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ノート:宮沢賢治/過去ログ1

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諸々の検討について

人気抜群だけに、 宣伝行為には気を付けてください。222.144.11.142 2005年7月13日 (水) 12:43 (UTC)

宮沢賢治全集の変遷、というか、作品出版史をどなたか書いてくださいませんか。 Kzhr 2005年10月8日 (土) 17:38 (UTC)

仏教信仰とありますが、実家は一向宗、賢治は法華宗。それを一括りの「仏教信仰」というのはどうなんでしょうか?

百科事典にとって無用不要の心配です。 全ての人名について検討しますか?

検討してもいいと思う。してはいけない事は無いし、する価値はあると思われる。「みやさわ」の方が本当に正しいのであれば、当然それを掲載するに越した事はない。もちろん全ての人名においても。--kokoro 2006年2月16日 (木) 14:19 (UTC)

検討はすでにされています。あなたもどうぞしてみてください。 ただ、この件はすでに沙汰やみになっていますし、 一般的に言ってもこの種の問題はすでに原理的に解決不可能であると言うのが定説です。 どちらの読みが正しいかあなたはどうやって決めるのですか。 どちらの結論にも必ず異論が出ますし、本人が生きていてこちらだと言ってもそれが正答だとは決められないのです。兄弟、親戚の間でも意見が異なることはざらです。

外部リンクは現在までのところどれも高水準のものと思います。 あまり私的な内容のものを加えるのはふさわしくないのでは? 11月17日

死亡時に聖人視されていたことは明らか。 参考: http://www.mrr.jp/~accent/seijin.htm

リンク先確認いたしました。が、「友人が追悼文で人格を称賛した」ことと「聖人として評価されていた」こととは違いますので、本文の表現を手直しさせていただきました。--きみのうた 2006年12月23日 (土) 00:15 (UTC)
というわけで一旦「人格も高く評価されており」としたのでしたが、上のリンク先に引用されているのは少数の友人知人の書いた文章だけですし、「追悼文という性格上」の「バイアス」(以上、リンク先から引用)も確かにありますので、この表現でもNPOVに反しているのではないか。また人格の評価というのはそもそも主観的なものですので、本文には客観的な事実のみを記し、評価は読む人に委ねるべきではないかと思い直し、結局人格云々の記述は削ることにしました。--きみのうた 2006年12月31日 (日) 08:09 (UTC)

きみのうたさんに限ったことではないですが、宮沢賢治が当初から人格を評価されていたことを否定したがる流行はいつ終るのでしょうね。それらはすべて戦後の意図的なキャンペーンなのですよ。若い人は、宮沢賢治を矮小化するのが当然という政治的流行(バイアス)に気づきませんか? ちなみにリンクの追悼文は元は私的なものではあるでしょうが、単なる友人、詩壇人たちの言いっぱなしではなく、広く受け入れられる内容だったからこその大々的特集記事になったはずです。それから以後、その評価が揺るいでいないことにも留意しなければならないと思います。 「聖人であったかどうか」を客観的に述べるのではなく、「死亡当時から聖人と評価されてきた」という事実を述べるのになんの問題があるでしょうか。

まずノートへの投稿の際には署名をお願いします。きみのうたさんも書かれていますが、「人格の評価」の中に含まれる価値観を記述することが百科事典という性格と合わないというだけであって、決してそうした評価があったこと自体を「否定」することが目的ではありません。伝記的な事実を述べれば、そうした評価が広く行き渡っていったのは没後の顕彰活動に負う部分が少なくないことにも留意する必要があると考えます。死去当時の評価の「存在」を伝える手段としては、たとえば地元紙(岩手日報)に掲載された訃報記事の引用などの手段も考えられます。Unamu 2006年12月31日 (日) 13:57 (UTC)

<伝記的な事実を述べれば、そうした評価が広く行き渡っていったのは没後の顕彰活動に負う部分が少なくないことにも留意する必要があると考えます。> というのは正に宣伝の尻馬乗りに過ぎません。あなたはその当否を検証しましたか。政治的な宣伝だとは思いついたこともないのですか。 なお、議論があるのですから本文については保留しておきます。 署名についてはやり方がわかりませんのでご容赦ください。以上の署名の無いコメントは、219.124.82.106会話/whois)氏が[2007-01-01T11:15:42]に投稿したものです(Tomo_suzuki 2007年1月1日 (月) 11:17 (UTC)による付記)。

書名のやり方についてはWikipediaのヘルプにも記載がございますので、もう一度参照をお願いいたします。さて、「宣伝の尻馬乗り」「政治的な宣伝」とはいかなる意味での発言であるのか、小生には見当がつきかねます。誰かの所論の宣伝を行うために上記の箇所を書いたわけではありません。賢治没後の顕彰活動についてはたとえば米村みゆき『宮沢賢治を創った男たち』(ISBN4-7872-9169-6)等で実証的な考察が行われております(代表的な文献として例示したものです)。また、上記のとおり、生前から賢治の人格を評価した人がいた事実そのものを否定しているわけではないことはご理解いただけますでしょうか。Unamu 2007年1月1日 (月) 15:49 (UTC)

その米村みゆき氏の著作こそ言わんとする代表的なものです。生前の評価を完全に無視し、後日のエピソードの都合のいい部分だけを集め、一般的に当たり前の事実を意識的に特別だと誤認させる手法でもって結論を作り上げる、学部生的な論文です。「宮沢賢治殺人事件」とともに流行に何周も後れてやってきた意識的エピゴーネンですが、そのおかげで内容を真実と誤信する人が多いようです。皆さんはお読みになりましたか。唾棄すべき本だと思います。 逆に、宮沢賢治は聖人であったという立場を実証的に述べている本は皆無といってよいでしょう。流行ではないからです。このような風潮の中にあっては世のあらゆる宮沢賢治評に「バイアス」がかかってしまっているのは当然のことです。それを修正するにはもちろん逆のバイアスをかけてはいけませんが、流行に逆行する(一見異様に思える、あるいは古臭いような)内容をも冷静に取り上げなければならないと思います。 高度成長時代あたりを境にして、宮沢賢治はくだらない、一流ではない、無理に引っ張りあげられている、といった言い様が急速に流行しはじめ、今にいたってもそれはやむことはありませんが、本当はどうであったのかを知るには生前、あるいは死亡時の一次資料を欠かすことはできません。それらによれば宮沢賢治は死亡時には、今では以外に思えるほどの高評価を得ていたことがわかります。このような単純な事実をもことさらに否定したがるのを私は「流行」と言っています。 なお、本文の問題の部分については、最新版の内容が事実を曲げていると思っているわけではありません。(そもそも当該部分を最初に投稿したのは私ではありません。)人格の評価について書き加えるかどうかは私もどうしたものか・・と考えています。219.124.82.106 2007年1月2日 (火) 00:19 (UTC)

ノートへの署名についての方針にぶれがあるようですね。 ヘルプによれば匿名を許しているのですから上記の(Tomo_suzuki 2007年1月1日 (月) 11:17 (UTC)による付記)は勇み足と思いますが。他にもこのような事例はあるのでしょうか。222.147.57.120 2007年1月5日 (金) 12:41 (UTC)

横から口を挟ませて頂きますが、ノートのページでは投稿に署名をするのはWikipediaの公式な方針です(詳細はこちらを参照してください)。
匿名署名については公式方針であるWikipedia:ノートのページでは投稿に署名をすると矛盾する為、現在はヘルプから削除されています。--Hiroakita 2007年1月5日 (金) 13:02 (UTC)
了解しました。ただ、ヘルプはたった今訂正されたばかりですね。不手際であったのは確かだと思います。222.147.57.120 2007年1月5日 (金) 13:11 (UTC)

・正確には賢治は法華宗ではありません。本化妙宗です。

他の議論のためにも、タイトルを付けさせていただきます。--遡雨祈胡会話2016年9月4日 (日) 08:42 (UTC)

When was Gauche the Cellist first published?

I'm doing some research for en:Gauche the Cellist, but I can't seem to find when セロ弾きのゴーシュ was first published. Also, who was the first publisher? Patiwat 2007年3月28日 (水) 08:21 (UTC)

"Gauche the Cellist" was not published before Kenji's death,in 1933.In 1934,the first complete volume of Kenji was published and "Gauche the Cellist" was collected for the first time. The publisher was Bumbo-do(文圃堂).Unamu 2007年3月28日 (水) 12:21 (UTC)

宮沢賢治が応援したのは日本労農党、それとも労働農民党

調べてみましたがあまりよくわかりません。どちらも「労農党」と訳せるので、「宮沢賢治が労農党を支援した」とかかれてあってもどちらの労農党かわからないからです。日本労農党は戦後の日本社会党につながり、労働農民党は日本共産党につながります。本文で「日本共産党の影響下にあった日本労農党」とありますが、日本労農党は日本共産党の影響下には無かったはずですからこの文章は間違いになります。もし仮に「宮沢賢治が日本共産党の影響下にあった政党」を応援してたなら、ここは「労働農民党」になります。どちらの「労農党」かはっきり出来ないでしょうか?--Keiryou 2007年10月29日 (月) 20:28 (UTC)

賢治と「労農党」にかかわる文献としては、岩手の郷土史家である名須川溢男氏の「賢治と労農党」というものがありますが、30年ほど前の雑誌掲載文章なので探すのは容易ではないかもしれません。これが閲読できればどちらかの判定は可能だと思うのですが、所蔵・閲覧可能な方の加筆を望みます。Unamu 2007年10月29日 (月) 22:58 (UTC)

やはりいろいろ調べてみて宮沢賢治が支援したのは労働農民党だと思われます。--Keiryou 2007年11月17日 (土) 12:01 (UTC)

「映像作品」の記載内容について

「銀河鉄道の夜」を「重要な作品」として加えていらっしゃいますが、仮にそうだとすれば、たとえば「風の又三郎」の映画などもここに加えるべきということになります(最初の映画版は賢治作品としては初の映画化作品であり、賢治の知名度を高めた点では意義は非常に大きい)。そうすれば、「どこで線引きをするのか?」という話になり、「セロ弾きのゴーシュ」や(川本喜八郎氏の)「注文の多い料理店」もという方向にならざるを得ません。私がいったん「作品の映像化については該当作品に」という方向に持っていこうとしたのは、そうした「線引き」の議論を避けることが目的でしたが、この点についてみなさんのご意見を賜りたいと思います。一方、テレビの特番を加えたいという意見も出ていますが、これは数が非常に多くなる(1980年代以降の全国ネット番組だけでも10本程度はある)ことが予想されるため、これについても議論が必要と考えます。Unamu 2007年12月31日 (月) 14:05 (UTC)


このページは「宮沢賢治」のページであり、同名の作者の映画といえども、映画を論じるページではありません。

映画は原作に忠実ではなく、必ずリライトします。映画に触れることもこの「宮沢賢治」のページをいたずらに混乱させて、読みにくくするだけです。

Walt Disneyの「Pinoccio」が原作とは大いに異なるストーリーを持っています。

--TheGreatMilkyWayRailRoad 2010年6月20日 (日) 14:58 (UTC)

きんさんぎんさんより若い

1892年生まれの「きんさん」と「ぎんさん」より4歳若い。これは意外と知られていない。国語や日本史の教科書に登場する人物であるが、当時TVに出ていて、2000年代まで長生きした「アイドルおばあちゃん」より若かった。



だから「宮沢賢治」個人とどう繋がるのか。ふざけた投稿は極力避けられたい。

--TheGreatMilkyWayRailRoad 2010年4月24日 (土) 15:16 (UTC)

Wikipediaの限界・辞典としての限界

WikipediaはInternetの百科事典。故に独自研究は許されず、必ず出典を明記する、それがWikipediaのステータス。この趣旨には賛同することが出来る。しかし、その反面、すでに出版された書籍などの著作物から引用しなけれなければならない結果を生む土壌にもなっている。引用が過多になり、ある特定の本からの引用を、ほぼ全文から全てを頼らなければならないということになると、ますます資料の依存度が高まります。研究書が少ない場合や、逆に情報量が圧倒的に少ない状況下で、優れた体系的な研究書がある場合に、引用過多になりやすい傾向を持ちます。

 宮沢賢治に関して指摘をすれば、宮沢賢治の生前出版作品と雑誌名、その掲載された本文。作品全ての作者自身の手による手入れ、ある作品の数次にわたる大幅な手直し、成立段階ごとの本文と訂正過程が校訂によって示されている。

 書簡の下書き、手帳、膨大な原稿用紙と、余白に書かれた覚書、メモ、ほとんど、生前の賢治が書いたであろう、全てのものが残され、かつ掲載されている。

 筑摩書房刊 校本 宮沢賢治全集、これに続く、同(新)宮沢賢治全集)に上記の由来や、すべて注釈がされていて(それが個人宛の書簡 の本文や、あて先人の解説、その交友などにも及んでいる)、この本を利用する限り、あらゆる角度から賢治を研究するネタ、信用に値する資料は満載されている。多すぎるほど揃っており、疑問や未解決の問題はこの本では存在しないほどの徹底的な校訂方針を実現している。

 たとえば、「銀河鉄道の夜」の精力的で飽くなき追求のため、この本は死の直前まで行われたと推定されている。何度も書き直し、全面的な数次にわたる大幅な校訂を受けながら、最後には未完成に終わってしまった作品。その成立過程などを説明するホームページも多々あり、「独自研究」まではホームページの上で原典を示していたり、しなかったりと統一されていないけれど、全ての部分にわたり、上記書籍のうち、どちらかを、まるまる引き写しているのが実情のようだ。実際の研究は限界があり、個人的な研究は困難な上である。

 一般研究者といえども、宮沢賢治のほぼすべての自筆原稿を手元に置き、検討、研究できるだけの状況ではないから、個人的な資料収集は出来ずにこの二冊の辞典の記述内容を批判精神なく、全面的に依存しなければならなくなる。・・・予断になりますが、賢治の作品の成立順序を掲載されているホームページは、上記書籍の二冊のうち、古い版を定本として、記述内容も書籍に沿った内容でした。

 実際には相手の著作物から、ほとんど全てを依存しなければならない、・・言い換えれば、書籍から全てを引用する、そのありかたに疑問が出てきました。内容の専門性もあり、一般的な内容ではないので、「百科事典」は、そこから、広く浅く知識を得る場所でもあることも考えて、結局は投稿しないことに決めました。ひとつのテーマでも、必ず、本の著述を引き写したものを、そのまま発表することにもなり、そうならば、図書館でこの本を読めばそれで、大半の宮沢賢治の愛読者のかたがたの参考資料としては最善のものです。宮沢賢治という童話作家の全てを正しく理解・機会にもなるのです。

 ・・・これがWikipediaの限界でと私は思うのです。私の場合は、宮沢賢治の研究をこの書籍の配本が始まって以来、続けてきたので、この本からの転載はすぐにわかります。

 そして、私が試作を作っていくうえでの、気がついた点に関し、疑問に思ったことを述べてみました。また、このWikiPediaは百科事典であるので、広く、しかし、浅く、一般の理解を超える枝葉の研究は掲載しても、記事が混在して、見にくい、読みにくい辞典になってしまうことでしょう。・・・私はそう考えました。                     --SopwithCamel 2008年9月15日 (月) 17:14 (UTC) 脱字を補う--SopwithCamel 2008年9月15日 (月) 17:19 (UTC)

てんぷら蕎麦

てんぷら蕎麦とサイダーを好んで食べたというエピソードに最後に「このエピソードでも分かる通り、一般にベジタリアンであったとされる賢治ではあるが、それは必ずしも生涯一貫したものではなかった。」とありますが、てんぷら蕎麦やサイダーを食べてベジタリアンであっても矛盾はありません。このエピソードがオチが理解できません。--217.235.36.50 2009年4月8日 (水) 19:52 (UTC)

ご指摘の通り、ベジタリアンであっても範囲は様々で、魚類は食べるというベジタリアンもおります。ただし、賢治の場合は熱心な在家仏教信者であり、後年の病気療養の折に家族から鯉の生き肝を気づかされずに飲まされ、あとでそのことを知ってひどく気分を害したというエピソードが伝えられたりしていることから、厳格なベジタリアンであったという印象を受ける向きもあることから加えてみました。しかし、おっしゃるとおりやや不正確な面があったことは否めませんので、別に賢治の菜食主義について項目を加えてみました。Unamu 2009年4月8日 (水) 22:36 (UTC)

「経埋ムベキ山」の件

一方的に、それはダメとか、不適当とかの理由で再三削除されますが、納得できません。 どうゆうことかご説明下さい。--219.115.63.16 2009年8月5日 (水) 01:19 (UTC)

ふじこと申します。 上の219.115.63.16と同一者です。 222.149.40.250氏によるいわれのない削除がありましたので、いったん差し戻しさせて頂きました。--219.115.58.177 2009年8月5日 (水) 12:00 (UTC)


今の現状で「経埋ムベキ山」は、どこにも書かれていません。私の見落としかも知れません。 しかし、私は「経埋ムベキ山」は、宮沢賢治の死の直前に遺言をしたわけだが、その後で、「詳しいことはまた起きて書きます」と言い残し、この世を去っていった。 私には宮沢賢治のいう「「詳しい....」ことは、実は、この「経埋ムベキ山」の件ではなかったかと考えています。実際に「雨にも負けず手帖」にも、埋めるべき山の候補が示されており、ある程度真剣さを持って、また実現させるために立案したのではあるまいか、と考えます。

それと、IP訪問者にページの書き換えに応じるべきではないと考えています。IPは、12時間経過すればプロパイダーに割り当てられたIPから自動的に振りなおされる番号で、防御の方法がないことを理由に、悪さし放題です。これでは、アカウント取得者と全く同じことです。

本文を書きなすのであれば、必ず利用登録した上で、アカウント所有者に限定すべきです。大きなプロパイダー登録者であれば、IPが表示されても、それは個人を示す番号では有り得ない。

もう少し、検討を御願いする次第です。



私も作者、最後の手帖に記されたこのことに、宮沢氏を理解できる重要なファクターであると思われます。手帖では再三にわたって書き込まれており、単なる思い付きではなかったと思います。

証拠がある限り、包み隠して「書くべきでない」のは、この問題では正しい姿勢とは考えにくいです。(=その問題とは別に例外があります。すべてに有効とはかぎりません。

ただ、手帖本文の画像が、メモ帳全件について、「新・校本」では掲載されているので、あわせて掲載すると説得力をもった記述になると思います。

残念ですが、この「宮沢賢治」の項目は、記事が錯綜していて、記事全文がうまく編集されていません。

非常にごったな記事の投稿によって構成され、「作家:宮沢賢治の生涯」を整理整頓して、簡潔に纏められているとはいえないと思います。

「宮沢賢治」に初めて接する閲覧者もあるはずです。「エピソード」は枝葉末節で、どうであっても構わない、作者を理解できる上での参考にもなっていません。

とにかく雑然としたページになってしまったようです。残念至極。

--TheGreatMilkyWayRailRoad 2010年6月1日 (火) 15:46 (UTC)

Wikipediaは参加者が議論をし、よりよいものに改善していくことが求められています。「残念だ」で終わらせるのではなく、TheGreatMilkyWayRailRoadさんが考えておられる問題点を具体的に挙げて、この場で改善案を話し合い、編集に反映させていけるようにしていただけないでしょうか。--Unamu 2010年6月1日 (火) 22:35 (UTC)

そうでした。前向きな姿勢を考えてこその投稿でした。叱咤ありがとうございました。 現在の記事は「伝記」「編年目録」「その他とるに足りない駄作」も混じっており、宮沢賢治の作家としての特性やその作品が出来る土壌を説明する記事があるべきです。そういう記述は、大変骨が折れる作業ですが、今後は「宮沢賢治」を中心に改修をしていきたいと考えています。

ただ、いろいろ計画の素案は持っていますが、文章でなるべき誰にでも理解できるように、また記述の正確性に十分注意をすると同時に、写真も積極的に利用して、視覚的にも理解できるように心がけたいと思います。

ただ、私は自分の計画をここで示そうとは考えていません。また議論も好みません。私の書いた記事がWikipediaとしての品質水準を満たしていないのであれば、削除して結構です。

--TheGreatMilkyWayRailRoad 2010年6月20日 (日) 14:52 (UTC)


誕生からまもなく襲った地震関連の記事を追加しました。 また、この記事に有名なエピソードを書き加えていただいた方に感謝をします。 この資料の記載場所を探し出すことが出来ず、書き加えることが出来なかったためです。 感謝の念をお伝えします。 Thank you.--TheGreatMilkyWayRailRoad 2010年6月23日 (水) 14:29 (UTC)


また、将来的に記事中「エピソード」の項目は全廃し、消去します。何故なら雑談風になっており、記事と宮沢賢治との関連付けがされておらず、しかもエピソードはある時代における宮沢氏のエピソード(=雑談)は、他の閲覧者の誤解のもとになりやすいことです。ここでは宮沢賢治氏の芸術とその真の人間性、賢治の魂について論ずるところであり、すべての記事は宮沢賢治の生涯と結び付けられて語られるべきだからです。

何故、このような「雑談」を持ち込んだ理由について理解し難いものがあります。 要は、宮沢賢治学界人が閲覧しても、遜色ない記事に、今後少しずつ増補していくつもりです。

予めお知らせをします。--TheGreatMilkyWayRailRoad 2010年6月23日 (水) 14:54 (UTC) 一部訂正--TheGreatMilkyWayRailRoad 2010年6月23日 (水) 14:57 (UTC)

いわゆる、個人研究の発表に利用しているように見えます。書きなおすなり出典を明らかにするなり、論文を別に発表するなりなさるべきだと思います。 --Fuseoyama 2011年11月20日 (日) 04:07 (UTC)