ノート:官報
太政官日報について
[編集]これって太政官日誌のことでしょうか?発行年と発行停止年が同じですが、「太政官日報」というのは聞いたことがありません。私の知識不足でしたらすみません。--Shin-改 2008年5月28日 (水) 09:02 (UTC)
- 約半年間特に異論、指摘がなく、当方の調べでも「太政官日報」という語を調べてもそれを見つけることができなかったため、「太政官日誌」の誤報だと仮定し変更させていただきます。--Shin-改 2008年12月9日 (火) 05:16 (UTC)
A piece of information from Kanpo (官報), date unknown
[編集]Greeting, I'm a member of the WikiProject:Japan from zh.Wikipedia, recently I have a piece of information from the Japanese Official Kanpo (官報) in 1991 (平成3年), although the page number was shown, but its date is unknown (I assumed that it's between November 1st and December 31st of 1991), does anyone in Japan know which date it come from?
--Howard61313(会話) 2015年8月6日 (木) 14:23 (UTC)
- すいません。英語が判らないので、日本語で書きます。お探しの記事は、1991年11月20日の官報本誌の11ページにあるものだと思います。記事にも追加しておきました。--星組背番号10(会話) 2015年8月6日 (木) 15:51 (UTC)
概説、官報の法的根拠のくだり
[編集]概説のところに官報は現在では法的根拠はなく慣習によって発行されていると書いていますが、その出典元としているコラムにそんなことは書いてはいなく、法令の公布手続きを定めた公式令が廃止され公布手続きを定めた法令はないが慣習に従って官報に登載されているとゆう内容だと思います。--代言人(話/歴) 2018年4月28日 (土) 06:32 (UTC)
太政類典、公文類聚の記述について
[編集]下記の箇所は本文をややこしくしているだけなので、ノートに移動します。
現在の視点で「当時の法令は?」等と調べる場合に、官報や公文類聚を参照するというのはわかるのですが、官報の歴史の説明をする上では無用です。
関連資料には、1867年から1881年までの太政官日記及び日誌、公文録などから典例条規(先例・法令等)を採録・浄書し、制度、官制、官規、儀制等19部門に分類し、年代順に編集した『太政類典』がある。これは1882年(明治15年)、名称が『公文類聚』と改められ、特殊な部門を除き、記事を政体門から外事門までの23部門に分類して編集された[1]。官報が公告や告示、広報等伝達機能の性格を主体としているのに対し、太政類典や公文類聚はそれらの原議書の性格を帯びているのが大きな違いである。
1886年(明治19年)には『公文類聚』は、主として法律及び規則の原議のみを収録して編集されるようになった[1]。
脚注
- ^ a b 『公文類聚(こうぶんるいしゅう)』、『太政類典』、国立公文書館ウェブサイト。