ノート:山古志村

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国勢調査の推定値について[編集]

人口を記述する際に国勢調査の発表値を利用するのが常套手段ですが、 昭和31年併合の直後に一部が分裂したため、ただ合算しただけでは昭和31年以前に遡って人口を求めることができません。 (近年の国勢調査のように、大字単位で公表されていれば不可能ではないのですが。)
しかし、昭和35年の国勢調査に注目すると、昭和30年の組換人口(昭和35年時点での行政区分に基づき振り分けた人口)が記載されているので、昭和30年発表の統計人口を比較することで分裂した集落の人口を求めることが可能です。

太田
(蓬平・濁沢)
太田
(その他)
種苧原 竹沢 東竹沢 東竹沢
芋川集落
広神村
昭和30年
統計結果
4159 2023 1430 1407 12552
配分 (X)
長岡市へ編入
(Y)
山古志へ
(P)
山古志へ
(Q)
広神村へ
昭和30年
組換人口
- 昭和35年の山古志村相当地域
6465
同、広神村相当地域
12761

表中、太字の数字は公表数字そのまま転記したものです。 長岡市は、太田村の蓬平・濁沢集落以外にも併合しているため直接(X)、(Y)を算出するのが難しいのですが、広神村は 芋川集落のみ編入しているため、容易に算出できます。すなわち、

12552 + (Q) = 12761 よって (Q)= 209 、 (P) = 1407 - 209 = 1198

したがって、(Y) + 2023 + 1430 + 1198 = 6465 が成り立つので、(Y) = 1814 ゆえに (X)=2345

ここまでを再度表にすると

太田
(蓬平・濁沢)
太田
(その他)
種苧原 竹沢 東竹沢 東竹沢
芋川集落
広神村
昭和30年
統計結果
4159 2023 1430 1407 12552
算出結果 2345
(56.4%)
1814
(43.6%)
1198
(85.1%)
209
(14.9%)
昭和30年
組換人口
(長岡市) 6465 12761

繰り返しとなりますが、1955年(昭和30年)の数字については、昭和35年調査報告の組換人口そのままを本項の数値に採用しています。

昭和25年以前も、この(X)、(Y)および(P)、(Q)の配分比率(本項では残留比率と表現した)を利用することで推定が可能となります。 しかしこれは明らかに独自研究ですので、本来はWikipediaに記載することが憚られるものです。 (今回は推定値であることを断ったうえで本文に反映させます。)

1920 T.9 推定 5896

  • 太田 3855 x 43.6%=1681
  • 種苧原 1797
  • 竹沢 1387
  • 東竹沢 1212 x 85.1%= 1031

1925 T.14 推定 6015

  • 太田 3937 x 43.6%=1717
  • 種苧原 1856
  • 竹沢 1422
  • 東竹沢 1199 x 85.1%= 1020

1930 S.5 推定 5910

  • 太田 3867 x 43.6%=1686
  • 種苧原 1874
  • 竹沢 1359
  • 東竹沢 1164 x 85.1%= 991

1935 S.10 推定 5801

  • 太田 3768 x 43.6%=1643
  • 種苧原 1893
  • 竹沢 1306
  • 東竹沢 1127 x 85.1%= 959

1940 S.15 推定 5737

  • 太田 3846x 43.6%= 1677
  • 種苧原 1731
  • 竹沢 1336
  • 東竹沢 1167 x 85.1%=993

1947 S.22 推定 6814

  • 太田 4542x 43.6%= 1980
  • 種苧原 1985
  • 竹沢 1584
  • 東竹沢 1486 x 85.1%=1265

1950 S.25 推定 6694

  • 太田 4427x 43.6%= 1930
  • 種苧原 2006
  • 竹沢 1530
  • 東竹沢 1443 x 85.1%=1228

--Iso8.tv会話2019年7月16日 (火) 07:50 (UTC)[返信]