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ノート:小笠原貞慶

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「武田氏が滅亡すると、信長から信濃筑摩郡に所領を与えられた」という記述なのですが、手元の「織田信長家臣人名事典【第二版】」吉川弘文館 ISBN 4642014578によると、かつて世話になった上杉氏に対し調略戦を挑んで大活躍・大貢献したものの、本領安堵はおろか、甲斐信濃の土地の一部さえも与えられず、旧領は木曽義昌に加増された、とあります。貞慶は実際に武田滅亡によって恩賞となる土地を織田家からもらえたんでしょうか?詳しい人お願いします。--ポテンシャル0会話2014年9月16日 (火) 12:34 (UTC)[返信]

最近の、この時期の貞慶の動向を検討したものとして、平山優氏の『天正壬午の乱』がありますが、p40「使い捨てにされた小笠原貞慶」に拠りますと、貞慶は信長から旧領回復を約束され天正10年の武田領国侵攻に参加したものの、武田滅亡後に信長への拝謁を拒絶され、筑摩・安曇二郡は木曽義昌に与えられた、とあります。該当部はちょっと長いので、私も後日きちんと熟読しておこうかと思います。平山氏の『天正壬午』は現在絶版で手に入りにくいので、私は手持ちでありますので、近日中に編集しておこうと思います。--でここ会話2014年9月16日 (火) 14:30 (UTC)[返信]
お手数かと思いますが、よろしく考証・編集お願いします。--ポテンシャル0会話2014年9月20日 (土) 07:44 (UTC)[返信]