩壊し、彼の古代史談義は壮大な素人談義、単なる神話の合理的解釈にすぎないことがわかる。 」 安本美典の謎より
--デーモン黄金 2007年10月24日 (水) 11:05 (UTC)
- 要約欄に元記載の無いコピーはGFDL違反になってしまう気がするのですが。--Tommy6 2007年10月24日 (水) 11:09 (UTC)
121.3.83.215さんは「定説にはほど遠い異説である以上、問題点を書くのは当然。それがだめなら、九州王朝説の項目でも問題点を書いてはいけないことになる。」と書かれました。「定説にはほど遠い異説である」ですが定説とは具体的には何をさすのでしょうか。欠史八代の天皇非実在説でしょうか。「問題点を書くのは当然」ですが、「定説にはほど遠い異説」であろうとなかろうと問題点を書くのに何の問題もありません。ただし、独自研究は駄目ですから、出典が必要です。九州王朝説の項目での問題点は概ね出典を示してありまして、記事に書けない議論はノートに書いてあるのです。↑にあるようなどなたが記したのかわからない出所不明の文章を記事に組み込めるものではありません。--黄金もち 2008年2月10日 (日) 01:57 (UTC)
剽窃といわれてるようだが。
[編集]当たり前ですよ。同じ人間が書いたんだから。