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ノート:小瀬川

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「全国的にも珍しかった」について

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同時期[いつ?]に一つの川に二つの名があった例は全国的にも珍しかった
※oldid=85214491より転記

上記の一文を除去しました。理由は次の通り、

  • (1) 情報源との整合性 - ここで示されている出典「木野」の歴史にはこう書いてあります。
これほどたくさんの呼び名がある川は全国的にも珍しいといわれます。
大竹市歴史研究会 「木野」の歴史
ここで言っているのは「同時期に2つ」ではなく、「たくさん」なのが「珍しい」です。「同時期」だとかの時間的言及はありません。また、「○○だ」ではなく「○○と言われる」であり、これは意味としてだいぶ違います。後者の場合には、実際には珍しくなくてもそういう話があるならば成立します。
  • (3)情報源の信頼性 - この「大竹市歴史研究会」は、いわゆる「信頼できる情報源」としては評価があまり高くないと考えます。
まず、組織がどのようなものであるか、このホームページについて大竹市歴史研究会とはをみても具体的な背景や人物名が不明瞭で、信頼性を評価するのは難しいです。(「昭和56年12月、大竹市教育委員会のご指導のもと」とあるので、それ相応ではあるのでしょうけれど)「教育委員会そのもの」でもないですし。
たとえば研究会の成果が『大竹市史』のような形で世に出れば、「市役所」(たいていは教育委員会や、その下の「○○誌編纂委員会」)によるお墨付きや一応の査読を経ていて、検証可能性も兼ね備えるものとして、一定の信頼性を認めてもよいと思いますが、いまある情報ではそこまでの評価はできないです。
郷土史本は千差万別で、きちんと著者名や略歴が明記されているものもあります。いわゆる歴史学の教授とまでいわなくとも、得てして、地元の高校の歴史の教師だったり、それなりの大学の歴史学出身だったり、郷土資料館の館長とかの肩書を持っていて、それが一応の信頼性の源泉になっていて、本文はきちんと「『因幡志』によれば」など情報の出どころも明記されているものです。(個人的な経験でいうと、昭和50年代以降ぐらいの郷土史本はこういうのが多い)。一方、そこらへんが怪しいものもあって、得てして内容も、具体的証拠がない推測とか「であろう」「に違いない」みたいな書き方が多い(昭和40年代ごろまでの郷土史本に多いパターン)。
今ある材料だけだと、「大竹市歴史研究会」はちょっと。

(1)(2)だけならば、「大竹市歴史研究会によれば全国的にも珍しいと言われるという」のように帰属化し、「珍しい」ではなく「珍しいと言われる」とすればセーフとは思います。が、今回は(3)により帰属先があやしいので、一旦除去がふさわしいと考えました。

ベターな情報源が出てくるならば、帰属化するなどして書くのは良いと思います。--柒月例祭会話2021年8月26日 (木) 02:28 (UTC)[返信]

  • コメント と思いましたが、大竹市役所HPに掲載の「おおたけ歴史探訪~西国街道をたずねて~」[1]に同じ文章がありました。これはもともとはH22年の市の広報誌に連載されていたものを、加筆して1葉のリーフレットにしたものだそうです。巻末に編者や参考文献が明示されており、情報源が「大竹市歴史研究会」から「大竹市」にランクアップした感じです。これでいちおう、「1河川に2つの名があるのは全国的に珍しいと大竹市は主張している」という程度にはかけそうですが・・・どうでしょうね。--柒月例祭会話2021年8月26日 (木) 08:10 (UTC)[返信]
    コメント 文献にあるとおり「これほどたくさんの呼び名がある川は全国的にも珍しいといわれます」というニュアンスを盛り込めばいいのではないかと。「1河川に2つの名がある」という事例は当方の知っている限り複数存在していて(通称レベルも含みます)、ご指摘の通りミスリードを招きかねないので、「一つの川に複数の呼び名があった例は全国的にも珍しいとの言及がある」ぐらいの表現でどうだろうかと思いますが。--Bsx会話2021年8月26日 (木) 09:26 (UTC)[返信]

「古い資料」について

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ひとまず少し修正しました。(完全解決ではないです)

「大竹川」については、『続日本紀』本文を示しました。少なくともまとまった史料としては、これより古いのは記紀ぐらいのものですから、「古い」というに相応しいでしょう。ただ「資料」「史料」の使い分けが気になりました。

「大川」については、現時点では具体性に欠くためコメントアウト。(一般論として、源流にある村では、村内を流れる川は単に「川」で、大きい方を「大川」、小さい方を「小川」と呼ぶみたいなことがよくあります)

「境川」については手つかず。--柒月例祭会話2021年8月26日 (木) 03:12 (UTC)[返信]

報告 名称関係については、「古い資料で」などのあやふやな部分を中心に、なるたけ具体的な史料名・年を、出典を示して加筆整理しました。情報源を置き換えられるものは「大竹市歴史研究会」をはずしました。

河川法で「小瀬川」に決めたときのエピソードは、「◯◯という」とう形にして、ひとまず要検証のまま残しました。憶測でしかないですが、この手の「研究会」が書いたことは、きっとネタ元(郷土資料)があるんだろうと思います。ですが私の手持ち資料ではそこまではできませんでした。--柒月例祭会話2021年8月26日 (木) 15:14 (UTC)[返信]

当記事の出典から「大竹市歴史研究会」を除去しました。

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当記事「小瀬川」の出典から、大竹市歴史研究会を除去しました。こちらのページに書かれている内容からすると、大竹市歴史研究会は独自研究に準ずるものでしょう。 神戸市交通局6000形6144編成会話2021年8月27日 (金) 07:04 (UTC)[返信]

出典調査メモ 

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ノートの更新をお見かけして少し調べたのですが、編集の時間をすぐには取れないので、備忘録として経過をここに記しておきます。

加えて近所の図書館に『図説 岩国・柳井の歴史』がありましたので、近日中に借りてみる予定です。--HANSON会話2021年8月27日 (金) 11:14 (UTC)[返信]