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ノート:山下好孝

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こちらで合意を形成するためにAdios2012様へ、御貴殿の記事編集についての質問いたします。[編集]

先日から、この記事において、小生Adios2012という方との間で意見の相違などからくる、編集での対立が起きております。小生としては、差戻しやその他(誤解を招く表現かもしれませんが)手荒い真似はしたくありませんし、できることでしたら穏便にやりたいと感じているのですが、このままでは今後も編集合戦まがい(もしかすると既にそれに入ってしまっているかもしれません。)のことが続き、記事の発展その他において不利益なことが起こりうるという危険を感じましたのでノートにAdios2012様宛の質問を書き込ませていただきます。

  1. まず、北海道大学さんの教授であるというのは出典にも明記されており、それを消去する行動の理由をお聞かせ願えませんでしょうか?
  2. 次に例えば、「あくまでこの人の見解に過ぎず、ちゃんとした統計データや集計もなければ実証もなされていないため、研究とは呼べません。」などという御貴殿Adios2012様の御発言についてですが、「研究」というのは、「ある特定の物事について、人間の知識を集めて考察し、実験、観察、調査などを通して調べて、その物事についての事実を深く追求する一連の過程のことである。語義としては「研ぎ澄まし究めること」の意。」という趣旨(Wikipedia内の研究の記事より引用)の言葉であり、例えば、北海道新聞の記事の「略すのは(中略)若者文化だけに見られることではありません。日本語において言葉の省略は、ごく当たり前の、自然な現象です。言葉はコミュニケーションに効果的な使われ方をするものであり、全部言うと長いときは短く「経済的」にする特性があるのです。北海道の人は言葉に対して、良く言えば「礼儀正しい」、悪く言えば「保守的」。省略には慣れてないのかもしれませんね。」や朝日新聞のこの記事の「かぞえ節、平安時代末期の書物に記されている当時の京都のアクセントに通じる」などは正しく「人間の知識を集めて考察し、観察、調査などを通して調べて、その物事についての事実を深く追求する」という行為であり、研究の成果と言えるのではないでしょうか。そこまで思考を巡らせた上で、それでも、「研究とは呼べません」と仰られるというのなら、その根拠(=出典)をお示し願えませんでしょうか。
  3. また、御貴殿は「『関西弁講義』をご自身でちゃんと御覧になったのなら、根拠のない話がどれだけ多いのかお分かりのはずです。」と仰っておられますが、これについても質問させて頂きます。言語学的な分析の根拠として、方言周圏論などもちらほら出ていたはずですので、「根拠のない(中略)話が多い」というのは、見当違い、独自研究なのではありませんでしょうか?そのあたりの御貴殿の見解をお聞かせ願えればと思います。

とりあえずは、これだけですが、折を見てご回答くだされば幸いです。--吉田宅浪会話2013年3月23日 (土) 14:01 (UTC) [返信]

基本的に吉田宅浪さんに同意いたします。北大大学院教員であることは日経と大学公式サイトの両方より確認できますので、北海道大学の教員のカテゴリを外すのは不適当です。--Los688会話2013年3月24日 (日) 04:39 (UTC)[返信]
Adios2012様へ。吉田です。まずは、小生の質問に対して、Adios2012様におかれましては、お忙しい中、御回答いただきましたことについて御礼を申し上げます。さて、本題に入りたく存じます。
1.の「北海道大学さんも困っています。」というのはどういった事に対してどうお困りなのでしょうか。また、その情報はどちらから入手なさったものなのでしょうか。事の次第によっては特筆性があるかもしれませんし、その論拠となる何かがなければ、ただの独自研究と山下という大学教授さんや北海道大学さんの名誉を傷つける事にもなりかねませんので、いずれにせよ詳しく御回答くださればと思います。それに、そもそも「北海道大学さんの教授であるというのは出典にも明記されており、それを消去する行動の理由をお聞かせ願えませんでしょうか?」という小生の質問に対しての回答にはなっていないのではありませんでしょうか。
2.の「:「関西人は声が大きいのではない。声が高いのである。関西人は関西弁を変えようとしないのではない。変えられないのである―。」、「スペイン語のように母音が優勢な言語=関西弁」など、声の低い関西の方の存在を間接的に否定することになっていますし、母音優勢言語は他にポリネシア諸語もあるのにもかかわらず、「スペイン語のように」というのは、この人の趣味だからではないでしょうか。」という御回答についてですが、これは確か、『関西弁講義』にもあった表現を引用なさったのであろうと想像しておりますがそれは「(~略~)研究の成果と言えるのではないでしょうか。そこまで思考を巡らせた上で、それでも、「研究とは呼べません」と仰られるというのなら、その根拠(=出典)をお示し願えませんでしょうか。」という小生の質問への回答にはなっていないような気がします。さて、その事を明記した上で御貴殿の回答(?)について少し反論させていただきます。「スペイン語のように」云々というのは、あの『関西弁講義』という本で、山下さんがお書きになっておられたように、自分がスペイン語の教員としても仕事をしている関係で、そこに詳しい故に、そのようにお書きになられたのではないかと推察いたします。また「スペイン語のように」というのはあくまでも一つの例としてスペイン語をお挙げになっただけなのではないでしょうか。
3.最後に「ちらほら」というのは、あくまでも言葉の綾であり、適宣、その理論も論拠として加えていたという意味で申し上げたのであります。また、柳田国男さんが提唱しただけであるという趣旨の御回答を頂いておりますが例えば、『探偵ナイトスクープ』で昔『アホ・バカ分布図』などという、全国の教育委員会にも取材して調査した結果、それが正しいものであったという事も判明していたりします。そう考えると御回答頂いた内容では少し、おかしなことになりませんでしょうか。
最後に、今後は、ノートページへお書き込みになる際には御手数ですが署名をしていただきますようお願い申し上げます。また、ノートページでは他者の発言には、なるだけ割り込まないようにお願いします。読みづらくなってしまいます。--吉田宅浪会話2013年3月24日 (日) 09:02 (UTC)[返信]
追伸、小生はこの方を存じませんし信者でもありませんのでそこのところはご理解くだされば幸いです。--吉田宅浪会話2013年3月24日 (日) 09:07 (UTC)[返信]
Los688様へ。コメント及び御同意くださりましてありがとうございます。今後も色々とご多忙でしょうが、時間の許す限り御手数ですが、引き続き議論にご参加になっていただき、適宣、コメントを頂けますと助かります。--吉田宅浪会話2013年3月24日 (日) 09:02 (UTC)[返信]
吉田宅浪様。意見が食い違って、すみません。
1.北海道大学さんも困っています。
こんな間違いだらけの本を北海道大学教員名義で出版されて、北海道大学さんもきっと困るという意味です。私この本を楽しみに買って読んだんですが、損しました。裏切られた思いでした。1,575円を返してほしいくらいです。他に北海道大学を代表する頑張っている正真正銘の言語学者の先生もいらっしゃいます。あたかもこの方が北海道大学を代表しているような書き方をしないでほしいまでです。
2.それから、「関西人は声が大きいのではない。声が高いのである。関西人は関西弁を変えようとしないのではない。変えられないのである―。」、「スペイン語のように母音が優勢な言語=関西弁」など、声の低い関西の方の存在を間接的に否定することになっていますし、母音優勢言語は他にポリネシア諸語もあるのにもかかわらず、「スペイン語のように」というのは、この方の趣味だからではないでしょうか。
吉田様が仰る通り、この方の経歴から、関西弁をスペイン語と関連付けられたのかもしれません。しかし、関西弁とスペイン語との関連を論じたいのであれば、表面的なことではなく、言語類型論の見地から考察をなさるべきです。
3.方言周圏論柳田國男の提唱であり、ちらほら引用したからって根拠になるのでしょうか。「ちらほら」引用すること自体柳田國男に失礼なのではないでしょうか。
柳田國男の「國」は旧字体です。お間違いのないようお願いします。「思いを巡らす」だけで研究が成り立つなら、誰だって簡単に言語学者になれます。言語研究、特に方言研究は、ちゃんとした方法論でなさるべきです。--Adios2012会話
あなたがそう思っていること、山下氏に対しそのような評価をしていることは、Wikipediaでは全く関係ございません。Wikipediaの記載方針は、Wikipedia:信頼できる情報源を用いた評価を紹介することです。日経新聞は通常、信頼できる情報源です。方針では、日経新聞とかでの評価をWikipediaへ記載していただくことが期待されています。あなたの山下氏への評価は独自研究になりますので、記載しないで下さい。--Los688会話2013年3月24日 (日) 15:59 (UTC)[返信]
いわゆるWikipedia:信頼できる情報源ならば、たとえその分野の何人もの研究者から見ておかしい内容でも、載せていいと仰るのでしょうか。--Adios2012会話
(質問3回目)
Adios2012様へ。まず、御貴殿の疑問についてですが一概にどうとは言えませんが、この山下さんという教授さんが北海道大学の教授であるということは事実であります。そして、その事は、信頼できる情報源である(とされる)日経や朝日にも書かれています。そこは厳然たる事実であり、その事自体には疑いの余地すらありません。また、御貴殿は北海道大学大学院 教員紹介なる、Los688様が御提供してくださったリンクを削除するなどなされておりますが、その御貴殿が記事から削除されたリンクの先にも、北海道大学さんが自分の大学の教授ですよと示すための案内まで書いてあるではありませんか。この場合は、一次資料・二次資料ともに検証できるものであるといえ、よって、載せていいと言えるのではありませんでしょうか。それとも、御貴殿は、それを踏まえた上でもまだ「たとえその分野の何人もの研究者から見ておかしい内容」と仰るのでしょうか。ただ、もし、「その分野の何人もの研究者から見ておかしい内容」があるのでしたら、当然の事ながら、山下さんへの批判(山下さんの主張している趣旨の事への批判も含む)というものが著名な学者の方々から起こされているはずです。それがあるのでしたら、出典付きでお願いします。それがあれば、そのことも記載できるので、多少は御貴殿の主張、スタンスに近い内容の記事になると考えられます。
次に、御貴殿に御回答いただいた1.2.3.の三件について順を追って述べさせていただきます。
まず、1.についてです。「こんな間違いだらけの本を北海道大学教員名義で出版されて、北海道大学さんもきっと困るという意味です。私この本を楽しみに買って読んだんですが、損しました。裏切られた思いでした。1,575円を返してほしいくらいです。他に北海道大学を代表する頑張っている正真正銘の言語学者の先生もいらっしゃいます。あたかもこの方が北海道大学を代表しているような書き方をしないでほしいまでです。」と御回答いただいておりますが、それは、つまり、自分が想像するに北海道大学さんも困ってらっしゃるという意味と解釈すれば良いのでしょうか。もしそうであるとしたら、それこそ、独自研究というものにあたります。そして、それは独自研究は載せないという大原則がありますのでお書きにならないでください。また、「他に北海道大学を代表する頑張っている正真正銘の言語学者の先生もいらっしゃいます。あたかもこの方が北海道大学を代表しているような書き方をしないでほしいまでです。」と書いてらっしゃりますが、「他に北海道大学を代表する頑張っている正真正銘の言語学者の先生もいらっしゃ」るという事はどこでお知りになられたのでしょうか。何かの、論拠があるのでしょうか。それとも、御貴殿が北海道大学の関係者の方だから知り得たのでしょうか。それで、「あたかもこの方が北海道大学を代表しているような書き方をしないでほしい」と書いておられるのでしょうか。関係者の方が、このような事をしているとすれば、それは中立性の観点でも好ましいことではないと存じます。もう一つ言えば、「北海道大学教員名義で出版されて」大学側が本当に困っていたならば、大学側自らがその教員に何らかの処分を下したりするのではないでしょうか。
2.についてですが、そもそも、言語学といっても様々です。言語類型論というのは、その中の一つであり、これが全てではありませんし、すべての言語学者はこれを経て論理を構築せねばならないというわけでもありません。音韻論語彙論からその言語学に入って、そこを只管研究することも言語学研究であり、それが評価されて大学教授になっておられる方もいらっしゃっておかしくはないと存じます。
3.の「「思いを巡らす」だけで研究が成り立つなら、誰だって簡単に言語学者になれます。言語研究、特に方言研究は、ちゃんとした方法論でなさるべきです。」についてですが、誰も「思いを巡らす」とは書いていないと思います。また、「「思いを巡らす」だけで研究が成り立つなら、誰だって簡単に言語学者になれます。」という事ですが、それは御貴殿の仰る通りです。ところで、この山下さんという方は、北海道大学の教授さんであらせられるという事です。ただ「思いを巡ら」しているだけの人が、その分野で大学の教授になるということがありますでしょうか。甚だ疑問に思いますが如何でしょうか。
色々とありますが、お答えくだされば幸いです。--吉田宅浪会話2013年3月24日 (日) 17:19 (UTC)[返信]
また、Los688様には、議論に引き続きご参加いただいております上に、様々な方針などを御提示くださっていることに感謝の念を示すとともに御礼申し上げます。助けて下さり、本当にありがとうございます。今後とも、様々な面でお忙しいでしょうが引続き、御無理のない範囲で御参加くだされば幸いです。--吉田宅浪会話2013年3月24日 (日) 17:19 (UTC)[返信]