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ノート:密厳院

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要出典にした記述ですが、これどういう根拠で書かれたものなのでしょうか?どうも誤解が積み重なっているのを放置したもののように思われます。

1,密厳院の本尊は大日如来坐像で不動明王坐像ではありません。参考文献の「エイムック 高野山宿坊の旅」に写真が出ています。

2,覚鑁が座禅をしている姿が不動明王に見えたという伝説の寺は確かにこの密厳院なのですが、白羽呉夫『神秘と瞑想ー覚鑁著五輪九字秘釈入門ー』月刊密教講座第一号、昭和四九年には、「密厳院本堂にある不動明王と坐禅中の覚鑁が同じ姿をしていた」とあり、この不動明王は本尊かどうか不明です(多分脇侍、大日如来を本尊として不動尊・弘法大師を脇侍とする三尊形式は真言宗の寺で多く見られる)。

3,願成就院の不動明王像(国宝)は立像です。覚鑁が高野山を去った46年後の1186年に出来た像です。覚鑁がいたころの密厳院にあるはずがありません。願成就院の不動明王像の三年後に作られた妙楽寺の運慶作不動明王像と混同しているのではないでしょうか。

4,真如苑奥の院の伝・運慶の「大日大聖不動明王」像は坐像です。立像の願成就院像と同一作とは考えにくいように思います。「大日大聖不動明王」像をネット上で大日如来像と混同している人を見かけますが、別の像です。

まあ、運慶の仏像には色々伝説があるのは事実ですし、信仰上のものは大事では有りますが、やはり美術史・仏教史に背く記述はどうかと思います。 --松平俊介会話2015年2月4日 (水) 14:08 (UTC)[返信]