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ノート:山吉行盛

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山吉行盛は、山吉氏で初めて確実な史料に現れる人物ですが、史料としては、応永29年(1422年)の三浦和田文書の一点だけです。
『三条市史』によれば、山吉家の系譜類には行盛の名は全く見えないとされています。その2年後の応永31年には久盛が史料に出てきますが、花押から行盛と久盛は、別人とされ、二人の関係は不明とされています。
『山吉家家譜解説書』は系譜の注が現代語訳されていますが、私が確認したかぎり、行盛の名は見えず、大和田義賢の養子となった後山吉家を継いだという義長の注に実母憲将の娘、養母憲栄の娘となっていたと思います。本文の記載内容と齟齬がみられるのですが。--Thomo 2010年6月9日 (水) 17:23 (UTC)(訂正)--Thomo 2010年8月25日 (水) 06:10 (UTC)[返信]

山吉行盛の生没年、系譜は『山吉家家譜』の義長の父盛計のものと思われます。いったんコメントアウトします。行盛に比定されているという文献があるのなら出典提示をお願いします。--Thomo 2010年9月4日 (土) 17:09 (UTC)[返信]